★【ネタバレ レビュー】「アド・アストラ」父と子を描いた大人のSF映画

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「アド・アストラ」のスタッフ・キャスト

監督
ジェームズ・グレイ

脚本
ジェームズ・グレイ
イーサン・グロス

製作
ブラッド・ピット
デデ・ガードナー
ジェレミー・クライナー
ジェームズ・グレイ
ロドリゴ・テイシェイラ
アンソニー・カタガス

出演者
ブラッド・ピット
トミー・リー・ジョーンズ
リヴ・タイラー
ルース・ネッガ
ドナルド・サザーランド

「アド・アストラ」のあらすじ

ロイは最高の評価を受けているトップクラスの宇宙飛行士。
彼の父親クリフォードも地球の英雄として崇められている伝説的な宇宙飛行士でしたがリマ計画という地球外生命体を探査する任務の途中で交信不能になり亡くなっていた。

ある時ロイは電気嵐によって作業中に事故にあい、九死に一生を得る。

ロイは地球に被害を出している電気嵐の発生源がリマ計画だと知って、死んだはずの父が生きていたということを知る。
父に会い、リマ計画を破壊するという極秘機密の任務を負って宇宙へ旅立つ。

感想・レビュー

『アド・アストラ』原題はad astraで、これはラテン語になります。
意味は「星々に向かって」。正に今作を一言で言い当てたタイトルですね。

しかしながら、ではそれがフロンティア精神に溢れた爽快なエンターテインメントかといえばそうではありません。
映画そのものは凄く内省的な作品です。

主演はブラッド・ピット 。近年のブラッド・ピットは俳優業よりもプロデューサー業にその軸足を移行してきており、最近では「役者は若者のゲーム」と発言したことでも話題になりました。実際にブラッド・ピットが立ち上げた「プランBエンターテインメント」は『それでも夜は明ける』『ムーンライト』などの良作を製作しており、プロデューサーとしての腕も高く評価されています。

今作『アド・アストラ』もブラッド・ピットの製作会社プランBがつとめ、ブラッド・ピットは主演に加え、製作も兼任しています。

50代中盤にもなった彼が選ぶ企画が爽快なエンターテインメントだけのものであるはずがなく、今作は父と子の関係、そして「生き方」が深く問われる作品となっています。

ブラッド・ピット演じるロイは最高の評価を受けているトップクラスの宇宙飛行士。
彼の父親クリフォードも地球の英雄として崇められている伝説的な宇宙飛行士でした。
しかし、計画という地球外生命体を探査する任務の途中で交信不能になり亡くなりました。
この父親を演じているのがトミー・リー・ジョーンズ。

『スペース・カウボーイ』では一人月に飛んでいくラストでしたが、今作では一人海王星に。
クリフォードは何もかもを任務に捧げ、それゆえに気づいたときには任務に殉じる以外の選択肢がなかった男。
それも一つの人生なのか、それとも狂気なのか。

ロイは地球に被害を出している電気嵐の発生源がリマ計画だと知って、死んだはずの父が生きていたということを知ります。
父に会い、リマ計画を破壊するという極秘機密の任務を負って宇宙へ旅立ちます。

『アド・アストラ』で特徴的なのはバディ的なキャラクターが皆無だということ。
前述の『スペース・カウボーイ』では墜落しそうな人工衛星の起動を変えるという任務を負った主人公のクリント・イーストウッドの相棒としてトミー・リー・ジョーンズが配されていましたし、『アド・アストラ』でロイの妻役を演じたリヴ・タイラーの出演作『アルマゲドン』では小惑星の衝突を防ぐためにチームで協力して穴堀りしてましたが、『アド・アストラ』ではまず向かった月での案内人は強盗に撃たれ死亡、次に火星へ向かう宇宙船で出会ったは救難信号によって立ち寄った宇宙船で実験生物に襲われ死亡、火星では任務不適格の烙印を押され、それでもと乗り込んだ海王星行きの宇宙船はロイが乗り込んだことにより結果的に乗組員が全員死亡する事態に。

繰り返しますが、決して明るい映画ではないですね。
バディが誰もいない分、ブラッド・ピット演じるロイの内面を深く掘り下げていきます。 父に認めてもらいたいという想いからパイロットになったこと、その一方で家族をないがしろにしていた父への愛想入り交じる想い。そして、ロイ本人にしても仕事に没頭するあまり、妻を疎かにしてしまい、離婚。

平常心を図るテストでは平常心を図るテストでは常に合格を出していたものの、仕事での彼はそれも含めてすべてを芝居(パフォーマンス)だといいます。

それはクリフォードの姿と重なります。ロイもまた父と同じ人物になろうとしていたのです。

果たして巡りあった父は任務のためにはすべてを犠牲にする狂気の男でした。
地球では英雄視されていた男でしたが、そのためには反乱を起こした者を罪なき乗組員もろとも殺害。
そして反乱という言葉もあくまでもクリフォードのものであり、実際はどちらが悪なのかもまた曖昧です。電気嵐にしても、クリフォードが引き起こしたものではなく、乗組員が地球に帰るために起こしたもの。

船内には乗組員の遺体がそのまま放置されており、クリフォードの狂気の一端を垣間見させます。

今作の原作小説は『闇の奥』にと比較されることもあるようです。『闇の奥』とはフランシス・フォード・コッポラが『地獄の黙示録』の題で映画化しています。
『地獄の黙示録』ではベトナム戦争という極限状態に置かれた男カーツ大佐が一人、王国をジャングルの奥に築き上げ、カーツの狂気を止めるためにそれを止めるためにウィラードという兵士がカーツのもとへ向かいます。
こうしてみると『アド・アストラ』と『地獄の黙示録』のプロットは非常に似通ってもいます。ロイは宇宙の果てで一人極限状態に身を置き、狂気に支配された男を止めるために彼自身も宇宙へ向かうわけですから。

そして当然ながら息子の声は父には届かない。ストーリーとしては親子ともども地球に帰還するのが美しいかもしれないですが、それだと父親のキャラクターと行動に矛盾が生まれます。
『地獄の黙示録』ではウィラードは狂気に陥ったカーツを殺すことで彼の狂気を止めますが、『アド・アストラ』では父親と自分を繋ぐフックを外すことで、父を宇宙へ放します。
クリフォードはリマ計画を片道切符と言っており、当初から家族のことも、地球へかえることも望んではいなかったのです。

『アド・アストラ』は厳密にはSF映画とは呼べないでしょう。

いえ、SF映画かもしれないですが、それはこの父と子の物語を描ける設定が今日では宇宙にしかないからだと思うからです。

西武開拓時代であれば、未開の地があり、そこを切り開いていく男はフロンティア精神を持ち、使命に燃えるタフな人物だと描けたはずです。まさに今作のクリフォードのような。
しかし、『レヴェナント』でも描かれるように、そうするとインディアンを敵対する存在として設定するしかないんですね。
『レヴェナント』は彼らの悲哀までしっかり描いていましたが、インディアンを悪にすることは現代の映画ではまずあり得ないでしょう。
父の想いを汲んだロイはフックを外します。クリフォードは一人宇宙空間に投げ出されます。

ロイは父のことをこう回想します。
「父は彼方を求めたが、そこには無しかなかった。そばにある大切なものに気づかなかった。」

2011年に今後は「プロデューサーと父親業に徹したい」と発言していたブラッド・ピット。この作品は彼にとっての「父親という存在」を模索する作品とも言えないでしょうか。

そして地球に着いたロイは妻と再会を果たします。

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