「トイ・ストーリー4」は2019年に公開された「トイ・ストーリー」シリーズの4作目。
「これ以上ない三部作」と言われた『トイ・ストーリー3』の9年ぶりの続編になります。
果たして完璧な物語のその先を作った意味とは何だったのでしょうか。
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「トイ・ストーリー4」のスタッフ・キャスト
監督
ジョシュ・クーリー
脚本
ステファニー・フォルサム
アンドリュー・スタントン
製作
ジョナス・リヴェラ
マーク・ニールセン
出演者
トム・ハンクス
ティム・アレン
アニー・ポッツ
日本語吹替
唐沢寿明
所ジョージ
戸田恵子
「トイ・ストーリー4」のあらすじ
ボニーの元で元気に暮らすおもちゃたちだったが、ウッディは女の子であるボニーから遊び相手として選ばれる頻度も少なくなり、寂しさを感じていた。
前の持ち主、アンディの一番のお気に入りであったウッディは。その頃と今の現状に悲しみを覚えつつも、ボニーの初めての幼稚園に彼女をサポートするために一緒についていくことに。
幼稚園では内気で他の子供たちと馴染めないボニーを見かね、ウッディは知られぬようこっそり、助け船を出してゆく。
その甲斐あってボニーは幼稚園でも明るくなれたが、そのきっかけはフォーキーだった。
フォーキーとはボニーがウッディにこっそり渡されたゴミで作った、彼女お手製のおもちゃなのだった。
フォーキーはボニーの一番のお気に入りになるものの、フォーキー自体は自分をゴミだと思っており、おもちゃになったということを中々認められない。
度々ボニーのもとから逃げ出し、ゴミ箱に行こうとするフォーキー。
それはボニーの家族旅行の際にも直らず、フォーキーは走行中のキャンピング・カーから道路へ逃げ出してしまう。
たまらずウッディが後を追って道路に飛び降りるが、これをきっかけにおもちゃ達はまたもやトラブルに遭遇していくことになる。
感想・レビュー
※物語の核心に触れていますので、ご注意ください!
完璧な三部作のその後
長い期間を空けた映画の続編、それは大きく分けて二つのパターンに分かれるかと思います。
一つは決して良い出来ではなかった「最終作」を塗り替え、有終の美を飾るためのもの。
例えば『ロッキー5』から16年の月日を経て公開された『ロッキー・ザ・ファイナル』がこのパターンかと思います。
もう一つはキレイに終わった作品の続編をつくること。この場合はある程度のヒットは見込めるものの、その評価は概して低くなることが多いかと思います。
こちらは代表的な例でいくと、『ターミネーター2』の12年後に公開された『ターミネーター3』になるでしょうか。
さて、今回は「これ以上ない三部作」と言われ、完璧なフィナーレを見せた『トイ・ストーリー3』の9年ぶりの続編。
果たしてその意味とは何だったのでしょうか。近年公開された他の映画の傾向も交えながら考えてみたいと思います。
ボー・ピープとの別れ
映画の冒頭は9年前の大雨の日。
いきなり9年前と言われ、「2010年の『トイ・ストーリー3』が公開された年だろうか?」と戸惑いますが、あくまで『トイ・ストーリー4』の時間軸は『トイ・ストーリー3』の続きになり、ここで示される9年前とはアンディが8歳の頃の話になります。
大雨の夜、日中に庭で置き忘れられたラジコンカーをウッディたちは必死に救出します。しかし、同じタイミングでモリーがボー・ピープを手放すことになり、ウッディたちとも離ればなれになってしまいます。
「こどもたちは毎日のようにおもちゃをなくす」
そう言ってボー・ピープはウッディにこれも仕方のないことと別れを告げます。
実写としか思えない雨の描写がまず凄いですね。窓を伝う雨粒、濡れる描写・・・。当時、世界初のフルCG長編アニメとして制作された『トイ・ストーリー』ですが、今なおそのクオリティは最高峰に居続けていることを思い知らされます。
このシーンは『トイ・ストーリー3』になぜボーピープが登場しなかったのか?という疑問に回答する場面にもなっています。
「強い女性」
そして物語は現代に。ボニーは幼稚園の体験入学で作ったお手製のおもちゃのフォーキーとウッディたちをつれて家族旅行へ。
