【ネタバレ レビュー】『ターミネーター ニュー・フェイト』

『ターミネーター:ニューフェイト』(原題:TERMINATOR DARK FATE)は『ターミネーター』シリーズの生みの親のジェームズ・キャメロンが28年ぶりにカムバックを果たす『ターミネーター』シリーズ6作目の映画作品です。

主演はリンダ・ハミルトンとアーノルド・シュワルツェネッガー、監督は『デッドプール』のティム・ミラーが務めています。

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「ターミネーター ニュー・フェイト」のスタッフ・キャスト

監督
ティム・ミラー

脚本
デヴィッド・S・ゴイヤー
ジャスティン・ローズ
ビリー・レイ

原案
ジェームズ・キャメロン
ゲイル・アン・ハード

製作
ジェームズ・キャメロン
デヴィッド・エリソン

製作総指揮
ジェームズ・キャメロン

出演者
リンダ・ハミルトン
アーノルド・シュワルツェネッガー
マッケンジー・デイヴィス
ナタリア・レイエス
ガブリエル・ルナ
ディエゴ・ボネータ

「ターミネーター ニュー・フェイト」のあらすじ

感想・レビュー

シリーズの生みの親、ジェームズ・キャメロンのターミネーター復帰作となった『ターミネーター ニュー・フェイト』。

『ターミネーター2』の正統な続編として制作された本作、完成度としては『3』以降のターミネーターシリーズの作品の中で最高ではないでしょうか。

冒頭は若き日のサラが精神病院で尋問される様子が映し出されます。ここは『ターミネーター2』のフィルムをそのまま流用。改めて『2』との繋がりを強く感じさせます。

そして舞台は一旦1998年へ。『ターミネーター2』の舞台は1994年なので、それから4年後の世界になります。審判の日は到来せずに平和な日常を送るジョンとサラの前に突然ターミネーターが現れ、ジョンは殺される。
そんな衝撃的なプロローグからこの作品は幕を開けます。

ジョン・コナー役でオリジナル・キャストのエドワード・ファーロングが復帰するとは聞いていたのですが、その役柄は小さなものに留まるとはアナウンスされていたので、まさかとは思ったのですが。。
ちなみにエドワード・ファーロングがジョン・コナーを演じるとは言っても、このシーンはシュワルツェネッガー、リンダ・ハミルトン、エドワード・ファーロング、全てがCGで作られており、実際にはオリジナル・キャストの誰も演じていないシーンです。
『ターミネーター 新起動』で登場した若いシュワルツェネッガーに引き続き、このように『ターミネーター ニュー・フェイト』でもデジタルの役者が登場しています。

ジョン・コナー不要論

『3』以降の作品で描かれるジョン・コナーはサラ・コナー亡き後の主役としてターミネーターシリーズを牽引していましたが、ジョン・コナーの物語を上手く描けていたかと言われると疑問が残ります。

『ターミネーター3』では一介の若者から人類の指導者となるまでをもっとしっかり描く方がドラマティックになったと思いますし、『ターミネーター4』では逆にキャラクターとしては完成されつつあり、もっと弱さや信念の揺らぎなどの不安定さを描けていたらと思います。カイル・リースとの出会いがかなり後半に設定されていたのも惜しいですね。
そんな中でジョン・コナーに根本的な設定の変更が加えられたのが『ターミネーター 新起動』。

この中でジョン・コナーはターミネーターへと変貌する悪役として登場します。
もはや人類の救世主となるキャラクターの根幹すら覆っていますね。

『ニュー・フェイト』はターミネーター2の正統な続編であり、『3』以降の作品を全てリセットするものですが、『3』以降の作品で色々試行錯誤された結果も反映されていると感じます。

ジョン・コナーなき後の新しい未来ではスカイネットに代わる新しいマシン「リージョン」が人類と戦争を繰り広げていました。



ダニエルとサラ

新しい未来からやってきたグレースはスカイネットのことは知らず、リージョンと戦う人類の指導者となる女性、ダニエルを守るために現代に送られてきたのでした。
サラは『ターミネーター2』で審判の日を止めましたが、しかし、機械と人類の戦争という運命は避けられないものだったのです。

