【解説 レビュー】「グローリー/明日への行進」キング牧師と選挙権運動

『グローリー/明日への行進』は2015年に公開された伝記映画。

監督はエイヴァ・デュヴァーネイ、主演はデヴィッド・オイェロウォが務めています。

1965年にキング牧師が中心となって、選挙権を求めセルマから州都・モンゴメリーへの行進を行った史実を題材にしています。

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「グローリー/明日への行進」のスタッフ・キャスト

監督
エイヴァ・デュヴァーネイ

脚本
ポール・ウェブ
エイヴァ・デュヴァーネイ

出演者
デヴィッド・オイェロウォ
トム・ウィルキンソン
カルメン・イジョゴ
ジョヴァンニ・リビシ
アレッサンドロ・ニヴォラ
キューバ・グッディング・ジュニア
ティム・ロス
オプラ・ウィンフリー

「グローリー/明日への行進」のあらすじ

感想・レビュー

凄く評判が良いらしく、ずっと観たいと思っていた映画です。

邦題は『グローリー/明日への行進』ですが、原題は「SELMA」。

「SELMA(セルマ)」とは

セルマとはマルティン・ルーサー・キング(以下キング牧師)が行進を開始した町の名前です。

また、映画では語られませんが、このセルマという町は南北戦争において南軍の武器の製造拠点のひとつであり、そのために北軍との激しい戦闘地になった場所です。

「セルマの戦い」とよばれるその戦闘において、南軍の指揮官はネイサン・フォレストという人物が務めました。後にKKK(クー・クラックス・クラン)に参加し、その勢力を拡大させた人物でもあります。

注釈を加えると、フォレストがKKKの創設者というのは誤解ですし、当時のは今イメージされるような危険な集団ではありませんでした。徐々にが、反社会的・危険性を帯びてくると、フォレストは自らの解体に乗り出します。

が、南部はその後もKKKが根強く息づいた場所でもあります。



教会爆破事件

『グローリー/明日への行進』の冒頭は教会爆破事件から始まります。

アメリカの中でも黒人差別の激しい南部。その中でもアラバマ州のバーミングハムはキング牧師が「人種差別において全米で最悪」とも評した地でもありました。

キング牧師の最も有名な演説は1963年に行った「I Have a Dream」と呼ばれる演説でしょう。その中で名指しで批判されている地域がアラバマ州でした。

1962年、その地域にある教会に仕掛けられた爆弾が爆破。11歳から14歳の黒人少女4人が犠牲になります。

犯人はKKKの犯行とされていますが、誰一人逮捕されることはありませんでした。

なぜなら当時の警察官の中にはKKKのメンバーも多くおり、またKKKの報復を恐れていたからとも言われています。

ちなみに劇中では明かされませんが77年に教会爆破事件の犯人として、ロバート・チャンブリフ、通称:ダイナマイト・ボブが逮捕されています。

当時のアラバマ州知事のジョージ・ウォレスは「今ここで人種隔離を!明日も人種隔離を!永遠に人種隔離を!」をスローガンに、人種隔離政策を強固に推し進めたことで知られています。(映画の中でジョージ・ウォレスは終始否定的に描かれますが、晩年には自らの人種隔離政策の誤りを認め、謝罪しています。)

公民権法の抜け穴

なぜ教会爆破事件の犯人が大悟されないのか。本作の主人公、キング牧師はこう言います。

「白人の有権者が選ぶ公務員に守られているからだ。」

公民権法が成立し、黒人が有権者資格を得ようとしても、当時の公民権法の内容では有権者資格を得る際の不平等を是正するには不十分であり、黒人に対する口頭での理不尽な試験が課せられるなど、マイノリティを締め出すための抜け穴がある状態でした。

映画では黒人が有権者資格を抑圧するために上記の理不尽な口頭試験の様子が描かれますが、他にも月に2回しか登録委員会を開かず、またその時間も短いものにするなど、黒人への有権者資格はあらゆる方法を用いてほぼ不可能なものにされていました。

