【感想 レビュー】『スミス都へ行く』

『スミス都へ行く』は1939年に公開されたフランク・キャプラ監督の政治ファンタジー映画です。

主演は「アメリカの良心」とも呼ばれたジェームズ・ステュアート。

第12回アカデミー賞で、作品賞を含む合計11部門にノミネートされています。

スポンサーリンク

『スミス都へ行く』のスタッフ・キャスト

監督
フランク・キャプラ

脚本
シドニー・バックマン

原作
ルイス・R・フォスター
『ミネソタから来た紳士』

製作
フランク・キャプラ

出演者
ジェームズ・ステュアート
ジーン・アーサー
クロード・レインズ
ジム・テイラー
ガイ・キビー

『スミス都へ行く』のあらすじ

ある日、とある上院議員が急死した。その上院議員の地元では、州知事と新聞経営者のテイラーが手を組み、ダム建設に関する不正を働いていた。ダム用の土地を安く買い上げ、そこにダムを誘致し莫大な利益を得ようとしていたのだ。

ダム建設の成功のためには自分たちの傀儡となって言いなりに動く都合のいい男を議員として連れてこねばならない。

州知事は迷った挙句、ボーイスカウトの隊長であるジェファーソン・スミスを議員として指名する。

素直で子供たちからの人望はあるものの、無学なスミスは州の実力者の傀儡としては格好の人物でもあった。

こうしてスミスはワシントンへ向かうことになった。

感想・レビュー

アメリカの30年代

『スミス都へ行く』を語るにはまずその時代背景から知る必要があります。

『スミス都へ行く』が公開されたのは1939年。まだアメリカが第二次世界大戦に参戦する前、「孤立主義」を貫いていた頃です。

アメリカの1930年代は大恐慌から始まりました。
1920年代にはかつてないほどの繁栄を遂げ、過去最高のGDPを達成したアメリカでしたが、1929年に起きた大恐慌により、当時のGDPは1920年代初頭の水準にまで後退してしまいます。
当時の合衆国大統領のフーヴァーはこの未曾有の大恐慌に対してほとんど有効な手を打てなかったと言われています。
そんな混迷する時代を反映するかのように『スミス都へ行く』で描かれる世界は不正と汚職に満ちた世界として描かれています。

フランク・キャプラ

監督はフランク・キャプラ。

『或る夜の出来事』『素晴らしき哉、人生!』で知られる名監督です。

『スミス都へ行く』は『オペラハット』『群衆』とならび、キャプラの「デモクラシー三部作」と呼ばれています。

中でも『群衆』では今作で無邪気に称賛されていたポヒュリズムの危険性を描いていることには触れておきたいと思います。

その意味では『スミス都へ行く』は政治ファンタジーとも言えます。

もちろん根底にはキャプラの愛国心が深くあるのでしょう。

キャプラが愛したアメリカとは、自由と博愛、建国当初のアメリカが理念として掲げたものでした。

ジェファーソン・スミスとアメリカ

主人公のジェファーソン・スミスはボーイスカウトの隊長でしたが、急死した上院議員の後任として本来は縁遠い政治の世界に担ぎ出されました。
素直で子供たちからの人望はあるものの、スミスは州の実力者の傀儡としては格好の人物でもあったのです。

このジェファーソンという名は第2代アメリカ合衆国大統領トーマス・ジェファーソンと同じ。

トーマス・ジェファーソンは独立宣言の草案を起こし、「アメリカ合衆国の父」として今なお広い評価を集める大統領でした。
アメリカの独立宣言は「生命・自由・幸福の追及」の権利を明言しており、それは今日の日本国憲法にも影響を与えています。

そんなトーマス・ジェファーソンの名前からなるファーストネームに、一般的なファミリーネームのスミスを組み合わせたのが主人公のジェファーソン・スミスです。

彼はワシントンについてから、リンカーン記念堂やジェファーソン記念館を巡ります。

リンカーン記念堂には以下の碑文が書かれています。

87年前、われわれの父祖たちは、自由の精神にはぐくまれ、人はみな平等に創られているという信条にささげられた新しい国家を、この大陸に誕生させた。

今われわれは、一大内戦のさなかにあり、戦うことにより、自由の精神をはぐくみ、自由の心情にささげられたこの国家が、或いは、このようなあらゆる 国家が、長く存続することは可能なのかどうかを試しているわけである。われわれはそのような戦争に一大激戦の地で、相会している。われわれはこの国家が生き永らえるようにと、ここで生命を捧げた人々の最後の安息の場所として、この戦場の一部をささげるためにやって来た。われわれがそうすることは、まことに 適切であり好ましいことである。

