『エイリアン4』は1997年に公開された「エイリアン」シリーズの4作目。
リドリー・スコット、ジェームズ・キャメロン、デヴィッド・フィンチャーとハリウッドの大物監督になる人たちが監督してきた「エイリアン」シリーズ。
4作目となる今作はフランスからジャン・ピエール・ジュネを招聘して製作されました。
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「エイリアン4」のスタッフ・キャスト
監督
ジャン=ピエール・ジュネ
脚本
ジョス・ウィードン
出演者
シガニー・ウィーバー
ウィノナ・ライダー
ロン・パールマン
ドミニク・ピノン
「エイリアン4」のあらすじ
舞台は前作から200年後の世界。ウェイランド・ユタニ社は存在せず、今作では軍がエイリアンを利用しようとする。
溶鉱炉に身を沈めたリプリーだったが、今回は軍によってクローンとして復活。
リプリーが復活した理由も「リプリーの体内からエイリアンを取り出す」ため。
しかし、DNAレベルでエイリアンと融合してしまっていたリプリーは外見こそ変わらぬままですが、驚異的な身体能力と、エイリアンと変わらぬ強酸性の血液を持つ存在になっていた。
一方、軍では宇宙貨物船ベティのクルーのリーダー、エルジンとの裏取引が行われていた。
その内容とはペティのクルーにエイリアンの宿主としての人間を調達してくるというもの。べティのクルーは拉致同然に調達した人間を軍に引き渡す。
そのころ、べティクルーと、軍の間でトラブルが発生。エイリアンは研究者の注意が自分達から逸れた隙を利用し、檻からの脱出に成功。
軍のメンバーやエルジンを殺害しながら船中に散らばっていく。リプリーもエイリアンの脱出を感じとり、ベティのメンバーと合流してエイリアンとの戦いに挑む。
感想・レビュー
「エイリアン」シリーズの異色作
シリーズを通して異色作とも言える出来映えです。
前作の『エイリアン3』が武器もなく、ただ一匹のエイリアンに一人一人殺されていくという、どこか最初の『エイリアン』を思わせる作風だとしたら、今回の『エイリアン4』は多数の『エイリアン』に屈強な荒くれ者たちが立ち向かう『エイリアン2』に通じる作品になったかなと思います。
映画を通して様々な雰囲気やカラーに富んでいるのも魅力の一つですね。
ショットの美しさ
今作を監督するにあたってフランス出身のジュネはハリウッドのアクション映画のフィルムを手に入れ、カット割りを細かく分析したといいます。
それもあって、『エイリアン4』にはハッとさせられるような美しいショットが多数あるのも見逃せません。
例を挙げると、ベティのクルーが初めてエイリアンと遭遇するシーン。クルーがエイリアンの方向を振り向き、最後に一番手前にいるウィノナ・ライダー演じるコールが振り向く。ウィノナ・ライダーの驚きやエイリアンの脅威をうまくとらえた構図です。
また、プールから上がってきたクリスティの足にエイリアンが迫る場面。
ロン・パールマン演じるジョナーがクリスティ越しにエイリアン撃ちまくるシーンは上から下を見下ろす構図で、今作で最も印象的な場面の一つになっています。
ジュネの他の作品、例えば『アメリ』や『ミックマック』の作品のテンポやリズムはいわゆるハリウッドのエンターテインメント映画のものとは外れた部分があります。
しかし、この『エイリアン4』は王道のエンターテインメント映画としてのカットであったりテンポで構成されており、ジュネが如何にハリウッド映画ということを意識して撮影していたかがわかります。
ジュネ特有のグロテスクな残酷描写
一方でそれまであまり描写されなかったグロテスクなシーンもふんだんに盛り込まれています。もともとグロテスクさはジュネの持ち味でもありました。
その事を示すこんなエピソードがあります。
『エイリアン4』を監督したあとにジュネはハリウッドを去り、フランスであの『アメリ』を撮影します。
『アメリ』は独創的な魅力は多くの女性を虜にし、世界で大ヒットしました。