ボニーの旅行先の移動遊園地でウッディはボー・ピープと再会します。
9年ぶりの彼女はドレスを脱いで、たくましささえ感じさせる女性に変わっていました。
「強い女性」、近年の映画にはそれを強く反映した作品が目立ちます。
例えば実写版の『アラジン』。ディズニーのアニメーション映画を原作とした作品ですが、実写でのジャスミンは自身の手で国を良くしたいという強い意思をもった女性として描かれており、原作より自立した女性に設定されています。
『トイ・ストーリー4』のボー・ピープもまさにその一人。彼女はウッディらから離れた9年間で様々なことを知り、様々な価値観に触れていました。
時にリーダーシップを発揮し、またしたたかで計算高い一面も見せるボー・ピープ。
『トイ・ストーリー4』では全編を通して彼女がキー・キャラクターであり、ウッディに新しい世界や価値観を案内していく役割も負っています。
大人向けの作品
個人的には『トイ・ストーリー』シリーズ以外の海外アニメ映画って進んで観に行こうとは思わないんです。
理由としてはいくつかありますが、どうしても他の作品は感情のデフォルメが激しく子供っぽく見えてしまうから、というのが一つはあります。例えば『モンスター・ホテル』シリーズなどはそんな印象を受けました。もともと子供向けではあるのでしょうが。。
それで言うと、『トイ・ストーリー』シリーズは感情を過度に描くことはなく、しかし私たちの感情に遠慮することもない作品だと感じます。
今作においても、突然登場するアンティークショップの人形はホラー映画『アナベル 死霊館の人形』の人形かと思うほどですし、その際のBGMはスタンリー・キューブリックの『シャイニング』で流された「Midnight, The Stars and You」という楽曲です。
実際に『トイ・ストーリー』シリーズはシリーズを追うごとに大人向けの作品になっています。
『トイ・ストーリー3』は大学進学を控えたアンディと、ウッディらとの別れがテーマでしたが、どう考えても『トイ・ストーリー』とともに育ったかつての子供、現在の大人向けに作った作品です。
あのノスタルジーは子供が完全に理解するのは難しいでしょう。
何がおもちゃにとっての幸せなのか
今作ではさらに踏み込んで根本的な『何がおもちゃにとっての幸せなのか』それと相反するような『人格を持った存在としてのアイデンティティ』がテーマの中心なのだと感じます。
アンティーク・ショップのおもちゃ達に捕まったフォーキーをウッディは何度も助けようとしますが、ボー・ピープをはじめとする他のおもちゃはそんな彼の行動を「独りよがり」「自己満足」と言い捨てます。
ウッディは自らの行動の原動力となっているのは持ち主への「忠誠心」だと言います。
『トイ・ストーリー』シリーズを通して、おもちゃの幸せは持ち主に大切に遊んでもらうこととして描かれてきました。
しかし、実際はシリーズの中でウッディをはじめとするおもちゃ達は様々な生き方に触れています。
『トイ・ストーリー2』では博物館に飾られる生き方。持ち主に捨てられることなく、仲間と一緒にいられる、これに希望を抱いていたのがジェニーやブルズアイでした。
『トイ・ストーリー3』では特定の持ち主を持たない、幼稚園のおもちゃとしての生き方。
ウッディは『2』では一時はジェニーやブルズアイとともに博物館に飾られる生き方を望みますが、テレビで子供に抱きしめられている自分の姿を見たことで、本来の自分の幸せに気づきます。しかし『3』では幼稚園のおもちゃとしての新しい生き方に喜ぶ彼の仲間たちに向かってウッディは『例え遊ばれることがなくなっても持ち主に尽くすべき』と考え、「俺たちはアンディのおもちゃだろう」と自分にとっての幸せを周囲に押し付ける形にもなってしまいました。
一方でその幼稚園の教室の園児はまだ幼く、おもちゃをどうしても荒っぽく遊んでしまいます。そのハードな光景にバズたちは驚き、怯えてしまいます。
幼稚園の教室をおもちゃにとって過酷な環境に設定したのはウッディの価値観を正当化させるための意味も含まれていると思います。
そんなウッディが抱いていた「幸せ」の価値観は本作で一度否定されることになります。