しかし、さらに大きな意味で、われわれは、この土地をささげることはできない。清めささげることもできない。聖別することもできない。足すことも引 くこともできない、われわれの貧弱な力をはるかに超越し、生き残った者、戦死した者とを問わず、ここで闘った勇敢な人々がすでに、この土地を清めささげて いるからである。世界は、われわれがここで述べることに、さして注意を払わず、長く記憶にとどめることもないだろう。しかし、彼らがここで成した事を決して忘れ去ることはできない。ここで戦った人々が気高くもここまで勇敢に推し進めてきた未完の事業にここでささげるべきは、むしろ生きているわれわれなのである。われわれの目の前に残された偉大な事業にここで身をささげるべきは、むしろわれわれ自身なのである。―それは、名誉ある戦死者たちが、最後の全力を 尽くして身命をささげた偉大な大義に対して、彼らの後を受け継いで、われわれが一層の献身を決意することであり、これらの戦死者の死を決して無駄にしないために、この国に神の下で自由の新しい誕生を迎えさせるために、そして、人民の人民による人民のための政治を地上から決して絶滅させないために、われわれがここで固く決意することである。

この文章を見て、無学だったスミスはアメリカの理念に触れていきます。

民主主義の教材

『スミス都へ行く』は民主主義の教材とも呼ばれています。

確かにこの作品は民主主義に対する一端の示唆を与えてくれます。
市民を代表する議員は民意を反映した政治を行わなければならないはずが、いつしか己の利権のために堕してしまう。
キャプラは民主主義の理想の在り方をスミスに託します。

それは政治のプロの中からリーダーを選ぶのではなく、大衆の、市民の中からリーダーを選ぶべきだという考えです。
まさに「人民の人民による人民のための政治」。キャプラは他の作品でもリンカーンをしばしば引用しています。

スミスは議員となりましたが、無学でいきなり政治の世界に放り込まれた彼をマスコミは嘲笑気味に書き立てます。

己の無学さを知ったスミスは政治家らしいことをしようと考えます。それは子供達のために法案を提出するということ。
スミスは地元に子供達のためのキャンプ場を作ろうと考えました。

階層も、出身も違う子供同士が自由に交流できる場所。

スミスはこの法案にアメリカの理念を込めています。

しかし、スミスがキャンプ場を計画したその場所はテイラーがダムのために買占めようとしていた土地でもありました。

不正に気付いたスミスは、アメリカの理念を胸に戦います。

「キャンプ地にダムを造って政治家に設けされるようではダメだ!」

「”キャンプ場も民主主義の理想も忘れろ”と言えるのか?」

不安定な国際情勢の中に込められたメッセージ

今作には経済的には大恐慌後であっても、孤立主義を貫いていた頃のアメリカの姿もまた反映されています。

スミスが後継者に指名され会見を行うシーンでは、盛大なパーティの様子が映し出され、まさにこの時代のアメリカの栄華を感じさせます。

その一方で国際情勢は既に戦争の時代へと突入しており、アメリカでも左派の人はナチス・ドイツを止めるためにアメリカも積極的に参戦すべきだという声がありました。

キャプラの息子はキャプラは『スミス都へ行く』で不安定な国際情勢の中で自由や民主主義が脅かされる危険性があること、そして自由や民主主義は当たり前には存在し得ないことを訴えたかったのだろうとコメントしています。

ちなみにチャップリンがナチス・ドイツをモチーフにした『独裁者』が公開されたのは本作公開の翌年の1940年でした。

そして、アメリカが戦争に突入していくなかで、スミスを演じたジェームズ・ステュアートも軍に入隊、監督のフランク・キャプラも積極的に軍部と関わり、戦争の記録映画や国威発揚のための作品を撮っていくことになります。

キャプラが戦後に監督した『素晴らしき哉、人生!』はキャプラ自身の戦争体験を反映したような陰影が表れています。

created by Rinker
ソニーピクチャーズエンタテインメント
スポンサーリンク
スポンサーリンク