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『ロッキー・ホラー・ショー』とは
『ロッキー・ホラー・ショー』は1975年のブリティッシュ・ミュージカル・ホラー映画。
リチャード・オブライエン原作のミュージカルの映画化作品です。。
映画化の際、監督のジム・シャーマンは大作の話を蹴り、自らの意思を貫き通す道を選んだ結果、映画は興行的には失敗作となりますが、その一方で熱心なリピーターを生み出します。
彼らは今でいうコスプレをして集い、映画とともに歌い踊り・・・。
そういう成り立ちとユニークかつ奇抜な内容から
「世界で最初のカルト映画」
と称されています。
全体的にコメディタッチなので怖くはないです!
「ロッキー・ホラー・ショー」のあらすじ
婚約を果たしたブラッドとジャネットは結婚を恩師のスコット博士に報告しに行くことに。その最中の嵐によって車がパンクしてしまう。
電話を借りようと近くの屋敷を訪れるも、そこでは変わったパーティーの開催中。成り行きで見物していた二人の前に、網タイツにボンテージで筋骨隆々のとんでもない姿の屋敷の主人、「フランクリン・フルター」が登場する。
フルターによると、今日人造人間の「ロッキー」の完成を祝うのだという。
ロッキーのお披露目に立ち会う二人の前に様々な人の乱入やフランクリン・フルターの誘惑が降りかかってくる—。
賛否両論、好き嫌いの分かれる映画ですが、僕は割と好きです。
『ロッキー・ホラー・ショー』の歴史
1.最初はミュージカルだった
70年代のはじめ、売れない役者で職のなかったリチャード・オブライエンは暇つぶしにのちの『ロッキー・ホラー・ショー』の原型となる脚本を書きあげました。
もともとエンターテインメント業界を志したきっかけもコミックやホラー映画などが好きだったことからその脚本にもロックンロールやホラー、SFなどの要素やジョークがふんだんに盛り込まれることとなりました。
オブライエンは合わせて音楽も製作。
アコースティックギター一本で作られたオープニングナンバー、「サイエンス・フィクション/ダブル・フィーチャー」を共演経験のあったジム・シャーマンに披露しました。
オブライエンはその脚本と音楽をジム・シャーマンに見せると、ジムは舞台化を即決。
最終段階でタイトルが『ロッキー・ホラー・ショー』となり、主人公であるフランクリン・フルター博士役にはジム・シャーマンとリチャード・オブライエンの共通の知人であったティム・カリーが抜擢されました。
※当初ティム・カリーは人造人間であるロッキー・ホラー役でオーディションに来ていたという逸話があります。
一番最初のロンドン公演は1973年6月19日、ロイヤル・コート・シアターにある小劇場のシアター・アップステアーズで正式に開幕しました。なんと座席はわずか63席の小さなスタートだったそうです。
しかし、のちに映画版の監督も務めることになるジム・シャーマンがプロデュース・演出を担当したこのミュージカルは、そのユニークな内容と奇抜な衣装、ダンス、洗練されたロックンロールで観客の度肝を抜き、あっという間に人気ミュージカルへと成長していきました。
最初の3週間だけの公演の予定が7月いっぱいに延長され、8月からはシアター・アップステアーズの4倍の広さのチェルシー・クラシック・シネマへ、さらに10月末には約500席を有する、キングス・ロード・シアターへと移転していきます。
1980年9月13日に閉幕するまでロンドンのみならず、イギリスやアメリカ公演も開催されるなど、大盛況で特にアメリカ公演ではロックンロールのビッグネーム、エルヴィス・プレスリーやザ・フ―のキース・ムーンも舞台に来場しました。
※アメリカ公演でのキャスト・オーディションではリチャード・ギアやジョン・トラボルタも姿を見せたそうです。
また75年にはイギリス・カンパニーを引き連れて、日本にも『ロッキー・ホラー・ショー』は初上陸しています。東京、大阪から函館まで、主要9都市を巡る公演でした。
そんなロッキー・ホラー・ショーの人気を聞きつけた20thCenturyFoxの重役から映画化の話が舞い込んできたのは初演から2年後のことでした。
