「天気の子」は2019年に公開されたアニメーション映画。
『君の名は。』で大ヒットを飛ばした新海誠監督の最新作です。
この記事のコンテンツの目次を見る
「天気の子」のスタッフ・キャスト
監督
新海誠
脚本
新海誠
原作
新海誠
出演者
醍醐虎汰朗
森七菜
小栗旬
本田翼
倍賞千恵子
吉柳咲良
平泉成
梶裕貴
「天気の子」のあらすじ
主人公は田舎から東京へ家出してきた高校一年生の帆高。田舎での生き苦しい暮らしから逃げ出すために東京に出てきたものの、生活は困窮。帆高は東京へ向かう船の中で出会ったライターの須賀圭介の元に身を寄せ、ライター兼雑用として住み込みで働くことになる。
そんな中、帆高は陽菜と知り合う。彼女は天気を自在に操れる能力を持っていた。弟の凪と二人暮らしの陽菜は帆高とともに天気を晴れにするビジネスを始めることになる。
感想・レビュー
過去30年の東京の7月の天気を調べてみたら、31日のうちのおよそ半分が曇り、もしくは雨でした。
新海誠監督の『天気の子』もそんな雨の景色が印象的な作品です。
前作『君の名は。』が社会現象になるほどの超大ヒットとなったこともあり、かなりの期待を集める本作。必然的に『君の名は。』との比較は避けられないでしょう。
「生きづらさ」
『君の名は。』が東日本大震災に強く影響されているのは周知の通りですが、今作のテーマは「生きづらさ」ではないかと思います。
本作の登場人物は誰かれ、何らかの問題を抱えています。
まず主人公の帆高は田舎での家族関係からの息苦しさから東京へ家出します。
東京で困窮していた帆高を拾い上げた須賀は一人娘を義理の母から取り戻したいと考えています。
そのの姪である夏美は就職活動に悪戦苦闘。
また、今作のヒロインである陽菜は母をなくし、弟と二人暮らし。当初は風俗で働く予定でした。
それぞれのキャラクターの抱える悩みや生きづらさ、それら閉塞感の象徴が降りやまない雨ではないでしょうか。
それらは2019年の今において、多くの人に当てはまるテーマであるかもしれません。
地方描写の匿名性
ただ、そこを深く掘り下げられていないのも確か。
新海誠監督の特徴ですが、今作でも東京の街は非常に細かく描写され、駅名や建物名など 、実際の風景や地域をそのままアニメーションに落とし込んでいます。
その一方で東京以外の地域は全く具体的なものは明かされておらず、非常に匿名性の強いものとなっています。同様に田舎から出てきた帆高が家に帰りたくないと呟くその理由も具体的に明らかにされることはありません。
そのため、イマイチ帆高に感情移入できない部分があります。
もちろん、それは帆高がまだ高校生で、僕はどちらかと言えばの年齢に近いことも関係しているかとは思いますが。。
「東京に来て、息苦しさはなくなった」という帆高ですが、実際は風俗店店員のチンピラに殴られ、ネットカフェの店員には苦い顔をされて泊まる場所すらままならない。もう、息苦しさとかではなくて、物理的に「生きづらい」東京。
そんな東京で本当に「息苦しさ」は消えたのか。
その疑問も、帆高の過去が詳しく描写されないため、確かめようがないのです。
今作では、帆高のバイト先として「風俗のボーイ」が候補にあり、風俗店に次々に面接しに行くというシーンがあったり、ラブホテルのシーンがあったりと、あえて健全ではない部分も描写されていたのには驚きつつも好感が持てました。
もちろん、それらの悪いイメージにのみフォーカスされていたのはステレオタイプと言えますが、まぁ物語上仕方ないのかなとも思います。
それらの要素は今作において帆高の感じる都会の孤独や混沌を上手く引き出してくれたなと感じますね。
今作で描かれる「生きづらさ」「息苦しさ」は天気という身近な題材とも相まって多くの人に受け入れられやすいテーマではないかなと思います。
個人的にも、都会暮らしのリア充と、ド田舎の女子高生がいきなり入れ替わってしまう『君の名は。』に比べて物語世界はよりリアルなものとして心にすっと馴染みました。
現代の若者
さて、晴れ女として順調に仕事を重ねてきた陽菜ですが、その体は天候を操った代償として、だんだん消えかかっていました。
夏美は古代の伝承から、「晴れ女は人柱になる運命」であることを陽菜に伝えていましたが、陽菜はそのことを誰にも話さずに仕事を続けていたのです。
強大な力と引き換えに自分の体を蝕む『呪い』。
それは『もののけ姫』のアシタカを思い出させます。アシタカもまたその身に降りかかった理不尽な運命を受け入れ、それでもなお、民のために行動しようとします。
宮崎駿監督はアシタカに「現代の若者」を反映させたそうです。
現代の若者に課せられた呪いとは不景気をはじめとする、自分達に原因のない一方的な不利益。また、アシタカの激しやすい性格も当時の『キレやすい10代』を反映したものかもしれません。
『天気の子』において現代の若者像が最も色濃く反映されているのは帆高でしょう。
帆高の行動
『天気の子』は基本的にはセカイ系とよばれるジャンルに近いもの。ヒロインの陽菜は「晴れ女」として天気を操る能力を持っています(正確には陽菜と天気が連動している)。帆高は劇中でひたすら彼女のために行動します。
『君の名は。』では主人公たちは犯罪者となることも覚悟の上で、町の人々を救うために駆け回っていて、その「正義」は多くの観客に共感と支持を受けたと思います。
一方で帆高はひたすら陽菜のために行動します。正直、この帆高の行動には賛否あるのではないかなと感じます。
帆高の行動に対しては常に現実の壁が付きまといます。それは警察であったり、または須賀であったり、「大人」の存在です。
それを邪魔と思うか、当然と思うかで帆高の行動への賛否が分かれるんじゃないかなと思います。
個人的には後者ですね。やはり映画としてと大人たちの存在は必要です。彼らからしたら帆高の考えや行動は突飛すぎて理解できないもの。帆高をパトカーにのせた警官が「精神鑑定も必要か?」と同乗の警官に訊ねるシーンがあるのですが、それが当たり前の反応だと思います。そんな現実を描けていたのは凄く良かったですね。
思い込みの激しさ、ネット世代、生きづらさ、労働環境・・・帆高自身と彼を取り囲む環境は正に現代の若者を象徴していると考えます。
重大なミス
残念なのは帆高が銃を使ったこと。
代々木の廃ビルの屋上にある小さな鳥居。そこを潜ったために陽菜は「晴れ女」になり、人柱として空に連れ去られてしまった。
帆高はその場所を目指し、警察署から逃走し、警察の追跡を交わしながら走っていくのですが、廃ビルにたどり着き、屋上を目指して駆け上るも、そこには須賀の姿が。
大人であるからすれば空の上に陽菜がいるというのは到底受け入れないもの。
まぁ当然ですね。
須賀は「しっかりしろ!」とはじめて帆高に手を上げますが、それに対抗して帆高は銃を手にし、須賀に銃口を突きつけます。
このシーンははっきり言って重大なミスだと思います。
そもそもの銃の経緯は帆高が風俗店のゴミ箱の中から偶然発見し、拾ったものでした。
まさか本物だと思わず、お守りがわりにずっとそれを携帯していた帆高ですが、陽菜にしつこく付きまとっていた風俗店員に殴り殺されそうになったときに防衛手段として拳銃をとりだし、威嚇・発砲します。
廃ビルまで逃げてきた二人。