ダニエルはサラとジョンを混ぜ合わせたようなキャラクターです。将来は世界の指導者となる運命を持ちながらも、生まれながらに指導者としての教育を受けてきたジョンとは違い、また何も知らない一般の女性。それは『ターミネーター』でウェイトレスをしていたサラ・コナーと通じます。
『ターミネーター ニュー・フェイト』でもサラ自身もダニエルを見ながら「かつての私だ」と言う場面があります。

T-800のその後

サラはジョンを殺されてから、未来から送り込まれるターミネーターを狩り続けていました。
ターミネーターが転送される日時と場所は送信者不明のメールでサラに伝えられていました。メッセージの最後には『ジョンのために』。
グレースの解析によってそのメールの送信元を特定。訪れた先にはジョンを殺したT-800がいたのでした。

任務を終えたT-800はカールのカーテン屋として人間として暮らしており、妻と息子と家庭すら築いていたのでした。

ここではこれまでに描かれなかった任務を終えたターミネーターの姿が描かれます。
『ターミネーター2』でジョンはT-800に学習を進めて人間らしくなることはできるのかと問いかけます。
その答えがここで示されているのです。
T-800はカールとして暮らし、テレビを観て、飲み物を作り、ほとんど人間と変わらない生活をしていました。そしてその中で良心や愛情ような感情も芽生えていったのです。シュワルツェネッガーは今作のT-800を半分機械で半分人間だと表現しています。

現実世界のAIはまだ判断基準を自己の中に持つレベルであり、何らかの意思をもって能動的に行動するまでには至っていません。

しかし、もし映画の世界と同じレベルにまでAIが達したら、これまでの『ターミネーター』と同様に私たちの敵となるのでしょうか。

『ターミネーター2』でサラ・コナーは殺人機械であるターミネーターが命の尊厳を学べたことに一筋の希望を見いだします。そしてそのことがより確信をもって『ニュー・フェイト』の800を通して描かれるのです。



『ニュー・フェイト』に足りないもの

『ターミネーター ニュー・フェイト』はジェームズ・キャメロンが構築したターミネーターの世界を最も忠実に、尚且つオリジナリティを持って描いた正に『正統な続編』の名に恥じない作品だと思います。

しかし、個人的にはやはりキャメロンが監督した『1』『2』には及ばないと感じます。

まず1つめはやはりジョン・コナーは殺すべきではなかったと思います。

ティム・ミラーは『ニュー・フェイト』はサラ・コナーの物語であり、逆にジョン・コナーの物語は他の作品で十分に語られているとインタビューで発言していましたが、『ターミネーター2』からすでにジョンの物語は始まっており、『3』『4』でジョンが主役だったにせよ、それらをなかったことにして新たに『ターミネーターシリーズを作るのであれば、『3』『4』とは違うジョン・コナーの物語も十分語る余地はあったのではないでしょうか。

またティム・ミラーは『教師や会計士になったジョン・コナーの姿をだれも見たくはない』ともコメントしていましたが、『ターミネーター2』の当初のエンディングは平和な世界で上院議員となったジョン・コナーの姿が映像化されており、コアなファンには十分に受け入れる余地のあるものであったとも思うのです。

もう1つは『死』について。

良くも悪くも思い入れのある登場人物の死は私たち観客にとって非常に痛ましいものであり、その理由によっては深い感動をもたらすこともままあります。
『ニュー・フェイト 』におけるそれはグレースの死でした。彼女は自らの動力源を用いてRev-9を倒して欲しいとダニエルに懇願します。

もちろんこの場面も感動的なのですが、『ターミネーター2』のラストのT-800には及ばない。というのは、T-1000を倒し、大きな目的が果たされた後で、尚且つ未来を変えるためにT-800が自ら死を選ぶという、「そこまでするのか」という大きな自己犠牲の精神が『ターミネーター2』の死にはあるからです。加えて、そこにはただの殺人機械であったターミネーターがそこまでの人間性を持ち得たということを証明してもいます。

