【感想 レビュー】「ギター弾きの恋」ウディ・アレンが「道」を撮ったら

『ギター弾きの恋』は1999年に公開されたウディ・アレン監督・脚本のたドラマ映画。

主演はショーン・ペン。ショーン・ペンは本作でアカデミー主演男優賞に、ハッティを演じたサマンサ・モートンはアカデミー助演女優賞にノミネートされました。

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『ギター弾きの恋』のスタッフ・キャスト

監督
ウディ・アレン

脚本
ウディ・アレン

製作
ジーン・ドゥーマニアン

製作総指揮
J・E・ボーケア

出演者
ショーン・ペン
サマンサ・モートン
ユマ・サーマン

『ギター弾きの恋』のあらすじ

ジャンゴ・ラインハルトを思慕する天才ミュージシャンのエメット。彼はジャズ・ギタリストとして「自分は世界でジャンゴの次にギターが上手い」という自負があり周囲もそれを認めていたが、その反面、粗暴で自己中心的な性格で、享楽的で、刹那的な生き方を続けていた。

そんなある日、友人との賭けに負けたエメットはある女の子をナンパすることに。

その女の子ハッティは口のきけない女性だった。エメットは「外れくじを引いたぜ」といい彼女につらく当たるものの、優しいハッティに次第にひかれてゆく。

感想・レビュー

現代に引き継がれていく名作

名作と呼ばれる映画は、続編やリメイクという形でなくとも、現在に再構成され、受け継がれていくものがあります。
マーク・ウェブが2011年の映画『(500)日のサマー』で、ウディ・アレンの1977年の映画『アニー・ホール』を下敷きにしたように。

そして、ウディ・アレンも今作『ギター弾きの恋』で、フェデリコ・フェリーニ の『道』を下敷きにしていると思います。

『道』

ウディ・アレンが『道』と撮るとこうなるのか、と感じました。

大道芸人のザンパノはジャズの大ファンでもあるウディ・アレンらしく、ジャズ・ギタリストに職業が変えられ、『道』ではジェルゾミーナにあたるキャラクターのハッティは死ではなく結婚という形でエミットの元を去ります。

ウディ・アレンの作品にはどれも根底に深いヒューマニズムが息づいています。
どの映画にもウディ・アレンの共通した思想や価値観、息づかいが感じられるのです。
その一つが、。

『マンハッタン』『アニー・ホール』では、ワガママで偏屈な主人公が、その生き方の報いのようにそれまで当たり前のように感じていた愛情からはぐれてしまう苦い結末になっていますし、『マッチポイント』では、身勝手な殺人を犯した主人公は、ある意味では刑事罰より重い罪と秘密を生涯抱えて生きていくことになるラストを迎えます。

逆に『ミッドナイト・イン・パリ』では恋人に捨てられ、現代に馴染めない主人公は最後には細やかな幸せを手にします。『マジック・イン・ムーンライト』もそうでした。

今作の主人公のエメットは天才ミュージシャンであるものの、粗暴で自己中心的。享楽的で、刹那的な生き方を変えることのできない男。

「俺はアーティストだ。自由に生きる主義だ」がエメットの口癖。

ウディ・アレンの映画は主人公にどこかウディ・アレン自身のイメージを投影させた部分が見え隠れしますが、今作のエミットには口数の多さや皮肉屋な一面、女性好きなどの部分にウディ・アレン自身が投影されていると感じます。
また、以前は女性に対してシャイなイメージでしたが、プライベートの女性問題のこともあってか、今作では女好きで見境のないキャラクターを作り上げています。もちろんそうでないと、『道』を撮ることはできないのですが。

ウディ・アレンとジャズ

さて、前述のとおり、ジャズの大変な愛好家として知られるウディ・アレン。
『アニー・ホール』でアカデミー作品賞を受賞した時も、授賞式をすっぽかしてニューヨークのでクラリネットを吹いていたという伝説があります。

本作もまた音楽に特別の想いを寄せるウディ・アレンらしさが詰まっています。
エメットはどんなに無軌道で無作法な振る舞いをしていても、ギターにだけは常に真摯に取り組んでいます。劇中でもユマ・サーマン演じるブランチはエメットを「暴力性を音楽で発散している」と述べています。

そして、劇中ではウディ・アレンをはじめとした評論家たちから、エメットはあくまでジャズミュージシャンとしての側面からのみ語られます。

ギターの意味

ウディ・アレンは『ギター弾きの恋』のギターにどんな意味を持たせたのでしょうか。

それはエメット自身の「純粋さ」ではないでしょうか。
粗暴な振る舞いで強がってはいても、心の底ではエメットは愛情を求めていました。

自他ともに認めるイイ女のブランチと結婚しても、愛情のない関係にエミットは満ち足りずに、ニューヨークへ戻ります。
そこで、ハッティと再会するのです。

「ニューヨークのクラブと高いギャラで契約した。良ければ一緒に来ないか?先のことは約束できないが、それなりに楽しいはずだ」

そうハッティを誘うも、彼女は既に結婚していました。『道』ではジェミゾリーナは誰にも省みられることなく孤独のうちに没していますが、ここを他の男との結婚という救いのある設定にしたのはウディ・アレンらしいところです。

喪失感を埋め合わせるかのようにエメットはダンサーを誘い出しますが、彼女はエミットの行動が理解できません。エメットは気まぐれにギターを奏でますが、いつしか、そのメロディーはハッティに聴かせた時の曲になっていました。
エメットはギターを奏でながら彼女との日々を回想します。
ここで初めてエメットは素直にギターに感情を委ねています。

それは仮面を取り去った素顔の想い。

劇中でブランチはエメットが思慕するギタリスト、ジャンゴに敵わない理由として、「ジャンゴは演奏のなかに自分の感情をありのままにさらけ出している」と指摘しています。
そして、その感情とはハッティへの愛の深さであり、後悔の大きさでした。
それにに気づいたエメットは自分のアイデンティティともいえるギターを破壊し、慟哭します。この慟哭のエンディングは『道』と同じです。

しかし、『ギター弾きの恋』で死んだのはジェルソーナにあたるハッティではなく、音楽家としてのエメット。

本当に大切なものに気づいたときにはそれは自分自身を差し出してももはや手に入らない場所にある。

愛とは不合理なものだとウディ・アレンは『アニー・ホール』のラストシーンで語りかけます。

今作でもウディ・アレンは同じように愛情の素晴らしさ、人の愚かさを描いています。

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