ボヘミアン・ラプソディでは観られないQUEENの親日家エピソード

ボヘミアン・ラプソディ(オリジナル・サウンドトラック)

ボヘミアン・ラプソディ』は2018年の伝記映画。伝説のバンド、クイーンの成功と不和、復活までのストーリーを、フロントマンのフレディ・マーキュリーを中心にドラマティックに描いています。

音楽伝記映画としては史上No.1とも言える大ヒットを記録している本作。

そんな中、QUEENのベーシスト、ジョン・ディーコンを演じたジョゼフ・マゼロが自身のInstagramに本編未収録の日本公演の撮影シーンを投稿して話題になっています。

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日本公演シーンも実は撮影されていた

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日本公演のみならず、QUEENには様々な親日家エピソードが存在します。

このように映画本編には収録されなかった、QUEENの親日家エピソードをご紹介します。



0.日本びいきになったきっかけ

クイーンのメンバーが親日になったきっかけはなんといっても日本でのクイーン人気の高まりにありました。

クイーンはデビューアルバムの制作から発売まで2年近くかかってしまっていたこともあり、そのサウンドは録音時点では良かったものの、デビューの頃にはすでに時代遅れなものとなってしまっていました。

そのため、デビュー時はイギリスのメディアからなどの悪評も多かったのですが、楽曲の良さもあり、その人気はその後徐々に高まっていきました。

クイーンの初来日はそんな頃でした。

その時にクイーンのメンバーは日本でのファンの熱烈な歓迎ぶりに驚き、一気に親日家になったと言われています。

当時の日本ではエアロスミス、クイーン、キッスを三大ロックバンドと呼んでいましたが、男臭いハードロックバンドだったエアロスミス、エンターテインメントの要素をふんだんに盛り込んだキッス、それらと比較して、クイーンにはアイドル的な要素が強かったのでしょう。

1.日本語詞の曲がある

その曲とは『手をとりあって- Teo Torriatte (Let Us Cling Together)』は1976年に発売されたクイーンの5枚目のアルバム、『華麗なるレース』のラストナンバーとして収録されました。

翌年には日本限定でシングルカットされ、2011年に発売された東日本大震災復興のチャリティーアルバム『ソングス・フォー・ジャパン』にも収録されています。

2.陶芸がお気に入りだったフレディ・マーキュリー

クイーンが初めて来日したのは1975年。

その時からクイーンのメンバーは幾度となく来日しています(お忍びを含めて)

特にフレディ・マーキュリーは親日家として有名で、古伊万里や着物など、日本の伝統文化に強い関心を寄せていました。

そんなフレディ・マーキュリーは単に日本の伝統文化を収集するだけでなく、日本のしきたりにも敬意を払うなど、日本の文化を高く尊重していたことが伺えます。

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