【レビュー】「バック・トゥ・ザ・フューチャー」追い求めた理想の形とは?

「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は1985年公開のSF映画です。高校生のマーティ・マクフライが友人のドクが作ったデロリアン型のタイムマシンで過去にタイムスリップする物語。

スポンサーリンク

「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のスタッフ・キャスト

監督
ロバート・ゼメキス

脚本
ロバート・ゼメキス
ボブ・ゲイル

製作
ボブ・ゲイル
ニール・カントン

製作総指揮
スティーヴン・スピルバーグ
キャスリーン・ケネディ
フランク・マーシャル

出演者
マイケル・J・フォックス
クリストファー・ロイド

「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のあらすじ

1985年のアメリカカリフォルニア州ヒルバレー。ロックとコーラが好きな高校生のマーティ・マクフライは登校前に知り合いの博士、ドクの家に立ち寄る。そこでドクから「今夜1時15分で凄い実験をするから来るように」という電話を受け取るが、そのせいで学校には遅刻。
教師には「マクフライ家は代々落ちこぼれ」とまで言われてしまうが、確かに父親は弱気で冴えないサラリーマン、母は酒飲み、兄はブルーカラーのフリーター。姉もうだつの上がらない人物という家庭環境であった。

さて、ドクの言葉通りににショッピングモール「ツインパインズ・モール」の駐車場に着いたマーティ。彼を待っていたのはドクの愛犬アインシュタインと、デロリアンをカスタマイズしたタイムマシン、そしてドクだった。

ドクの実験とはタイムスリップのことだった。愛犬のアインシュタインをデロリアンに乗せ、1分後のミライにタイムスリップさせる。

実験は成功するものの、タイムマシンの燃料のプルトニウムはリビアの過激派をだまして調達したものだったことから、ドクはリビアの過激派の襲撃に遭い、凶弾に倒れてしまう。
マーティもそこから逃げるため、デロリアンの乗り込むが、運転中、肘が偶然次元転移装置のスイッチにあたってしまい、30年前の1955年にタイムスリップしてしまう。




感想・レビュー

SF映画の名作!

公開当時全米で大ヒットを記録し、「フューチャー現象」を巻き起こしたほどの名作SF映画です。

僕も小学生のとき、映画好きだった先生からおすすめされた記憶がありますね。

もちろん当時も観てましたが、大人になった今、改めて観てみると、当時のアメリカがどういう状況だったのかが見えてきます。

1985年のアメリカ

舞台は1985年のアメリカ。ロックとコーラが好きな高校生のマーティが主人公。彼の家庭は決して理想的とは言えない状態。父親は弱気で冴えないサラリーマン、母は酒飲み、兄はブルーカラーのフリーター。姉もうだつの上がらない人物でした。

そして、ひょんなことからマーティデロリアンをカスタマイズしたタイムマシンでは30年前の過去へと向かい、自分の両親と出会うのですが。。

さて、このデロリアンが使われた理由の1つに、「決して高性能でもない、品質のよくない車だから」というのがあります。

それは言い換えると当時のアメリカを象徴しているとも言えます。

同時期の映画、「ダイハード」の舞台がナカトミビルであることもそうですが、この頃は日本の企業の海外進出、買収が進んだ時期でもありました。

映画「グレムリン」のギズモのモデルは日本人だと言われているように、当時のアメリカにとって日本は脅威であり、また比較して自国の没落を感じている時期でもあったと思います。

タイムスリップ前のマーティ家はそれを象徴的に表しているんですね。

現実的にもこの当時、「古き良き時代のアメリカ」の復権を目指したレーガンが大統領に就任しています。

タイムスリップした30年前の世界で自分のまだ付き合う前の自分の両親に出会うマーティ。

あろうことか自分に惚れつつある母親をどうにか父親とくっつけなければ、自分は生まれてこないー。

なんとかかんとか目的を達成し、1985年に戻ってきたマーティが見たのは、幸せ理想的な姿へ一変した家族でした。

「理想の幸せ」とは

父は小説家として成功、母は聞き分けのいい美人へ。兄は会社つとめのホワイトカラーに変わっていました。

余談ですが、主人公の理想の車として描かれているのがトヨタのハイラックスであるのも当時の日本のブランドの栄華を感じさせます。

30年前から、タイムスリップ前の今に至るまで父親をいじめ続けていたビフは自動車整備としてまるで雑用の召し使いのような描写をなされています。

今回、一番引っ掛かったのはこの部分でした。

ブルーカラーの人間を人生の敗北者として差別的に描いているように見えたからです。

そして、それは言い換えれば1985年においては『目指すべき理想の幸せ』は画一的であったと言えるのではないでしょうか。

誰もが共通の理想像を追い求める。

皮肉にもそれはテクノロジーの進化、インターネットによって崩壊し、2018年の今では奇異に映ってしまいます。

現代の幸せとは

ネットやモバイルの発達で、情報とは、より膨大かつ、プライベートなものへ変化しました。

その結果、価値観は多様化し、「すべての価値を認める」ことが正しさになってきたように思います。

例えば2018年公開の『グレイテスト・ショーマン』はそれぞれの自分らしさと個性を肯定する作品でした。

デロリアンの登場や、冒頭のヴァン・ヘイレンなど、本作へのオマージュが色濃い「レディ・プレイヤー・ワン」もそうでした。

「バック・トゥ・ザ・フューチャー」、名作SF映画であると同時に、それだけに留まらないアメリカの1つの時代を映し出した作品と呼べるのではないでしょうか。

スポンサーリンク
スポンサーリンク