もちろん『ターミネーター ニュー・フェイト』は非常にエモーショナルな作品であり、『1』『2』に最も近い完成度を持つ続編だと感じています。

ただ、あえてもう1つ難点を挙げるならば、タイム・パラドックスの問題をより複雑化させてしまっているのです。

そもそもの『ターミネーター2』に話を戻すと、サラ・コナーの生きる現代の時間軸とカイル・リースの生きる未来が同じ時間軸上にあるとするならば、未来の戦争は1994年の戦いで終わっているはずなのです。
にも関わらず、何故か1998年とそれ以降にもターミネーターが送り込まれています。また1998年に送り込まれたターミネーターはサイバーダイン社のものであり、未来でサイバーダインが継続していることを表しています。

となると、サラ・コナーとカイル・リースの生きる時間軸はそもそも違っていて、どれだけサラが未来を変えたところでそれはAの時間軸の未来が変わっただけであり、カイル・リースの生きる未来(Bの時間軸)では戦闘が継続されているということになります。
であれば、Bの時間軸からどれだけターミネーターを送り込んだとしてもBの時間軸には何ら影響を及ぼしません。(AとBはパラレルワールドともいうべき状態なので)となるとタイムスリップ自体の意味も薄らぎますし、サラにとっては何をどうしようとBの世界は変えられないということになります。

『ターミネーター3』では審判の日は延長されただけで必ず訪れるという理屈でこのあたりのパラドックスを解消させようという姿勢が感じられましたが、『ターミネーター ニュー・フェイト』において再び複雑化、難解化してしまったなぁという感じです。

『ターミネーター ニュー・フェイト』が示す現在

さて、過去作を振り返ると、人間と機械の戦いとなった場合にいきなり核ミサイルを撃ち込んできたり、殺人ロボットが襲い掛かるという設定にはどうしても時代性を感じざるを得ません。

ネットが普及し、さまざまなことをシステムやAIが代替するようになりつつある今、『マトリックス』のようにシステムをそのままマシンが支配するようにする方が現実的ではないでしょうか。

2000年代の映画にはその傾向が顕著であり、2004年の『アイ,ロボット』では街の根幹的な保安システムであるVIKIが暴走し、人類を支配下におこうと画策するストーリー、また2007年の(こちらはマシンではなくテロリストですが)『ダイハード』でも町中のシステムをコントロールすることで人々をパニックに陥れるという設定でした。

『ターミネーター ニュー・フェイト』の特徴としても同じことが挙げられます。

スカイネットが起こした『審判の日』では(作品によって差違はあるものの)核ミサイルを打ち込んで、人類の滅亡を図るというものでしたが、リージョンが起こした『審判の日』では各所のシステムを操縦不能にするだけで人類側に大きな恐怖とダメージを与えています。

これは『ターミネーター2』の頃よりも遥かにコンピューターが生活の中に入り込んでいること、そしてネット社会となった今、それぞれ互いに関連し、同期し、日常に蜘蛛の糸(Web)のように張り巡らされていることを反映しています。

逆に『ターミネーター2』の頃はまだ冷戦が終わったばかりであり、ソ連(当時)との緊張関係も感じさせるような設定になっています。それは審判の日の設定。『ターミネーター2』では審判の日とはスカイネットがソ連(当時)に核ミサイルを打ち込むことが戦争の引き金として設定されています。

『ニュー・フェイト』の冒頭でダニエルの弟の仕事がロボットによって奪われるシーンがありますが、この場面はAIが人間を支配する未来を予想させます。

ジェームズ・キャメロンは今作を三部作の第一作目と位置付けており、シリーズ全体を通して『人間と人工知能』がテーマとなるようです。

『ターミネーター ニュー・フェイト』は大きな謎を残しつつも、それでも2019年という時代を映した、もっともオリジナルの『ターミネーター』シリーズに近づいた作品ではないでしょうか。

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