【ネタバレ考察】公開から20年「マトリックス」の意味を徹底解説!

マトリックスは1999年に公開された、ラリー・ウォシャウスキー、アンディ・ウォシャウスキー監督、キアヌ・リーヴス主演のSF映画です。

圧倒的な視覚効果と斬新なヴィジュアルで映画の映像表現(VFX)における一つのエポックメイキング的な作品になりました。しかし、マトリックスは映像だけの作品ではありません。

その設定が当時どれだけ斬新なものだったのか、また限りない引用とメタファーをここでは出来る限り詳しく見ていきたいと思います。

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「マトリックス」とは

「マトリックス」のあらすじ

プログラマとしてソフト会社に勤務するトーマス・アンダーソンは、ネオという名で知られた凄腕ハッカーでもあった。ある日、ネオはトリニティと名乗る美女から接触を受け、ネオを探していたという男、モーフィアスと会う。モーフィアスは、人類が現実だと思っている世界が実はコンピュータにより作り出された「マトリックス」と呼ばれる仮想世界であり、本当の現実世界でネオをはじめとした人間たちはコンピュータに支配され、眠らされているという驚きの真実を知る。モーフィアスの誘いに乗り、本当の現実世界で目を覚ましたネオは、ネオこそが世界を救う救世主だと信じるモーフィアスやトリニティとともに、コンピュータが支配する世界から人類を救うため戦いに乗り出すが……

出典:https://eiga.com/movie/49688/
マトリックス : 作品情報 – 映画.com

機械との戦い

機械との戦いは以前から映画のモチーフとしては決してマイナーなものではありませんでした。

古くは戦前に作られた映画「メトロポリス」にもその一端は現れていますし、有名なものではジェームズ・キャメロンの『ターミネーター』などは正にそうです。

その中において、『マトリックス』の世界観はすでに仮想空間内で機械に支配されているものの、ほとんどの人はそれに気づいていないという設定でした。

「マトリックス」の意味

ラリー・ウォシャウスキー、アンディ・ウォシャウスキー監督は「マトリックス」の制作においてジャン・ボードリヤールに多大な影響を受けていると言います。

「MATRIX」という言葉自体、ジャン・ボードリヤールの著作『シミュラークルとシミュレーション』の中にも掲載されています。

シミュラークルとは?

『シミュラークルとシミュレーション』Simulacres et simulation(1981)では、現実とそのイメージの関係を、(1)現実の忠実な反映としてのイメージ、(2)現実を歪めるイメージ、(3)現実の不在を隠すイメージ、(4)いかなる現実とも無関係なイメージに区別し、(4)をオリジナルとコピーの二項対立を超越した純粋なシミュラークルと呼んでいる。そして、現実と記号の等価性の原則から出発する表象(リプレゼンテーション)とは異なり、もはや客観的現実を必要としないこのシミュラークルの産出過程をシミュレーションと名づけるのである。このような思想の前提には、あらゆる財とサービスが情報メディアのネットワーク上で差異表示記号として機能する現代消費社会では、現実と記号の関係が逆転し、現実世界自体が記号化されてしまったという認識がある。ボードリヤールのシミュレーション論がスーパーリアリズム(ハイパーリアリズム)など現代美術に大きな影響を与えたのはそのためである。
シミュラークルの実例は、コンピュータ・グラフィクスやホログラム(三次元写真)などからディズニーランド型のテーマパークまでじつに多様であり、20世紀末以降は高度消費社会そのものがシミュラークル化しつつある。

出典:https://kotobank.jp/word/%E3%82%B7%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AB-523864

シミュラークルとは – コトバンク

高度管理社会

前述の『マトリックス』の世界観はすでに仮想空間内で機械に支配されているものの、ほとんどの人はそれに気づいていないという設定はそのまま私たちの現実にも当てはまります。

今、バスや電車に乗るとほとんどの人は景色を楽しむよりもスマホの画面をみていますよね。まぁ私もですが。

それはスマートフォンという、従来の携帯電話を越えた、ポータブルパソコンとも呼べるデバイスの登場もあるのでしょうが、それ以上にネット環境が広く普及したことが大きいでしょう。

ちなみににマトリックスの公開当時のネット普及率は、世界のインターネット人口で1億9,330万人(1999年12月時点 アクセスメディアインターナショナル調べ)、比べ現在は約40億人で、世界の総人口の53%に相当します。

それは裏を返せば機械に支配されているとも言えます。もし、今パソコンがこの世界から消えてしまったら、一体どれだけの人が失職するでしょうか?

