「私の中のあなた」は2009年に公開されたヒューマン・ドラマ映画。
監督はニック・カサヴェテス、主演にキャメロン・ディアスと『リトル・ミス・サンシャイン』でオリーヴを演じたアビゲイル・ブレスリンがその娘役を務めています。
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「私の中のあなた」のスタッフ・キャスト
監督
ニック・カサヴェテス
脚本
ジェレミー・レヴェン
ニック・カサヴェテス
原作
ジョディ・ピコー
『わたしのなかのあなた』
製作
マーク・ジョンソン
チャック・パチェコ
スコット・L・ゴールドマン
出演者
キャメロン・ディアス
アレック・ボールドウィン
アビゲイル・ブレスリン
ソフィア・ヴァジリーヴァ
ジェイソン・パトリック
エヴァン・エリングソン
トーマス・デッカー
「私の中のあなた」のあらすじ
アナ・フィッツジェラルドの姉ケイトは2歳のとき、急性前骨髄球性白血病を患う。しかし両親や兄の白血球の血液型であるHLA型は、ケイトと適合しない。ドナーを必要とするケイトのために、受精卵の段階で遺伝子操作を行ない、デザイナーベビーとして生まれてきたのがアナであった。
まずはドナーへの負担がない臍帯血移植を行うが、その後もケイトが輸血や骨髄移植などを必要とするたびに、幼いアナは過酷な犠牲を強いられてきた。13歳を過ぎたアナは、ついに片方の腎臓の提供を求められる。ところがアナは提供を拒み、辣腕弁護士キャンベルを雇い、両親を相手取って訴訟を起こす。
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%AE%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F
私の中のあなた – Wikipedia
感想・レビューネタバレあり
泣けますね。ネタバレしなきゃ感想も書けないので書かせてもらいます。
主人公は自分の人生のほとんどを姉ケイトのドナーとして生きてきた妹のアナ。
彼女が突然これ以上のドナー提供を拒否、母親を相手取り、裁判に訴えるというストーリーです。
そのストーリー、設定の斬新さから個人的にずっと見てみたかった作品。
実は妹に裁判の話を持ちかけたのは他ならぬ姉のケイトだったのです。
実際に同じ病気だった恋人が他界してから、ケイト自身もずっと死を求めていたという事実が語られます。
ただ、母親からすれば娘のこの本心はとても受け入れがたく、また辛いものだと思います。
母親と二人きりの病室、涙にくれる母親に『ママはもう大丈夫』そう言いながら旅立っていくケイトの姿は観ていてもとても、切なく、つい涙腺が緩んでしまいます。
感動って??
ただ、これは凄くデリケートなことかもしれませんが、『人が死ぬ=感動』の図式に僕たちは囚われているのではないか?ということです。
例えば僕が同時期に鑑賞した『ネバーランド』。ジョニー・デップ演じるジェームズ・バリと、ケイト・ウィンスレット演じるシルビア・デイヴィズとその子供たちのデイヴィズ一家の物語です。
こちらも最終的にはケイト・ウィンスレット亡くなっちゃうんですが、感動のピークは死ぬときではないんです。むしろ死そのものは描かれていなくて、淡々と描写される。むしろ彼女が生きていたときに、ネバーランドという極上のファンタジーの世界に足を踏み入れるシーンこそ、もっとも感動的なシーンであったと思います。
今作の『私の中のあなた』では観ている私たちの感情のピークはケイトが亡くなるシーンでしょう。
確かにとても良いシーンなのですが、安易に感動と呼んでしまうのはどうなのかなぁ?と思います。
見ようによっては、ですがなんだか『人の死』を心待ちにしているようで。。。
例えば『ロッキー』のように倒れても倒れても、立ち上がる、そんな勇気に心動かされるのは紛れもなく「感動」だと思うんです。
補足:原作との違い(更なるネタバレ)
まぁ上記は改めて雑談かコラムという形でお伝えできればと思います。
さて、この映画も『アイ・アム・レジェンド』同様、原作とはオチがまるっきり逆な作品。
アナは交通事故に遭い、瀕死の状態に。脳死状態となったアナの腎臓はケイトに移植され、結果的に助かるのはケイトという結末になっています。
つまり、「『私』の中の『あなた』」が映画と原作ではまるっきり逆になってしまうのですね。
こういう原作と逆の結末になった映画作品も近いうちにまとめてみたいなぁと思います。
※まとめました!