『アメリ』はジャンルとしては恋愛映画なのですが、日本で配給権を購入したのは、『八仙飯店之人肉饅頭』などのホラー映画、ゲテモノ映画ばかりを買い付けていたアルバトロス・フィルム。
同作はシナリオの段階で「ゲテモノ映画」と間違えられ、アルバトロスに購入されましたが、ゲテモノ映画と判断された理由の一つは「監督がジャン・ピエール・ジュネだったから」。
確かに今作の描写を観るとそう判断されても不思議ではありません。
『エイリアン』はSFホラーを確立させた映画とも言えますが、そのなかでも本作の残酷描写、人体破壊シーンは群を抜きます。
それまでの「エイリアン」シリーズでも殺人シーンはあったのですが、ショットを切り替えたりして、その直接的な描写は避ける傾向にありましたが、ジュネは積極的に人体破壊描写をスクリーンに映す出しています。ただ、もっとも痛みを感じさせるのは「ニューボーン・エイリアン」の最期ですが・・・。
『エイリアン4』のテーマ
『エイリアン4』のテーマは奥深く、人間とは何か、人間らしさとは何かという命題を私たちに問いかけます。
劇中、リプリーは立ち寄ったある部屋で自身の「失敗作」があるのを知ります。
エイリアンを利用するためにこれまで8体のクローン・リプリーが作成されたこと、そして8体目のリプリー(8号。自分自身)以外はすべて失敗作とされていたことが明かになります。
エイリアンに遺伝子汚染され、「モノ」同然に生命維持装置に繋がれていたクローン・リプリー7号。彼女の胸には傷跡があり、エイリアンを摘出した後が見て取れます。
クローン・リプリー7号はリプリーに「私を殺して」と懇願します。
『エイリアン4』の公開前年の1996年、世界で初めてのクローン羊のドリーが生まれたこともり、科学技術と生命倫理を問いかけるシーンとなっています。
そのテーマを集約した存在として「ニューボーン・エイリアン」も挙げられます。
エイリアンクイーンも逆に人間の遺伝子情報が混じってしまい、それまでの卵生から胎生へと生態が変化します。そんな胎生になったクイーンから生まれたのがニューボーン・エイリアン。
エイリアン特有の暴力性を帯びながらも、リプリーを母と認識し、リプリーに対しては純粋な子供のような表情を見せるニューボーン。
母親としてのリプリー
リプリーに母親としての役割を与えたのは『エイリアン2』が最初でした。
『エイリアン2』の冒頭でリプリーは娘のアマンダが老衰ですでに亡くなっていることを告げられます。そんなリプリーですが、劇中を通して植民地で唯一生き残った少女のニュートと疑似的な親子関係を築いていきます。
『エイリアン4』ではそんな親子関係をリプリーとニューボーン・エイリアンを通して描いています。
どんなに自分に愛情をもってくれている存在でも、殺さなくてはならない。「エイリアン」シリーズ屈指の狂暴性を持ちながら、一面では名前の通り生まれたての子供のようなあどけなさも見せるニューボーン。
その最期は今作で最も残酷で悲しいシーン。リプリーは苦しみながら死にゆくニューボーンを見つめながら「許して」と涙を流します。
コールがニューボーンの凄惨な様子に思わず顔をそむけますが、リプリーは「母」としてその最期をしっかり見届けています。
一方で、エイリアンの軍事利用をもくろみ、鉱山作業船のクルーを拉致しエイリアンの宿主として利用したり、エイリアン・クイーンを手に入れるために何体ものリプリーの『失敗作』を産み出すなど、この作品で描かれる軍隊は逆に人間でありながら悪魔的な一面を持ち合わせた存在として設定されています。
シリーズを通して人命軽視の傾向がある、ウェイランド・ユタニ社や軍ですが、本作ではそれがより直接的で一層鮮明になります。
『ジュラシック・パーク』でサム・ニール演じるアラン・グラント博士は襲い掛かるT-REXに対して「肉食が本能だから仕方ない」と述べています。
同じようにエイリアンもその狂暴性は本能なのでしょう。
果たしてエイリアンと人間、本当に残酷なのはどちらでしょうか。
『エイリアン4』はホラーの極致としての残酷描写、そして人間の尊厳まで踏み込んだ深いテーマを持つ作品。
「エイリアン」シリーズで最も好きな作品です。