『ローマの休日』はオードリー・ヘップバーン、グレゴリーベック主演の恋愛映画。
公開から60年以上がたった今も不朽の名作として語り継がれている作品です。
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「ローマの休日」のスタッフ・キャスト
監督
ウィリアム・ワイラー
脚本
ダルトン・トランボ
ジョン・ダイトン
原案
ダルトン・トランボ
製作
ウィリアム・ワイラー
出演者
グレゴリー・ペック
オードリー・ヘプバーン
エディ・アルバート
「ローマの休日」のあらすじ
オードリー・ヘプバーン演じるアン王女の多忙なヨーロッパ各国への表敬訪問の様子から映画は幕を開ける。
スピーチの内容は丸暗記。質疑応答や会話も機械的にこなそうとするアン王女。
自分の使命もわからず、ただロボットのように動くだけの日々。
ついにアン王女は忙しい公務のストレスで思わずお城を抜け出してしまう。
感想・レビュー
文字通りの『名作映画』
名作と呼ばれる古典映画は、その言葉だけが一人歩きし、今現在の基準で観るといまいち魅力が掴めない作品があるのも事実。
もちろん、公開当時の時代に生きていれば、その斬新さやメッセージの深さに深く共鳴することもできたのでしょう。
映画はその時代を写すもの。
しかし、稀に時代を飛び越える文字通りの『名作映画』が確かにあるのもまた事実です。
その一つが『ローマの休日』。
もはや説明が野暮になるほどの映画の名作です。
公開から60年以上経って初めて観ましたが、予想を超える素晴らしい作品でした。
すべてのロマンティック・コメディ映画の始祖はこの作品にあるのではないでしょうか。
ダルトン・トランボと赤狩りの影響
脚本を手掛けたのはダルトン・トランボ。しかしトランボ自身は映画の製作時には赤狩りの影響でハリウッドを追放されていました。
そのため『ローマの休日』 公開時には友人のイアン・マクレラン・ハンターの名前を脚本家の名義に借りて公開されています。
脚本自体は赤狩りの始まる前の1940年代中盤には完成していたそうで、悲しみや悲劇を感じさせない明るい内容はそういったことも影響しているのかと思います。
ちなみに赤狩り時代の頃のダルトン・トランボに関しては『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』で詳しく描かれています。
また、赤狩りに関しても同作のレビューで詳しく解説しています。
恋愛を博愛へ昇華させた物語
映画はニュース映像の体裁をとり、オードリー・ヘプバーン演じるアン王女の多忙なヨーロッパ各国への表敬訪問の様子から幕を開けます。
スピーチの内容は丸暗記。質疑応答や会話も機械的にこなそうとするアン王女。
自分の使命もわからず、ただロボットのように動くだけの日々。
ついにアン王女は忙しい公務のストレスで思わずお城を抜け出してしまいます。まだ少女のようなアン王女の印象が強い序盤。
もちろん、そんなワガママな一面もこのキャラクターをより魅力的にしていますが、愛を知って、王女としての自分の使命に目覚めていく。
個人的な愛をそのまま結婚などの結末に進行させるのではなく、個人的なものに留めず、隣人愛とも言うべき博愛への物語に昇華させることを良しとしたのはトランボの政治的な姿勢にもその要因の一端があるのかなと思います。
もちろん、ただの悲恋ではなく、もっと大きな愛情と、自分自身に使命を抱かせたこのラストでなければ、今日までの名声をこの映画が得ることは難しかったでしょう。
その意味でアン王女について「個人的な恋愛よりもキャリアを選んだ」とする評価は厳密に言えば的を得ていないことがわかるかと思います。
オードリー・ヘプバーンの魅力
そしてストーリーと並ぶ大きな魅力はなんといってもオードリー・ヘプバーン。
まだ新人女優だった彼女はこの作品でアカデミー賞主演女優賞を獲得。
少女のような無邪気な笑顔から、王族の一員としての気品、将来の王位継承者としての厳しさなど、オードリー・ヘプバーンは巧みに表情を使い分け、どのシーンでもその魅力を大いに発揮しています。
真実の口にグレゴリー・ベックが手を入れ、オードリーに本当に手を噛みちぎられたように見せかけるいたずらをするシーンがあります。
このシーンは監督のウィリアム・ワイラーと主演のグレゴリー・ベックが一計を案じたことにより、このことはオードリーには伝えられていませんでした。
実はこの時のオードリーの驚きは演技ではなく、素のリアクション。
オードリー・ヘプバーンの素の瞬間が切り取られています。
またウィリアム・ワイラーは完璧主義でテイクを重ねるタイプの監督でした。
一例としてグレゴリー・ベックがスペイン広場のバルカッチャの噴水で少女にカメラを借りようとする短いシーンがあります。
ここに登場する少女はウィリアム・ワイラー監督自身の娘。のちにたった数秒のシーンのために何時間も拘束されることに耐えきれず、そのために女優は目指さなかったと述べています。
今作はアメリカ映画としては初めての全編イタリアロケが敢行された作品となりましたが、そのために制約が多く、わずかな回数で撮影せざるを得ませんでした。
この限られた回数しか撮影することができないということは、当時新人女優だったオードリー・ヘップバーンにはかえって良かったと言われています。
スペイン広場でジェラートを食べ、市井の人々と同じようにスクーターを走らせる、その天衣無縫ともいうべき瑞々しさはそのことも相まった結果なのかと感じます。
願いの壁
そして真実の口を試した後は『願いの壁』へ。
映画の中で唯一の影を感じるシーンです。
劇中でも、グレゴリー・ペック演じるジョーからの解説があります。
「戦時中にさかのぼるが、子ども連れの男が空襲にあった。この壁まで逃げ込み無事を祈った。近くを爆撃されたが家族は無事。後日、彼はここに最初の板をかけた。それ以来、祈りの場所になった。」
ローマは戦時中、枢軸国の一つとして連合国と交戦していました。
監督のウィリアム・ワイラーは、アメリカ空軍の一員として第二次世界大戦に参加しています。
一方のオードリー・ヘプバーンはナチスドイツ占領下のオランダで餓えに苦しむ貧しい少女時代を過ごしています。
ワイラーはこの願いの壁に特に強い思い入れがあるそうです。
ジョーはアン王女に何を願ったか訊ねます。
『どうせ叶わないことよ』
そう言って、彼女は願いの壁を後にします。
この時、アン王女は何を願ったのでしょうか。
アン王女の願い
クライマックスを観ると、その答えがはっきりします。