ウッディの成長
監督のジョシュ・クーリーは「今作でウッディの成長は描けた」とインタビューに応えています。
第一作目では新しく登場した最新型のおもちゃのバズ・ライトイヤーに嫉妬し、アンディからの愛情を独占しようとしていますが、本作ではフォーキーが最もボニーから愛されていることを受け入れており、彼女を悲しませないようにフォーキーを博物館から命を懸けてボニーのもとへ返そうとしています。
このような持ち主への献身をウッディは「忠誠心」という言葉で表しますが、前述した通り、それが時に周囲との軋轢を生むことにもなりました。
ウッディの姿勢は誠実そのものとも言えますし、逆に言えば盲信的だとも言えます。
ここで参考にしたいのが2016年の映画『ムーンライト』。ゲイの黒人のシャロンの少年期から30代までを描いた作品で、アカデミー賞作品賞にも輝いた映画です。劇中で幼いシャロンに親代わりでドラッグの売人であるフアンはこう言います。
「いつか自分の人生を決めるときがくるだろう、しかし、自分以外の誰にも決めさせるな。」
果たして大人になったシャロンはフアンと同じドラッグの売人として生活しています。しかし、それは本当に自分の選んだ生き方なのか。
『ムーンライト』はマイノリティの主人公を通して本来の自分の姿を問いかけます。
この問いはウッディにも当てはまるのではないでしょうか。
「おもちゃ」というアイデンティティ
自分達おもちゃには人格も、意思もある、おもちゃとしての幸せもあるが、逆にそれに囚われてはいないだろうか?
やせっぽちでいじめられっ子だったシャロンは大人になると筋骨粒々の男へ変貌します。そんなシャロンを監督のバリー・ジェンキンスは「男らしさ(マスキュリニティ)に支配されているんだ」と解説します。
ウッディもまた、「おもちゃ」というアイデンティティに必要以上に囚われていることを『トイ・ストーリー4』では投げ掛けているのです。
実際のウッディはそのアイデンティティすら揺らいでいます。前述のとおり、ボニーには相手にしてもらえず、自分なりにボニーをサポートしようとしても、他のおもちゃからは「やりすぎだ」と言われる始末。自分の役割が見えなくなっています。
そんな彼の前に現れたのがフォーキー。本作におけるアイデンティティを象徴するもう一人のキー・キャラクターだと思います。
一作目に登場したバズ・ライトイヤーが強固なアイデンティティを持っていたのとは対称的に、フォーキーは自分が何者であるかもわからず、ひたすら「自分はゴミだ」という弱々しいキャラクターです。
そんなフォーキーにウッディはアンディやボニーを例に出し、子供にとっておもちゃがどれだけ大切な存在か、持ち主がいるおもちゃとしての役割をフォーキーに伝えていきます。
フォーキーもまた次第に自分の役割を自覚し、明るさを持ち始めていきます。
実はウッディはフォーキーを通して「ボニーを喜ばせる」という自分の役割を果たしているのです。それが最後に残されたウッディのアイデンティティなのでした。
すべてが終わった後、ウッディはある決断をします。
それは、ウッディが初めて自分の人生を歩み始めた瞬間。
自分の「おもちゃ」という役割を超え、「心の声」に素直に従った決断でした。
生き方の多様性と様々な価値観の肯定
『トイ・ストーリー4』では生き方の多様性と様々な価値観の肯定を描いています。
今までの『トイ・ストーリー』シリーズと違うのは、勧善懲悪的なオチはつかないということ。
それぞれの人生の道のりに善悪をつけず、それそれがあるべき人生を歩みだしています。
今作に限らず『ワンダー 君は太陽』、『グレイテスト・ショーマン』など多様性と様々な価値観の肯定をテーマにした作品は近年特に目立ちます。
本作のキャッチコピーは「あなたはまだ─本当の「トイ・ストーリー」を知らない。」
『トイ・ストーリー3』で描かれたアンディとの別れは『2』の段階で示唆されており、また私たちの誰もが経験した、必然の語られるべきストーリーだったと思います。
『トイ・ストーリー4』にはそういった意味での必然性こそないものの、本当の意味での「おもちゃの物語」が初めて語られるのです。