1980年公開のこの『エレファント・マン』。実際にそう呼ばれたジョゼフ・メリックの人生を映画化した作品です。
かのマイケル・ジャクソンもジョゼフ・メリックの人生について「自分自身について考えさせられます。他人事だとは思えず、涙が出てきます」と発言しています。
※「エレファントマン」ジョゼフ・メリックについてはこちらから
監督は「カルトの帝王」と称されるデヴィッド・リンチ。主演は「エイリアン」のジョン・ハートと、「羊たちの沈黙」のアンソニー・ホプキンスが務めています。
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『エレファント・マン』のスタッフ・キャスト
監督
デヴィッド・リンチ
脚本
クリストファー・デヴォア
エリック・バーグレン
デヴィッド・リンチ
製作
ジョナサン・サンガー
製作総指揮
スチュアート・コーンフェルド
メル・ブルックス
出演者
ジョン・ハート
アンソニー・ホプキンス
ジョン・ギールグッド
アン・バンクロフト
『エレファント・マン』のあらすじ
19世紀のロンドン。生まれつき奇形で醜悪な外見により「エレファント・マン」として見世物小屋に立たされていた青年、ジョン・メリック(ジョン・ハート)。肥大した頭蓋骨は額から突き出、体の至るところに腫瘍があり、歪んだ唇からは明瞭な発音はされず、歩行も杖が無ければ困難という悲惨な状態だった。
ある日彼を見世物小屋で見かけた外科医、フレデリック・トリーブス(アンソニー・ホプキンス)は興味を覚え、研究したいという理由で持ち主のバイツ(フレディ・ジョーンズ)から引き取り、病院の屋根裏部屋で彼の様子を見ることに。
はじめは白痴だと思われていたジョンだったが、やがてトリーブスはジョンが聖書を熱心に読み、芸術を愛する美しい心の持ち主だということに気付く。当初は他人に対し怯えたような素振りを見せるジョンだったが、トリーブスや舞台女優のケンドール夫人(アン・バンクロフト)と接するうちに心を開いていく。
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%B3_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
エレファント・マン (映画) – Wikipedia
考察・感想・レビュー
「エレファント・マン」に惹きつけられた人たち
『エレファント・マン』。そう呼ばれた実在の人物、ジョゼフ・メリックとその人生は今なお多くの人を惹き付けてやみません。
例えばマイケル・ジャクソン。
マイケル・ジャクソン
冒頭でも述べたように、『他人事だと思えず、涙が出てくる』と話しています。
絶えず見世物小屋で人々の好奇の目にさらされたメリックと、幼い頃からショービジネスの世界で生きてきた自分の境遇を重ね合わせたのでしょう。
また、同じくミュージシャンのデヴィッド・ボウイもジョゼフ・メリックに興味を抱いた一人でした。
デヴィッド・ボウイ
ボウイは本作のもととなった舞台版の『エレファント・マン』へ出演するために、当時企画していたコンサート・ツアーを中止したという逸話があります。
ジョゼフ・メリック。
その奇異な外見と数奇な運命。
「エレファント・マン」ジョゼフ・メリックとその人生
エレファント・マンという名前の由来は、母親が彼を妊娠していた頃に象に踏まれかけた夢を見たことから、ジョゼフはあんな容姿になったのだ、という当時ジョゼフが所属していた見世物小屋の宣伝からです。
もちろん実際はそうではなく、プロテウス症候群が原因と推測というのが今の主流だそうです。以前はレックリングハウゼン病や象皮病ではないかなど、医学的な分野でもまた人々の関心を集めています。
僕自身もエレファント・マン=ジョゼフ・メリックには以前から強い興味を持っています。正直に言うと、最初は興味の何割かはその奇異な外見に対する『怖いものみたさ』でもありました。
そして、彼が上流階級の人々の寵愛を受け、多くの謎を残したまま短い生涯を終える。
かつては救貧院に入所するほど困窮を極め、その後見世物小屋で働くも失業、その後「タイムズ」紙に掲載されたことから一躍有名になる、その人生はあまりに劇的です。
