【つまらない邦画】駄作過ぎて逆に観たい!愛すべき最低映画まとめ

こんにちわ~!今回は駄作過ぎて逆に観たい!愛すべき最低映画まとめと題して、一般的に「つまらない映画」と思われている作品に焦点を当ててみたいと思います。
もちろん、つまらないが故の不思議な魅力だったり、独特の愛すべき魅力を持った作品も多いです。

今回は邦画ですが、洋画もまとめていますので、よかったら見てみてください。

【つまらない洋画】駄作過ぎて逆に観たい!愛すべき最低映画まとめその2

追記:個人的に結構本気で怒っている映画もあります。。

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幻の湖

東宝創立50周年記念作品 、第37回文化庁芸術祭参加作品という肩書と、脚本に黒澤明監督作の常連だった橋本 忍の監督作。
ではあるものの、あまりに奇想天外且つ難解なストーリーによって文字通り長らく「幻の作品」になっていた今作。
愛犬を殺された風俗嬢が犯人とマラソン対決をしたり、そこにスペースシャトルや戦国時代の話まで絡んでくる意味の分からなさが後年、カルト映画として本作を再評価する流れになっています。
また、後年橋本 忍自身も、本作を「失敗作」であると認めています。
(でもきちんとDVD化されていたりと、「珍作」「カルト映画」としては人気があるということなのでしょう。)

北京原人 Who are you?


20億の予算をかけ、ベテランスタッフをそろえた今作ですが、ハチャメチャな展開、矛盾だらけのストーリーで興行的に大失敗。
今や邦画屈指の「底ぬけ映画」「カルト映画」として再評価(?)されています。
しかし北京原人の鳴き声が「ウパー」だったり、なぜ能力を証明させるために陸上競技大会に現代人の選手として出場させるかなど謎と疑問、矛盾はつきない。。
映画監督北野武も本作を「偉大な作品」としてある意味評価しています。

デビルマン


デビルマン
壮大な物語の原作をわずか2時間に押し込んだストーリー展開の唐突さ、さながら「学芸会」と揶揄されたキャストの演技力などで「駄作」「最低映画」「バカ映画」の称号をほしいままにしている、ある意味では金字塔的な作品。
もはやカルト映画と呼んでもいいと思います。




シベリア超特急

映画評論家の水野晴郎が主演・監督・原作・脚本・製作・主題歌の作詞までこなしている、メチャクチャ気合の入った作品。

水野氏自身が演じる日本陸軍大将・山下奉文が安楽椅子探偵(アームチェア・ディテクティブ)の形で事件を推理・解決していく本格ミステリー。

・・・のはずだったのですが・・・

  • 走行中の列車を舞台にした作品では画面を上下動させることで走行中の揺れを演出するのが常套手段だが、この作品ではそれが行われておらず、列車がベニヤ板であることがはっきり見て取れる。
  • 登場人物を紹介するために車掌が切符を切る形(車内改札)で一人一人登場人物を画面に見せるわざとらしさ。
  • 車掌が殺されているにもかかわらず、何事もなかったように列車が走り続ける不自然さ。
  • 俳優としての経験も無いに等しい稚拙な水野晴郎の演技。
  • ラストにカメラ目線で発言される不自然な台詞。
  • (第3作)出番待ちしている水野晴郎が不意にカメラに映ってしまっている(業界用語で言う「見切れている」)。水野によれば、これも自らの映画に姿を見せるのが恒例となっていたヒッチコックへのオマージュ。

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A2%E8%B6%85%E7%89%B9%E6%80%A5
シベリア超特急 – Wikipedia

水野晴郎の情熱とは対照的な上記のようなチープさが映画ファンに好意的に受け止められ、カルト映画化しています。
まさに愛すべき最低映画と呼べる作品。

踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望

ハッキリ言って題名と真逆の内容。深津絵里演じる恩田すみれは劇中死亡したと思しき描写がありますが(監督は「すみれは既に死亡しており、最後に登場したのは幽霊か幻」と見えるように意図したことを認めている)ヒロインを死亡させておいて「新たなる希望」もクソもないと思います。

誰かが死ねば新鮮なんじゃね?感動するんじゃね?話題になるんじゃね?的な安直さが感じられる作品。

ハッキリ言ってシリーズの最期を締めくくるにふさわしいとは到底思えないひどい出来の作品。

踊る大捜査線 THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!

これもそう。

とにかく、それまでの犯人勢ぞろいさせておけば盛り上がるだろうという安易な脚本。

踊る大捜査線って、僕はドラマ版や、劇場版の一作目は好きなんですが、2作目以降あまり評価してないです。



ゴジラ FINAL WARS


FINALと名の付くものはあまねく駄作なのか?と思いたくなる作品。前述の「踊る~」同様に、それまでの犯人勢ぞろいさせておけば盛り上がるだろうという安易な脚本とマトリックスの劣化コピーのようなチープな人間アクションでゴジラ映画である必然性が全く感じられない作品。個人的にワーストゴジラ映画。北村一輝の割り切ったキレた演技が唯一の見どころかも。

