【解説 レビュー】「大統領の執事の涙」フォレスト・ガンプへの反論とは

それは同じく融和主義を持つ白人と食事をしたり、同じバス(フリーダムバス)に乗るというもの。

しかし、幾度となくルイスは逮捕され、投獄されます。

フリーダム・バスではバスをKKKに取り囲まれ、間一髪で逃げ出しますが、バスは爆破され、死傷者も出る事件となりました。

フォレスト・ガンプの「フォレスト」はKKKの創始者、ネイサン・フォレストから名付けられたと設定されていますが、『大統領の執事の涙』で描かれるKKKは正に白い頭巾を被った悪魔。

『フォレスト・ガンプ』がなぜわざわざKKKから名前をとったという設定にしたかは不明ですが、ここにも『大統領の執事の涙』は『フォレスト・ガンプ』への反論というの監督の気持ちの一端が垣間見えるようです。

セシルはなぜ息子が法に反して、そしてその度に家族に迷惑をかけてまで運動に熱中するのかが理解できません。セシルは黒人としては最高に近い地位を得ていますが、ルイスにしてみれば、父親は白人にこびへつらって生きている人間に他なりませんでした。

ルイスが公民権運動に没頭したのは父親への反発心もあったのでしょう。

しかし、公民権運動を推し進めようとした指導者は軒並み暗殺されます。

ケネディ大統領にキング牧師。

その事からルイスは非暴力を捨て、暴力も辞さない団体、ブラック・パンサーへ入党することになります。

『フォレスト・ガンプ』で描かれるブラック・パンサーは女性も平気で殴るDV男でしたが、当然ながらこれはブラック・パンサーを露悪的に描いています。

実際のブラック・パンサーが掲げたものは共産主義と武装蜂起でした。

ルイスはブラック・パンサーの福祉方針には共感したものの、過激化する武装論理についていけず、組織と決別します。

このころにはルイスとセシルは絶縁状態になり、さらに従軍していたルイスの弟が戦死するという悲劇もあり、余計にセシルはルイスを許せなくなっていました。

今作は黒人の公民権運動のほかに親子の断絶もテーマとして描かれています。

親世代と子世代の価値観の衝突です。

セシルは伝統的な家父長的な考え方を持っています。家族の中で父親が一番偉いという考えです。

しかし、ルイスはジェニー同様のカウンターカルチャーの象徴。

セシルは白人の召使いとして「黒人社会」というスクエアな価値観の中で生きているだけだと考えていたのです。

『フォレスト・ガンプ』との違い

『フォレスト・ガンプ』でのジェニーは死ぬまで人生に挫折し続けます。

息子が生まれ、細やかな幸せを得るも、自らが不治の病に冒されていることを知ります。

『フォレスト・ガンプ』の監督、ロバート・ゼメキスは「ジェニーの人生はアメリカの犯した過ちを象徴している」と語ります。

しかし、反戦運動や公民権運動まで「過ち」としてジェニーに背負わせるのは果たしてどうなのでしょうか?

『大統領の執事の涙』で描かれる最も大きな反論がそこにあります。

セシルはルイスが過激化する公民権運動と袂を分かち、きちんと大学を出ても彼を許せずにいました。

それはルイスが上院議員に立候補しても変わらず、親子間のわだかまりは長いこと残ったまま。

しかし、父から見れば幾度も法を犯した息子も、世間から見れば何冊もルイスの本が出版され、彼は黒人の権利向上を訴え続けたヒーローとして扱われていました。

一方でルイスは大統領夫人に招待され、に出席したことで、自分が誇りに思ってきた給仕のサービスが無意識のうちに「白人のために最適化された振る舞い」であったことに愕然とします。

セシルは程なくして仕事を辞め、街頭でデモを行っているルイスの元を訪ねます。

時は90年代。アメリカではなく、南アフリカの人種差別とルイスは戦っていました。

父の姿に気づいたルイスは、セシルのもとへ駆け寄ります。

そしてルイスは自らの過ちを謝罪し、息子と和解を果たすのです。

『フォレスト・ガンプ』との違いはルイスが敗北者として終わりを迎えるのではなく、新しい時代のヒーローとして描かれるエンディングになっている点です。

セシルが抱いていた家父長的な価値観は50年代のアメリカにおいて決して珍しくはありません。黒人社会で同様の問題を描いた作品がデンゼル・ワシントン監督主演の『フェンス』。

ここでは50年代のピッツバーグを舞台にデンゼル・ワシントン演じるトロイが家父長的な価値観を捨てられず、息子との断絶が深まる様子が描かれています。

『フェンス』は親子間の溝が埋まらぬままトロイは亡くなりますが、トロイはトロイなりに必死で家族を愛していたことが妻の口から語られます。

この映画はあえてトロイに感情移入しづらいように作られています。

この気持ちは息子の父への憎悪と重なりますが、その点では息子がトロイを許すにいたる心情も疑似体験することができます。

このように50年代のアメリカは、世代間の大きな価値観の転換期でもありました。

『大統領の執事の涙』はその価値観の移り変わりを素直に受け入れています。

それこそが『フォレスト・ガンプ』への最大の反論でしょう。

歴史は絶えず変わり続けていく。

『大統領の執事の涙』はセシルがバラク・オバマ大統領の誕生を見届けるまでを描いています。

ジェニーは挫折し続けた人生でしたが、現実は大きな勝利を掴むことになったのです。



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