イライザの同僚のゼルダ・フラーはイライザの様子がいつもと違っていることに疑いの目を向けていきます。
60年代の人種差別
ちなみにイライザの同僚、ゼルダを演じたオクタヴィア・スペンサーは『ドリーム』で差別に苦しみながらもマーキュリー計画の成功に奔走するNASAの黒人女性計算手、ドロシー・ヴォーンを演じています。
『ドリーム』ではNASAの施設内での黒人差別がテーマの一つでしたが、あくまでそれは映画的なフィクション。キャサリンがNASAで働いていた1961年当時には映画のような区別はNASAでは存在しませんでした。
史実では50年代の終わりにはすでにNASAではそうした人種による場所の区別は撤廃されています。
しかし、黒人差別の強かった南部、テキサスではNASAの敷地外では露骨に黒人差別が行われていました。
同時代での南部での黒人差別は『グリーンブック』でも描かれています。宿泊施設や飲食店において、黒人は著しい制限が設けられていました。
『シェイプ・オブ・ウォーター』にもパイ店の店主が黒人の店内での飲食を断るシーンがあります。
ジャイルズはその場面に遭遇し、自分も半魚人を理解しようとせず、ただ「怪物」として差別していたことに気づくのです。
「ありのままを認めること」
この「ありのままを認めること」に対してギレルモ・デル・トロは既存のファンタジーやおとぎ話にも厳しい目を向けています。
僕は『美女と野獣』が好きじゃない。『人は外見ではない』というテーマなのに、なぜヒロインは美しい処女で、野獣はハンサムな王子になるんだ? だから僕は半魚人を野獣のままにした。モンスターだからいいんだよ
出典:https://bunshun.jp/articles/-/6307
ギレルモ・デル・トロ「テレビの中の怪獣だけが友達だった」 | 文春オンライン
ギレルモ・デル・トロのいう通り、半魚人は最後までモンスターのままです。
幼いことからいわゆる「オタク」であり、周囲に溶け込めなかったギレルモ・デル・トロが夢中になったのが、ゴジラやウルトラマンなどの特撮映画、そしてそこに出てくる異形のモンスターや怪獣たちでした。
『シェイプ・オブ・ウォーター』でも一貫した異形への愛情を感じます。
しかし、なぜイライザはそんな異形の半魚人に恋したのかー。
瀕死のイライザを抱いて海に飛び込む半魚人。彼の治癒力でイライザは息を吹き返します。そして首にあった傷跡が傷ではなく「エラ」だったことが明らかになるのです。
それは果たして半魚人がイライザを治癒したときに与えた能力なのか、それとも彼女は人間ではなかったのか。
すべての生命は海から生まれたと言われています。
仮にイライザには最初から海へと還るような運命だとしたら・・・。そのために「エラ」が最初から本人にも気づかないように備わっていたのだとしたら。
そんなことを思うと半魚人と愛情を交わせたことも何となく理解できるのです。
『人魚姫』では人魚は陸へ上がり、人間として暮らしますが、『シェイプ・オブ・ウォーター』は逆に海へと飛び込みクリーチャーの世界で生きていく、対照的な結末。
しかし、その結末は同じ幸せに溢れているはずです。
水の形…それは決まった形を持たない、「愛」そのもの。