ギャラクシー街道

三谷幸喜、どうした!?と思わず叫びたくなる駄作。個人的にも三谷作品のファンなだけに余計そう思います。
しかしある意味贅沢な映画だも思います。

二時間弱の大がかりなコントだと思えば。

三谷幸喜作品には安心感があります。誰にも受け入れられやすい、際どさの少ない良質なコメディとどんなトラブルも回収してハッピーエンドへ向かうカタルシス。
ただ、ある意味で作る側にはそれが窮屈だったのでしょうか?
一応、出産シーンがクライマックスになるのでしょうが、出産自体も何の伏線もなく、突然勃発した事態(一応おでこを擦り合わせるというのはありますが)。
小栗旬の変身後のキャプテン・ソックスも期待はずれに終わり、なんだか肩透かしを食らったような印象を受けます。
願わくば、願わくばなんですけど、いつかこの映画が北野武監督の『みんなやってるか~!』的な立ち位置として『愛すべき駄作』になることを願ってやみません。
この映画を撮ることで三谷幸喜監督自身のガス抜きができた、、、せめてそうではないと擁護できんなぁと。。



謝罪の王様

途中までは面白かったんですが、個人的には結末がとても残念に感じました。

前述のように、序盤のエピソードでは阿部サダヲ演じる黒島譲がユニークかつある意味理論的な謝罪で事を収めていくんですが、クライマックスは国家間のトラブルを収めるための謝罪。

文化も慣習も言語も違う国で、黒島譲の仕掛ける謝罪方法はことごとく裏目にでます。

そこで、トラブル相手の国・マンタン王国で『土下座を越える謝罪』として紹介されるのが、、マンタン王国の言葉で最上級の謝罪の言葉『ワキゲボーボージユウノメガミ(脇毛ボーボー自由の女神)』というのですが、個人的には納得いかない。。

二時間映画を見せておいて、小学生レベルのギャグをクライマックスの解決策としてもってくるのはいかがなものでしょうか。正直かなり醒めました。

トラブル相手の国がマンタン王国という架空の国の設定なのも、結局はこの台詞をつかいたいがためなのでしょう。

台詞も含めてその発想は安易すぎると思いますし、『これで観客が楽しんでくれるだろう』と考えるのであれば、それは観る人をバカにしているのではないでしょうか?

例えばラーメン屋でかつて黒島譲に謝罪を要求された元店員の船木は、数年ぶりに黒島譲に会いに来て、『土下座を越える謝罪』として『ワキゲボーボージユウノメガミ』と伝えるわけですが、それはあくまでマンタン王国でのケースに限定した場合だと思うんですよね。

それを日本人同士で果たして使う意味があるのか?ということです。単に言いたかっただけではないのか?と思ってしまいます。

最低限のリアリティには誠実であるべきでは?

あら探しといわれればそうかもしれませんが、しかし最低限のリアリティーには誠実であるべきだと思うんです。自分が船木だったとして、謝罪の時に『ワキゲボーボージユウノメガミ』と言うでしょうか?日本人同士であれば、日本語で素直に謝意を伝えようとするのではないでしょうか?

ましてや本作は誠実さが要求される最大のものである『謝罪』をテーマにした映画なだけに、、、どうしても納得いかないところです。

軽い気持ちでサクッと見れる作品ではあるんですが、うーん、大人が観るのはキツイかなというのが正直な感想ですね。

参考:【感想レビュー】「謝罪の王様」アイデアは素晴らしいが結末はつまらない!?



本能寺ホテル

同じようなキャストで同じような歴史関連で同じフジテレビが製作した『プリンセス・トヨトミ』。

なぜここまで既知感のあるキャストとテーマでまた時代物を映画化するのかさっぱり理解できませんが、それでもこのプロットは面白そう!と借りてきた僕が一番悪いのかもしれませんね。もちろんフジテレビ製作ということで、一抹の不安はありましたが。。

さて、作品冒頭にも述べられている通り、実は本能寺の変って謎が多いんですよ。

もちろん信長を討ったのは明智光秀に違いないのですが、その動機すら大きな謎のままになっています。

『本能寺ホテル』ではその謎をエンターテインメントで上手い具合に穴埋めしてくれるのか?と期待してたんですが。。。

説明口調のセリフが鼻に付く・・・

綾瀬はるか演じる主人公の繭子が戦国時代に迷い込み、蘭丸と初めて会ったときに、自分の状況を説明するのですが、、常識的に考えて、初対面の人に聞かれてもいない恋人との結婚の話とかするはずがないじゃないですか。それもいきなり「恭一君が~」とか、自分にしかわからない名前をいきなり出すのは普通の会話としてもありえないですよね。

観客に繭子の状況を説明するためのセリフなのですが、正直めちゃくちゃそれが鼻につくんです。

フジテレビのコメディ映画の悪いところってそこで、いつまでもバラエティの感覚が抜けきれないのか、分かりやすくしよう、すべてセリフ(とかテロップ)で伝えてあげよう、という考えが透けて見えるんですね。

もちろんそれが必要な場合もあります。しかし、何でもかんでも説明するというのはあまりに芸がない。何よりリアリティに欠けるので醒めてしまうんです。

コメディならコメディでもっと『本能寺の変』の謎、明智光秀はなぜ織田信長を襲ったのか?という部分にもっと切り込んでいったほうが面白かったでしょうし、これではただ単に主人公が一人でドタバタしてるようにしか見えないんですよね。

信長らは繭子から明智光秀の謀反を事前に聞いていても悠然と構えている。

繭子の影響ってそんなになかったんじゃないかな?と思うんですね。ただ主人公が騒いでいるだけの印象ですね。

ただ、堤真一演じる織田信長は良かったです。もっとシリアスな映画での堤真一の織田信長も観てみたいと思わせますね。

綾瀬はるかと堤真一、かなり息の合ったコンビだと思います。バラエティやトークで見せる相性の良さは映画でも遺憾なく発揮されていますね。

他にも実際にセットを燃やしたクライマックスシーンなど、観るべきポイントはあるのに、肝心の脚本がダメなんですよね。。



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