【ネタバレ レビュー】駄作なのか?「ロケットマン」に足りないエルトン・ジョンのドラマ

『ロケットマン』は2019年公開の伝記映画。ミュージシャンのエルトン・ジョンを主人公にしています。

監督はデクスター・フレッチャーが務め、主役のエルトン・ジョンをタロン・エジャトンが演じています。

監督のデクスター・フレッチャーは役者出身ですが、同じくミュージシャンの伝記映画でクイーンを描いた大ヒット作『ボヘミアン・ラプソディ』をブライアンシンガーの後を継いで完成させた人物。

ちなみにタイトルの『ロケットマン』の意味はエルトン・ジョン自身の楽曲名がその由来です。

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「ロケットマン」のスタッフ・キャスト

監督
デクスター・フレッチャー

脚本
リー・ホール

製作
マシュー・ヴォーン
エルトン・ジョン

音楽
マシュー・マージェソン

出演者
タロン・エジャトン
ジェイミー・ベル
ブライス・ダラス・ハワード
リチャード・マッデン

「ロケットマン」のあらすじ

少年レジナルド・ドワイトは、両親が不仲で孤独だったが、音楽の才能に恵まれていた。エルトン・ジョン(タロン・エジャトン)という新たな名前で音楽活動を始めた彼は、バーニー・トーピン(ジェイミー・ベル)と運命的な出会いを果たし、二人で作った「Your Song/ユア・ソング(僕の歌は君の歌)」などヒットナンバーを次々と世に送り出して世界的な名声を得ることになる。

出典:https://www.cinematoday.jp/movie/T0011077
ロケットマン (2019) – シネマトゥデイ

感想・レビュー

監督が2018年で最高のヒットを記録した映画『ボヘミアン・ラプソディ』を手掛けたデクスター・フレッチャーとなれば、否が応にも期待は高まるわけですが、やはり映画を観る時に期待を高めすぎたらダメですね。

『ボヘミアン・ラプソディ』との比較

映画の冒頭はケバケバしいステージ衣装をまとったエルトン・ジョンからスタート。

どこかのステージへ向かうかと思いきや、そこは依存症患者のセラピー会場。

『ボヘミアン・ラプソディ』も同じようにステージ衣装をまとったフレディからはじまり、過去へさかのぼっていく構成は同じなのですが、『ボヘミアン・ラプソディ』では世界最大級のチャリティ・イベント、「ライヴ・エイド」のステージ。

どちらも同じ70年代に栄華を極めた天才ミュージシャンの話で、同じように栄光と挫折、そして復活を描いた流れも同じなのですが、冒頭のこの流れは対称的です。

ちなみに僕自身はエルトン・ジョンに対して特に詳しくなく、事前知識としてはWikipediaを見たくらい。『ボヘミアン・ラプソディ』のフレディ・ マーキュリー以上に知識のない状態で観に行きました。

ライト層な観客まで惹き付けられるのか

では『ロケットマン』は、そんなライト層まで惹き付けられる出来かと言われれば疑問符がつきます。

確かにデクスター・フレッチャー監督と製作のエルトン・ジョンがこだわった、出演者自身による歌唱は素晴らしい。

しかし、果たしてミュージカル映画にしたいのか、伝記映画にしたいのか、中途半端な印象を受けます。

エルトン・ジョンのドラマをしっかり描きたいのであれば、ミュージカル的な側面はバッサリ切り捨てても良かったのではないかとも思うんですね。

ナレーションも、その出来事が何年の事なのか伝える字幕もなし。

ライト層の観客に対しては少し不親切かなと感じます。



どうしても薄いドラマ

そして、肝心のドラマ性も『ボヘミアン・ラプソディ』と比べると、どうしても薄い。

エルトン・ジョン自身のセックス依存症の描写をイメージだけで済ませたり、女性との結婚と離婚を数分で終わらせたり、エピソードをうまく掘り下げられていないんですよね。この辺はちょっと詰めこみすぎかなと思います。

エルトン・ジョン自身が同性愛ということを母親に打ち明けても母もあっさりそれを受け入れますし、もちろんエルトン・ジョン本人が同性愛なのは事実ですが、ではそのことがドラマをどれだけ演出できたのかというと疑問符がつきます。

映画の中ではエルトン・ジョンが成功の裏で感じていた「孤独」を殊更に印象付けようとしていますが、それは彼がミュージカルとして破格の成功を収めた後も父親から息子として認められなかったことや、彼自身が成功に溺れていき、心を失っていたことが大きな理由ではないかと思います。

恋愛関係にあったマネージャーのジョン・リードとの別れも痴情のもつれではなく、ジョン・リードのエルトンに関するビジネス上の過干渉と行き過ぎたコントロールです。

『ボヘミアン・ラプソディ』では監督のブライアン・シンガー自体がゲイということもあってか、フレディの孤独とロマンスを上手く表現していました。それは人生における理解者と恋人の役割に明確な意味の区別を引いたからです。

人生の理解者にはメアリーを置き、恋人にはジム・ハットンを配置しました。

その二つがあってこそ、フレディは人間として安定できているということを示したのです。

エルトン・ジョンも2005年に映画監督のデヴィッド・ファーニッシュと同性婚を果たしますが、それはエンディングで簡単に触れるだけに留まっています。

同性愛というテーマで観ると映画はかなり中途半端。では『ロケットマン』が映画として目指すゴールはでしょうか。

音楽家としてのエルトン・ジョン

それはエルトン・ジョンの音楽家としての再起です。

『ボヘミアン・ラプソディ』同様、エルトン・ジョンはセラピーの中で自分とを取り戻し、もう一度ピアノに向かいます。

そしてミュージシャンとしてカムバックするのですが、プロモーションビデオみたいな映像が流れてそれで終わり。

『ボヘミアン・ラプソディ』におけるカムバックはライヴ・エイドだったからこそ盛り上がったのです。

世界最大のイベントを映画という観点からエンターテインメントあふれるシーンに仕立て直したからこそ、『ボヘミアン・ラプソディ』は大ヒットしたのです。

そして何より、ライヴ・エイドを知らなかった人達(僕も含む)にそれがどれだけ凄いステージなのかを映画の中でしっかり説明させたからこそ、ラストの感動はライト層にまできちんと響いたのです。

となると、『ロケットマン』は前述のとおり不親切。

『ボヘミアン・ラプソディ』のような圧倒的なエンディングを期待した観客は裏切られたはずです。

別に大会場である必要はないですが、小さな会場でも、エルトン・ジョンの復活をいくらでもドラマチックに演出できたはずなのです。


「成功からの堕落と復活」

「成功からの堕落と復活」この筋立てでドラマを描くというならば、大抵のロック・ミュージシャンは映画化出来るでしょう。

エルトン・ ジョンと同時代に活躍したエアロスミスや、ローリング・ストーンズにも共通するストーリーです。

では、エルトン・ジョンでしか描けないストーリーは何か。

そこに一番ふさわしいゴールは、エルトン・ジョンの人生の中でどこなのか。

駄作とまでは言えないものの、個人的にはかなり中途半端感が強く残ってしまった作品。

ちなみにエンドロールでは劇中のエルトン・ジョンを演じたタロン・エジャトンのショットと実際のエルトン・ ジョンの写真が並んで写し出されますが、衣装などが完璧に再現されているのであれば、映画の印象もよくなるのですが、実際のところは実際の衣装とはかなり違う部分もあって、あの演出も逆効果でしたね。

完璧に再現すればいいのに。

あ、でもエルトン・ジョンの楽曲は素晴らしかったです!




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