史上最低と言われた映画監督「エド・ウッド」について知っていますか?
このブログでも映画としての「エド・ウッド」やエド・ウッドの基本的なプロフは紹介していますが、
改めて読み物としてもご紹介できたらなと思っています。
エド・ウッドとは
1924年10月10日生まれ、1978年12月10日没。
本名エドワード・D・ウッド・Jr.
ハリウッドの反天才、芸術の突然変異と呼ばれる「最低映画監督」です。
映画監督のみならず、映画プロデューサー、脚本家、俳優もすべて務めています。
また後述しますがエド・ウッドには女装癖があり、第二次世界大戦に従軍した際、上陸作戦中にブラジャーとパンツを軍服の下に身に着けていたという逸話があります。
生前は決して評価されることはなく、貧困のうちに没するという人生でありましたが、その死後、安く買いたたかれた「プラン9・フロム・アウタースペース」が深夜テレビで繰り返し上映されると、
そのあまりのつまらなさに「史上最低の映画監督」としてカルト的な名声(?)を得るに至っています。
没後はしばらく忘れられていたが、映画の上映権を安く買いたたかれた結果、深夜テレビの映画枠で繰り返し放送されることになった『プラン9・フロム・アウタースペース』が一部でカルト的な人気を得て映画評論家の目に止まり、1980年に「ゴールデンターキー賞」という本において「歴代最低映画」として紹介され、「再評価」が始まった。
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%83%83%E3%83%89
エド・ウッド – Wikipedia
92年にはエド・ウッドの伝記が発売されています。
評価以前の作品たち
1953年 グレンとグレンダ……監督・脚本・出演
クリスティーン・ジョーゲンセンの世界初の性転換手術のニュースを受け、女装癖のあるエド・ウッドがプロデューサーに監督を直訴した本作。
結果として性同一性障害の映画ではなくエド・ウッド自身の服装倒錯の映画となってしまった。
エド・ウッドの実質的な半自叙伝とも言える作品。主演もエド・ウッド自身が務めている。
1954年 牢獄の罠……監督・脚本・原案・製作
ジャンルとしては犯罪映画。最低映画監督の名に惹かれてこの作品をみると「意外と悪くない」という感想を持つ人もちらほらいるみたいです。
女優は当時エド・ウッドの恋人であったドロレス・フラー。
ドロレス・フラーも2011年に亡くなっている。
1955年 怪物の花嫁……監督・脚本・原案・製作
1959年 プラン9・フロム・アウタースペース……監督・脚本・原案・製作
エド・ウッドのファン
ティム・バートン
ジョン・ウォーターズ
カルト映画「ピンク・フラミンゴ」の監督として有名
デヴィッド・リンチ
サム・ライミ
クエンティン・タランティーノ
エド・ウッドの映画
エドウッドを題材にした映画といえば1994年にティム・バートン監督、ジョニー・デップ主演で映画化された「エド・ウッド」でしょう。
オープニングから「プラン9フロム・アウタースペース」の完璧なオマージュの映像と語りから入るこの映画。
初監督作品の「グレンとグレンダ」から、ベラ・ルゴシの遺作となった「プラン9・フロム・アウタースペース」までのいわゆるエド・ウッドの黄金期を映画化した作品です。
ちなみにベラ・ルゴシは世界ではじめて麻薬中毒を公表したスターでもあります。
終盤、スポンサーの意向と干渉に耐えきれなくなったエド・ウッドがヤケになってバーで飲んでいるとたまたまウェルズと巡り会うシーンがあります。
そこで彼は映画への情熱を取り戻し、彼の(中での)最高傑作『プラン9・フロム・アウタースペース』を完成させる、、、というストーリーなのですが、史実としてはエド・ウッドはその生涯を通してウェルズに会ったことはなかったそうです。
同い年ながら方や世界的な監督、そして情熱はあるが、評価されない作品をとりつづけた『世界最低』の映画監督。。
このシーンはティム・バートンからエド・ウッドへの贈り物だったのではないでしょうか?
ティム・バートン自身、熱心なエド・ウッドのファンだそうです。