家族愛に泣きたい人へ
『フォレスト・ガンプ』
うすのろフォレストと呼ばれたフォレスト・ガンプのまっすぐな生き方とそれを翻弄しつつ、優しく後押しするようなアメリカの時代の激動と人生を描いた作品。
時代の流れに翻弄されているようでも、フォレストの純心さで逆に時代時代、場面場面でしっかり輝いている。時に流れに身を任せるように人生を漂い、でも愛する人をひたすら思い続ける一途さ、純粋さを同時に抱えている。そんなフォレストの生き方。それはまさに人生讃歌に満ち溢れています。
「人生はチョコレートの箱、開けてみるまでわからない」
アメリカの名台詞にも選ばれた言葉ですが、チョコレート、という言葉が人生はどこか希望の詰まった、そんな箱なんだということを感じさせてくれます。
『ビッグ・フィッシュ』
ティム・バートン監督作で初めての現代を舞台にした作品です。当時父親を亡くしたティム・バートンの思い入れが強く作品に反映されています。
父と息子の絆を取り戻すストーリー。
身重の妻を抱えたウィルは余命幾ばくもない父親のエドワードのお見舞いに行くことに。
ウィルが幼い頃から巧みな話術で人を楽しませてきた父、エドワード。
しかし、大人になるにつれて、エドワードの話を疑うようになってしまいます。
そしてウィルの結婚式でも同じ「ホラ話」をしようとする父に対して不満が爆発。
それ以来親子の絆は断絶していたのでした。
父親が余命幾ばくもない今、ウィルはエドワードのことを確かめようとします。
エドワードの話に出てきた女性のもとへ真相を確かめにいくウィル。
エドワードの歩みを知ることで初めて父親としてではなく、一人の人間としてエドワードを認め、許せるようになります。
終盤、エドワードが亡くなった後にホラ話と思っていた父の話の登場人物が続々と葬儀に参列しに集まる。
このシーンだけで感動しますね。
この映画を見ると生きることがどれだけ素晴らしいことか、人生は決して一人では成り立たないものだということ、そして、人生を彩ってくれた人々に勝る財産があるのだろうかといつも考えてしまいます。
『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』
今作の公開当時、子供の付き添いで鑑賞したはずの大人の方が泣いてしまうという現象が続出したそうです。それもそのはず、今作は父親である野原ひろしにフォーカスを当てた作品でもあるからです。
自分の生まれ育った20世紀。それを抜けた21世紀では大人として振る舞っていかねばならない、その影にある一抹の不安と寂しさ。
子供時代を再度体験しているひろし。実際は子供だからこそ、叶わない願いもあります。
そこを救いに来たしんのすけにより、ひろしは今の暮らしにもまた素晴らしさが溢れていることに気づかされます。
この感覚は当時も今も大人である私たちの、胸の奥の郷愁をくすぐり続けるのではないでしょうか。
今作のクライマックスは敵との対決ではなく、傷だらけになりながらも未来のためにしんのすけが階段をかけ上って行くシーン。
いつものおバカな戦いでしめくくりではなく、死のうとしたケンとチャコを、キジバトの親子が防ぐというラスト。その分だけ、余計に静かな感動が胸に染みわたります。
それまでのクレヨンしんちゃんのフォーマットに沿わないラストには反対の声もあったようですが、結果として映画は今までにないお客さんからの高い評価を得ることになりました。今作品のDVD発売時のCMには俳優の阿部寛が出演し、大人の鑑賞にも堪え得る感動作であることをPRしています。