そんな状態に憤慨したキング牧師はセルマ市で選挙権獲得運動を開始します。



選挙権の意義

しかし、それほどまでになぜ選挙権を求めたのか。

経済の中心が工業に移行した北部と違い、南部の経済の中心は農業が多くを占めていました。

そのためには奴隷制が欠かせなかったのです。

その名残として、南部は黒人差別が根強く、しかしその反面、白人よりも黒人の方が人口比率が上の州が多いという実状がありました。

つまり、黒人に参政権を与えるということはそのまま自分達の立場がひっくり返されるということを意味するのです。

逆に言えば黒人にとって自分たちに対する人種差別をなくすには、選挙で勝つことしか道はなかったと言えます。

一個人としてのキング牧師

意外にもこの映画はキング牧師をテーマにした初の長編映画です。

それはキング牧師の権利関係が複雑だからだそう。なんとスピーチにまで著作権が及び、引用もままならないことから、監督のエイヴァ・デュヴァーネイはキング牧師のスピーチの癖や傾向を織り混ぜた上でスピーチをオリジナルのものに作り替えました。

エイヴァ・デュヴァーネイはもともとドキュメンタリー映画を多く撮った監督です。

だからでしょうか、キング牧師を聖人化するのではなく、偉業の裏にあるスキャンダルまでしっかり映し出し、人間、個人としてのキング牧師にクローズアップしています。

例えば女性関係。妻帯者であったものの、妻以外の女性関係も複数あったのはキング牧師を盗聴したテープの内容から明らかにされています。

また、キング牧師の人生の全てを追うのではなく、セルマの行進のエピソードだけに焦点を絞っているのも上手いなと思います。

このセルマの行進のエピソードだけでもキング牧師の人間性やその精神力、人物像は十分に伝わります。

かつて融和的な態度をマルコムXに批判されたキング牧師でしたが、本作で映し出されるのはジョンソン大統領に対しても一歩も退かない姿や、逆に襲われる危険性があるのであれば、無理に行進を進めるのではなく、たとえ仲間から憎まれようともすぐに中止にする勇気ある姿。

※実際のジョンソン大統領はキング牧師と共に公民権運動を強固に推し進めた人物であり、本作の描かれ方には批判の声もあります。

2012年に公開されたスティーヴン・スピルバーグ監督の『リンカーン』も同様にリンカーンの生涯ではなくアメリカ合衆国憲法修正第13条を議会で可決させることに注力した2か月間を中心に描いています。

3回に及ぶ行進

さて、映画では3回に及ぶ行進の様子を描いています。

1回目の行進は1965年3月7日のこと。初日、キング牧師が参加しなかったために現場にはマスコミの数も少なく、そのために6ブロック行進していた無抵抗の黒人たちに対して州兵や保安官達から凄惨な暴力を浴びせられることになりました。

その暴力の凄まじさは「血の日曜日」として人種差別の歴史に残る事件となりました。

この日は525から600人ほどの人々が行進に参加しましたが、弾圧によって17人が病院に運ばれることとなり、特にアメリア・ボイントン・ロビンソンは瀕死の重傷を負うことになりました。

これらの映像がメディアに報じられると、あまりに悲惨な内容に白人をも含む人々の間で弾圧への拒否感が高まり、逆に公民権への後押しをするという、ある意味で皮肉な結果となっています。

2回目はキング牧師に加え、行進に加わった人々のうちの3割は白人となりました。

人種を超えた連帯はやはり胸を熱くするものがあります。

しかし、6ブロックほど進んだところで、待ち構えていた警官隊が不自然に道を譲ったことを訝しく思ったキング牧師は行進をやめ、セルマに帰っていきます。

このことは行進に参加していた人々の間でも賛否を呼びます。キング牧師は万一襲われるリスクを考慮して中止を決めたと言いますが、その夜行進に参加した白人男性が「白いニガー」として白人のリンチによって殺害されます。

キング牧師は裁判に訴え、デモ行進は合法との判決を受けて、3回目の行進に臨みます。3月21日のことです。

この時は約3,200人で始まった行進は目的地の州都モンゴメリーに到着する頃には約25,000人にまで達していました。

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