2.そして映画へ
舞台の始まりから2年後、『ロッキー・ホラー・ショー』に映画化の話が舞い込んできます。
最初の舞台からプロデュースおよび演出として『ロッキー・ホラー・ショー』に関わっていたジム・シャーマンはスタジオ側の「人気ロックスターを起用すればより多くの予算を出す」と申し出を蹴り、低予算でもオリジナルキャストでの映画化を目指しました。
その予算はたった140万ドル。また製作期間も6週間と非常に短期間なものでした。
※エディ役としてスタジオが第一候補に考えていたのはエルヴィス・プレスリー。
この話はエルヴィス・プレスリーもまんざらでもなかったらしい。
ちなみにローリングストーンズのミック・ジャガーはフランクリン・フルター役を演じたがっていたとのことです。
ティム・カリーをはじめ、リチャード・オブライエン、パトリシア・クインといったオリジナルキャストのほか、スーザン・サランドン、ミート・ローフなど新規のアメリカ人キャストも加わり映画『ロッキー・ホラー・ショー』は作られていきました。
3.カルト化への道
ミュージカルの成功とは裏腹に、完成した映画版『ロッキー・ホラー・ショー』は、試写会の途中で観客が次々に席を立つなど、興行的には失敗作となってしまいました。
しかし、各映画館ではそのリピーターの多さが目立っていました。コアなファンが確かに芽生えてきていたのです。
その報告を聞いた20thCenturyFoxはすぐさま深夜上映スタイルに『ロッキー・ホラー・ショー』の配給をし始めました。
そうした『ロッキー・ホラー・ショー』はさらに大きなリピーターを獲得していきます。彼らは思い思いの登場人物のコスプレを身にまとい夜な夜な劇場に集っては、映画に向けてツッコミを入れたり、ブラッドとジャネットの結婚式の場面ではコメをばらまいたり(ライスシャワー)、豪雨の場面では水鉄砲を浴びせるなど、徐々に「映画に参加」するようになります。
この「観客参加型映画」は当時では非常に画期的なことであり、そうした観客の熱狂ぶりからやがて『ロッキー・ホラー・ショー』は「世界で最初のカルト映画」と呼ばれるようになります。
以降、40年近く毎週世界のどこかの映画館では必ず『ロッキー・ホラー・ショー』が上映されています。
日本と『ロッキー・ホラー・ショー』
75年に日本にも『ロッキー・ホラー・ショー』は初上陸していますと書きましたが、現在でもロッロッキーホラーショーは映画、ミュージカルその両方で日本でも愛され続けています。
ミュージカルとしては86年に日本人キャストでの初演となりました。
この時はフランクリン・フルターを藤木孝、ジャネット=夏木マリ、ブラッド=桑名正博というキャストでした。
95年からはすかんちのROLLY、2011年からは古田新太をフランクリン・フルター役に据え、幾度も公演を重ねる人気ミュージシャンとなりました。
ROLLY、古田新太ともに大の『ロッキー・ホラー・ショー』フリークとして知られています。
『ロッキー・ホラー・ショー』の魅力とは
『ロッキー・ホラー・ショー』の魅力とは何でしょうか。もちろん万人に受け入れられるような作品ではないのですが、それでもこんな映画、他にないと思います。一言で言えばそれが『ロッキー・ホラー・ショー』の魅力ではないでしょうか?
奇想天外なストーリー、明るく、ポップなロックンロール、ユニークすぎるキャラクター、前述したようなB級チックなテイスト、SF、エロスなどの要素がこれでもか!と詰め込まれた内容。
映画はしばしば総合芸術と呼ばれます。それはそれまでに確立されたあらゆる芸術のジャンルだとか、要素(文学、芝居、絵など )が複合的に組み合わさって成り立つものだからなのですが、『ロッキー・ホラー・ショー』はその要素の一つ一つの段階からすでに個性的なんです。
個性的な映画は数あれど、その構成要素のほとんどまでユニークな映画はそう多くはないでしょう。
『ロッキー・ホラー・ショー』でしか得られない体験がある。
流行りものをあえて排除した作風は今みてもきっとどこか新鮮に感じられる部分があると思います。