【解説 レビュー】「大統領の執事の涙」フォレスト・ガンプへの反論とは

『大統領の執事の涙』は2015年に公開された実話をもとにした映画です。

監督はリー・ダニエルズ。主演はフォレスト・ウィテカー。

スポンサーリンク

「大統領の執事の涙」のスタッフ・キャスト

監督
リー・ダニエルズ

脚本
ダニー・ストロング

原作
ウィル・ハイグッド
「A Butler Well Served by This Election」

出演者
フォレスト・ウィテカー
オプラ・ウィンフリー
ジョン・キューザック
ジェーン・フォンダ
キューバ・グッディング・ジュニア
テレンス・ハワード
レニー・クラヴィッツ
ジェームズ・マースデン
デヴィッド・オイェロウォ
ヴァネッサ・レッドグレイヴ
アラン・リックマン
リーヴ・シュレイバー
ロビン・ウィリアムズ

「大統領の執事の涙」のあらすじ

1920年代。綿花畑の奴隷の子供として生まれたセシルは、父から「白人には絶対に逆らうな」と言われて育つ。

その父は目の前で白人の奴隷主に殺され、母親は奴隷主に度重なる暴行を受けた末に廃人同然となる。

「ここにいたらいずれ自分も殺される」

セシルは農園を出て、自分で生きていこうとするが、それは多くの困難を伴うものでもあった。

当時は白人が黒人を殺しても罪には問われず、外にはリンチで殺された黒人の遺体が吊るされている。

職も食べるものもなく、空腹に耐えかねたセシルはウインドウ越しにディスプレイされたケーキを見かける。セシルはたまらず、ガラスを破り、ケーキに貪りつくが、家の主人にみつかってしまう。

傷だらけになりながらケーキを貪るセシルの姿を見た家の主人はセシルに傷の手当てと仕事の世話をする。

その仕事は主人と同じホテルマン。

13年後、セシルはホテルマンとして黒人として成功した人生を送っていた。あるとき、セシルに大統領の執事として、ホワイトハウスでの給仕係として働かないかと声がかかる。

解説・レビュー

「フォレスト・ガンプ」への反論

『大統領の執事の涙』の監督、リー・ダニエルズは本作を「『フォレスト・ガンプ』への反論として撮った」と言います。

『フォレスト・ガンプ』は1994年に公開されたドラマ映画。知能指数は低いが心優しい男フォレスト・ガンプがアメリカの激動の時代を生きる姿を描いた名作です。

アカデミー賞では対抗馬であった、かの名作『ショーシャンクの空に』を抑え、

個人的にも『フォレスト・ガンプ』は最も好きな映画で三本の指に入ります。

その『フォレスト・ガンプ』へ反論とは果たしてどういうことなのでしょうか。

実は『フォレスト・ガンプ』は名作と呼ばれる一方で、批判的な意見も少なくない作品です。

そのひとつは全米最悪の黒人差別とも呼ばれた1950~60年代のアラバマ州を舞台にしておきながら、ほとんど黒人差別や公民権運動が描かれていないこと。

唯一、アラバマ大学への黒人の初めての登校の様子が描かれてはいるものの、州兵に囲まれて登校する少女の落としたノートをフォレストが拾って渡すというコメディ的な演出に終始しています。

『大統領の執事』ではこの公民権運動を真正面から描いています。

主人公のセシルは1920年代に綿花畑の奴隷の子供として生まれ、父から「白人には絶対に逆らうな」と言われて育ちました。

その父は目の前で白人の奴隷主に殺され、母親は奴隷主に度重なる暴行を受けた末に廃人同然となります。

「ここにいたらいずれ自分も殺される」

セシルは農園を出て、自分で生きていこうとしますが、当時の黒人が一人で生き抜くのは容易ではありませんでした。

外にはリンチで殺された黒人の遺体が吊るされ、白人が黒人を殺しても罪には問われませんでした。

空腹に耐えかねたセシルはウインドウ越しにディスプレイされたケーキにたまらずガラスを破り、貪りつきます。

傷だらけになりながらケーキを貪るセシルの姿を見た家の主人はセシルに傷の手当てと仕事の世話をします。

その仕事は主人と同じホテルマン。

13年後、セシルはホテルマンとして黒人として成功した人生を送っていました。あるとき、セシルに大統領の執事として、ホワイトハウスでの給仕係として働かないかと声がかかります。

『大統領の執事の涙』ではセシルが執事として働き出した50年代からのアメリカの公民権運動を中心に描いています。

それは『フォレスト・ガンプ』が描かなかったアメリカの姿でした。

前述のアラバマ大学への黒人学生の入学に際しても、アラバマ州知事のジョージ・ウォレスは自ら校門の前に立ちはだかり、それはケネディ大統領がわざわざ現地に特使を派遣し、大統領布告を読み上げさせるほど。

同様に州知事が黒人の入学に反対する事件は他の州でも起こっています。代表的なものはアーカンソー州で起きたリトルロック高校の事件でしょう。州兵の妨害に遭いながら二人の黒人がリトルロック高校に入学しましたが、二人は激しいいやがらせや命に関わるような暴力を受け、一人は学校を退学するには至りました。

黒人が白人と同じ場所で初めて教育を受ける、そのことは平等な社会への大きな一歩ではありますが、この時代にあっては大きな危険や代償も伴うものでした。

『フォレスト・ガンプ』ではこの部分はまるっきりカットされています。

他にもキング牧師を中心に選挙権を求めたデモ隊に凄惨な暴力が加えられた「血の日曜日事件」。

『フォレスト・ガンプ』の舞台と同じアラバマ州の出来事なのですが、こちらも『フォレスト・ガンプ』には描かれていません。同事件は2015年の映画『グローリー 明日への行進』で詳しく描かれています。無抵抗の人々が次々と攻撃され、死傷者まで出した大事件であり、弾圧の様子がテレビで報道され、人々に強い印象を残しました。

また『フォレスト・ガンプ』はカウンター・カルチャーを終始否定的に描いていると批判されることもあります。

カウンター・カルチャーとはそれまでの伝統的な家父長制や価値観に逆らう文化のこと。日本語では対抗文化とも言われます。

その萌芽は戦後のアメリカにおいて生まれました。

物質的に豊かになったアメリカでは、若者が消費者として大きな意味を持つようになり、「若者文化」が生まれました。

彼らの親世代はアメリカの理想主義を信じ、愛していましたが、彼らの目から見たアメリカは掲げられた理想の裏で大義なきベトナム戦争の長期化や、相次ぐ政治の失策などから、旧来の価値観を否定していくようになります。

こうしてカウンター・カルチャーは若者を中心に広まりを見せていきました。

『フォレスト・ガンプ』でその象徴として描かれるのはフォレストの幼なじみのジェニーでした。



ジェニーは誰か?

ジェニーは歌手を目指し生活しますが、映画の中で見る彼女の人生はことごとく挫折していくのです。

歌手を夢見て活動するも、ストリップで裸で歌うような境遇になり、反戦運動に身を投じるも、同棲しているブラック・パンサーの男からは暴力を受けている。

ジェニーが象徴している「新しい世代の生き方」はフォレスト・ガンプにおいて否定され続けていきます。

『大統領の執事の涙』でジェニーの役割を負うのはセシルの息子のルイスです。

彼は家から遠く離れた大学へ進学しますが、そこに向かう本当の理由は公民権運動に参加するためでした。

ルイスはガンジーの非暴力主義に基づき、黒人の権利獲得のための運動を開始します。

スポンサーリンク
スポンサーリンク