そういえば、メリックの生きた時代は『グレイテストショーマン』で有名になったフィリップ・バーナム生きた時代と重なります。
『グレイテストショーマン』を観た方ならわかるかとは思いますが、見世物小屋で働いていたメリックも、市民からの見世物小屋排斥の動きにより職を失います。
19世紀の見世物小屋
当時の事実として見世物小屋が身体障害者の自立できる数少ない場所のひとつでもありました。
もちろん、今からすれば人権的に問題のあるような表現でしょうし、実際に先住民をそのまま檻に入れて『見世物』とした悪例もあります。
映画『エレファント・マン』でも見世物小屋の興業主はメリックをモノのように扱い、彼を虐待する人物として描かれました。
さて、職を失ったメリックが救いを求めたのが、かつて自身の診察にあたったトレヴェス医師でした。
ここからが『エレファント・マン』で描かれるメインの場面になるのですが、特筆すべきは初めてメリックが、その顔をカメラの前にさらす場面。
どっからどう見ても、演出がホラー映画のそれです。
デヴィッド・リンチの真意
そもそも、映画自体はなどニューマニズムを評価されていますが、デヴィッド・リンチは果たしてどこに重点を置いたのか。
デヴィッド・リンチにとって『エレファント・マン』は長編2作目となります。
デビュー作は新聞社に勤める傍ら、友人たちと製作した『イレイザー・ヘッド』。
カルト映画の代表格として有名な作品ですが、内容は難解で、かつリンチの歪なものに対する偏愛趣味も全開です。
この映画で言うと特に有名なのが、主人公の妻が出産した『赤ん坊』。
明らかに人のものではないそれは、長い間映画ファンの議論の的となりました。
『イレイザー・ヘッド』製作時のリンチは劣悪な生活環境に身を置き、また当時の妻が制作中にリンチのもとを去るという経験もしています。
続く2作目の作品、エレファント・マン。確かに当初の興味はジョゼフ・メリックの奇異に対する『見世物』的な興味であったのかもしれません。
ですが、メリックの人生の物語のなかに普遍的な美しさが存在することもまた、リンチは確かに表現しています。
仮に『奇異的な興味』だけであれば、もっと客観的に突き放した演出もできたはずです。まるで遠くからその姿を写し出すドキュメンタリーのような。
結局のところ、リンチの真意は図りかねます。ただ、個人的には、歪なもの(この作品でいうとフリークスとしてのエレファント・マンですね)への偏愛も、そしてヒューマニズムの感動も両方感じるのです。
トリーブス夫妻との食事の場面、メリックは母の写真を見ながら、まるで天使のようだったと言います。
続けて「こんな僕でさぞがっかりしたことでしょう」とも。
そして、「僕に素敵な友人がいることがわかれば、母も僕を愛してくれるかもしれない」と口にします。
そのあまりに純粋で哀しい告白にトリーブス夫人は思わず涙を流します。
僕がこの映画の中で一番心揺さぶられるシーンです。
かつて、アンディ・ウォーホルは「僕を知りたければ作品の表面だけを見てください。裏側には何もありません」と言いました。深読みせずに、感じたままを受け取って欲しいとの想いからでしょう。
『エレファント・マン』の魅力とは?
それはやはりメリックの純粋な心でしょう。
障害者=みな清純な心を持っている、という見方をしてしまうと単なる『感動ポルノ』に堕してしまいますが、容姿から来る困難な人生の中でも一貫して綺麗な心を持ち続けたと言えるでしょう。
劇中、メリックが作っていた聖堂の模型からも、その感性は純粋に美しいものを求めていたことがわかります。
※メリックが作ったこの模型は今も現存します。
メリック自身、自分の容姿に強いコンプレックスを抱いており、数少ない奇形を発症しておらず、健常者と変わらなかった自信の左手を非常に誇りにしていたとこのことです。
メリックが初めて女性と言葉を交わし涙するシーン。
人との繋がりを求め続け、長い道のりの末ようやくその喜びが叶ったその涙がメリックの内面の全てを表しているかのような気がします。
ラストシーンでメリックの脳裏に浮かぶ母の姿はその外見の奇異を超越した純粋な内面を表しているようにも思えます。