「映画とは?」映画監督たちの映画に関する名言まとめ

スポンサーリンク

アルフレッド・ヒッチコック

アルフレッド・ヒッチコックは1899年生まれ、イギリス出身の映画監督。サスペンス映画の神様とも呼ばれ、後世の映画に多大な影響を及ぼした監督の一人です。

1925年に「快楽の園」で監督デビュー。その後、切り裂きジャックをモチーフにした『下宿人』やナチス・ドイツをイメージした『バルカン超特急』などの作品が成功。その活躍ぶりのため、1939年にはハリウッドに招かれ、以後ヒッチコックはアメリカで映画を製作することになります。

その後も『サイコ』や『鳥』などの名作を世に送り出したヒッチコック。

かのジャンリュックゴダールはヒッチコックを「ヌーヴェルヴァーグの神様」として崇拝していました。

映画とは、退屈な部分がカットされた人生である。

観客をほんとうに感動させるのは、メッセージなんかではない。俳優たちの名演技でもない。原作小説のおもしろさでもない。観客の心をうつのは、純粋に映画そのものなのだ。

ミヒャエル・ハネケ

ミヒャエル・ハネケは1942年生まれドイツ出身の映画監督です。1989年に『セブンス・コンチネント』で初めて長編映画を監督。

今までの監督映画はカンヌ国際映画祭に6度出品され、パルム・ドール2回、グランプリ1回、監督賞1回などの高い評価を得ています。

1997年の『ファニー・ゲーム』ではあまりに凄惨な暴力描写のためカンヌ国際映画祭では上映中に席を立つ観客がいたり、ロンドンではビデオの発禁運動まで起こったという作品です。

監督のミヒャエル・ハネケ曰く「観客を憤慨させるために作った」とのことで現在のアクション映画にありがちな「暴力=エンターテインメント」の図式に異を唱えた作品でもあります。

映画に説明やオチなど必要ない

暴力は撲滅できないものであり、痛みと他人への冒涜であることを伝えたい。だから、暴力を単なる見せ物ではなく、見終わった後に暴力の意味を再認識するものとして描かなければならない



クリストファー・ノーラン

クリストファー・ノーランは1970生まれイギリス出身の映画監督。1998年に『フォロウィング』で映画監督としてデビュー。次作『メメント』では実弟の書いた短編をもとに時間軸を巧みに構成した作風で早くもアカデミー賞にノミネートされ、2008年の『ダークナイト』は批評、興行的にも大きく成功。

その後も『インターステラー』、『ダンケルク』などの監督作品がヒット。 数少ない作家主義と大作主義に成功している監督の一人だと言われています。

CG嫌いで有名で、『ダークナイト』では本物のビルをまるごと一棟爆破しています。

観客は今の映画に安心し慣れ過ぎていると思う。彼らは自分の聞いてるもの、観ているもの全てを信じる…私はそれをかき乱したい

ギレルモ・デル・トロ

ギレルモ・デル・トロは1964年生まれメキシコ出身の映画監督です。
1993年に「クロノス」で映画監督デビュー。同作はカンヌ国際映画祭の批評家週間グランプリに選出されるなどの評価を受けています。

「ブレイドⅡ」「ヘルボーイ」などの作品を経たのちに2006年に公開された「パンズ・ラビリンス」では世界的に高い評価を得てヒットメイカーとして認知されることになりました。

その後の「パシフィック・リム」では自身のオタク趣味が溢れる作品となりました。2017年の作品、「シェイプ・オブ・ウォーター」では第75回ゴールデングローブ賞および第90回アカデミー賞でそれぞれ監督賞を受賞しました。

「人生に積極的になれ。生きろ。セックスしろ。酒場でのケンカに巻き込まれろ。ときには危険を冒せ。有り金を全部失って、そいつを取り戻せ。列車に飛び乗って旅に出ろ」

「一日だけ勇敢な者は“グッド”。しばしば勇敢な行動をとる者は“ベター”。常に勇敢な行動を続ける者は手放してはいけない」

正確にはギレルモ・デル・トロの言葉ではなく劇作家のブレヒト言葉ですが、ギレルモ・デル・トロはよくこの言葉を引用するそうです。




次ページ:ニューヨーク出身の多作なあの監督や完璧主義者のあの名監督の名言をご紹介!

スポンサーリンク
スポンサーリンク