「悪魔のいけにえ」作品解説
都市伝説的な現実的な恐怖
テキサスの田舎に人を襲い人肉を食らう狂人一家がいる。
昔から語られる、都市伝説(フォークロア)のような設定です。
田舎の村には狂人ばかりの村があるなんていうのは日本でも都市伝説としてありますよね。
都市伝説の怖さはどんな話であれ「本当にありえそうな現実味」があること。
かつての戦前のホラー映画の主役たちはドラキュラやゾンビ、フランケンシュタインなどの非現実な怪物モノがその多くを占めていました。
それに比べて、悪魔のいけにえは『もしかしたら本当にこんな家族がいるかもしれない』と思わせるような作品です。
先程の都市伝説とも関連しますが、人肉だけで生活していたとされるソニー・ビーン一家の話なども今作と似ていますよね。
テキサスのイメージ
本作の舞台であるテキサスのイメージとしてあるのは
・保守的
・田舎
だと思います。実際には全米第二位の人口と大きさを誇る州で決して田舎でもないのですが、未だにイメージとしてはカウボーイだとか、やはり田舎っぽさが抜けきれないようです。
その田舎ならではの人間関係の閉鎖的なイメージ、その場所ならではのコミュニティ。
レザーフェイスみたいな家族がもしかしたら存在するのではないか・・・そう思わせるイメージもテキサスの田舎というイメージにはあるのではないでしょうか?
レザーフェイスの描写
本名はババ・ソーヤ。三人兄弟(長兄ドレイトン、次兄ナビンズ(通称:ヒッチハイカー))の一番下です。
外見上のポイントは人の皮を剥いで作った人面マスク。もともと先天的な皮膚病と梅毒をもって生まれ、そのコンプレックスを隠すためにマスクを常に被っています。
知的障害を持っており、知能は低く、8歳児程度。言葉は解しますが、作品中では一言も何も話していません。
マスクは劇中で3種類を使い分けています。1973年にテキサスを訪れた若者4人を殺害。
レザーフェイスは劇中にその内面や過去を推しはかれるような描写はほぼありません。例えばジェイソンなら子供のころいじめられていたなど、少し同情的になれる人間としての背景が描写されているホラー映画が多いんですが、この映画は純粋に恐怖を追求している印象を受けます。
ただレザーフェイスはれっきとした人間であり決してモンスターではありません。そのことはほかのホラー映画と『悪魔のいけにえ』の顕著な違いの一つでしょう。
シリーズ中盤から超人化したジェイソン(13日の金曜日)や、幽霊とも魔物とも判別のつかないフレディ(エルム街の悪夢)と比べると、人間らしい肉体的な弱さや、殺人に付随して家を壊してしまい、ドレイトンから怒られてしまうといった人間らしい描写もあります。ただ殺人に対してはまるで家畜を屠殺するかのようにただ淡々と、一切の迷いや感情がないように感じられます。人間でありながら感情が欠落している。それが悪魔や幽霊よりも最もリアルで怖い存在なのではないでしょうか。
不条理
この映画に登場する若者たちは後の作品に出てくるような「無節操」「生意気」「バカ」などの「殺されても仕方がない」感があまりないんですよね。むしろ人助けとかしちゃうような若者たち。そういう登場人物が無造作に殺されていく不条理はやはりたまらないものがあります。本作の冒頭のナレーションであるように、余計哀れさを強調させるんです。
この「救いようのない感じ」や独特の怖さは同時期のホラーと比較してもこの作品は圧倒的なのです。
臭いの立ち込める画
画面の荒れたざらついた質感、冒頭から写し出される死体のオブジェとアルマジロの死骸。
カメラワークもドキュメンタリーのようにただ出来事を淡々と映していきます。
登場人物に感情移入することなく、一歩引いた視点で映し出すカメラワークも
ドキュメンタリー(事実らしさ)をひきたてたのでしょうね。
ザラついた質感は、『悪魔のいけにえ』制作時は安価な16ミリフィルムで撮影していたものをスクリーンに合わせて無理やり拡大したものことで誕生した、本来意図していなかった効果なのです。
それは映画の雰囲気を高めることには貢献したものの、フーパー自身は高画質版のリリースができないことを後悔していました。
現在の技術によって、高画質版はデジタル修復されたものがリリースされています。
ドキュメンタリータッチの撮影
『悪魔のいけにえ』を観ているとBGMがほとんどないことに気づくと思います。この演出もドキュメンタリーのような効果を醸しだすのに一役買っているんですね。
『食人族』や『ブレアウィッチプロジェクト』のようにドキュメンタリータッチの映画は恐怖を倍増させる効果があります。その点でいうと『悪魔のいけにえ』にはそういう怖さも含まれているのです。
マリリン・バーンズの演技
絶叫クイーンの一人にも数えられるマリリン・バーンズ。
彼女の叫び声はもはや演技の枠を超えています。
もし、人間が恐怖に対して許容量があるとしたら、その許容量をはるかに超えた恐怖の量に狂ってしまうかもしれません。その「狂気」は圧倒的かつリアルで、レザーフェイスの恐ろしさ、ソーヤー一家の異常さを際立たせます。
また、特筆すべきはラストシーン、マリリン・バーンズの高笑いとも悲鳴ともつかない叫び声。
今作のラストでマリリン・バーンズが見せる叫びはレザーフェイスから逃れられた安堵と、極度の恐怖や緊張から解放された感情の爆発がもたらす、まさに狂気の演技を見せています。
これこそ、レザーフェイスとはまた違う意味で本作の「狂気」を象徴するシーンでしょう。
本作におけるマリリン・バーンズの演技も確かに『悪魔のいけにえ』の伝説化に不可欠な要素なのです。