『ファイト・クラブ』

そしてこの年には同じテーマを抱えた作品が公開されています。

それがデヴィッド・フィンチャー監督の『ファイト・クラブ』。

北欧の高級家具を揃え、物質的な豊かさを満たされたエドワード・ノートン演じる「僕」。しかし、そんな僕には生きている充実はなく、に参加し、相対的に自分の幸せを感じることでしか満たされない。やがてその場所でも幸せを感じることはできなくなっていく。

そんな時にタイラー・ダーデンを名乗る男と出会い、殴り合いの秘密クラブ、『ファイト・クラブ』の中でようやく生きている実感を掴む。

『マトリックス』に比べるとストーリーには捻りがあり、結局は現実社会に回帰するしかないリアリズムも感じ取れます。

いずれにせよ、「生きている実感が希薄」というテーマは当時の時代を確かに射抜いていました。

それは裏返せば社会自体が目指すべき目標を見失っていたとも言えます。

時代の目指す目標

あくまで個人的な考えで恐縮ですが、明治維新以降、社会は時代の流れのなかで常に求めるべき目標があり、運命のようにそこへ向かっていきました。

明治維新の時代では、列強諸国の帝国主義に対抗するため、日本もまた近代化し、富国強兵の名の元で国家としてのアイデンティティを維持していかねばなりませんでした。

また、第二次世界大戦後は貧しさの中で武力としての強い国家となるより、経済的な豊かさとしての強い国家となることを目指し、高度経済成長期を迎えました。

やがて経済成長もバブルで終わり、そこで社会の共通目標も一旦終わったように思えるんですね。

そんな中でも若者文化はかろうじて元気だった最後の時代が1999年なのかなと思います。

例えば今CDが数百枚売れたりってもうあり得ないですよね。

当時は例えば音楽でいうと、宇多田ヒカルのCDを買わなければ流行に遅れるとか、そんな意識があったんですよね。

みんなで同じものを求めている時代。

それと入れ替わるようにネットが台頭してきて、「ネット社会」という言葉に現れるように、ネットの中に自分だけの社会を構築することが可能になった。

『マトリックス』のネオもそうです。

ネオにとって現実(この場合はマトリックスの存在を知る前の段階での現実を指します)は戦う場所ではないんですね。ただ、サラリーマンとして会社に行って給料をもらうだけ。

恐らく、ネット犯罪を犯しているときのスリルだけが唯一の生きている実感を得られたときではないでしょうか?

(現実での名前、トーマス・アンダーソンを捨て、真の現実世界ではネオを名乗っているのもそれを示唆しています。)

空虚さから逃げる一つは空想であって、『このつまらない世界は現実ではない』と考えるのもその一つですが、『マトリックス』では正にそれを仮想世界という形で具現化しています。

なお、『マトリックス』から20年たった現在では、空虚さを埋める存在としてアイドルなども代表的かと思います。

(ちなみにアイドルの元々の意味は「偶像」であり、虚無の中にこそ存在する、そのなかで空虚さを埋めるというのは役割としては非常に全うですね。)

『マトリックス』の音楽

音楽のカッコよさも『マトリックス』の魅力の一つですが、音楽にも『マトリックス』のメッセージは貫かれています。

エンドロールを爆音で飾るのはレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの『wake up』。

レイジは元々非常に政治色の強いバンドで、この『wake up』は彼らのデビューアルバムからの楽曲です。

『マトリックス』監督のウォシャウスキー兄弟(当時。現在は姉妹。以下は便宜上兄弟と表記します。)は本作の脚本についてこの曲を聴きながら書き上げたという逸話があります。

『wake up』=目を覚ませ

正にマトリックスのテーマそのもの。

レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンは翌年の2000年のGLAYのシングル『MERMAID』にもその名前が出てくるように、この時代を象徴するようなバンドですね。(同年に一旦解散)

『マトリックス』の引用・メタファー

また、『マトリックス』はその作品の中で多くの引用やメタファーを含んでいるのも特徴。

中でも押井守監督の映画『攻殻機動隊』からの引用説は話題になりました。

一例としては

・後頭部に差すプラグ

・オープニングのグリーンの文字が流れるビジュアル

・機関銃から雨のように無数に散らばる弾丸

など。ちなみに引用説としているのは、押井守監督がウォシャウスキー兄弟と面会したときに、自分達のアイデアが「攻殻機動隊」より先だったと主張したため。押井監督いわく、アメリカはアイデアの盗用について訴訟リスクが厳しいらしく、それに備える目的があったのだろうとのこと。

他にもウィリアム・ギブスンや、ジョン・ウーなど、他作品から引用されていると思しき部分は多岐にわたります。

冒頭に登場するトリニティからのメッセージ「白うさぎの後を」は「不思議の国のアリス」からの引用です。

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