『クリード チャンプを継ぐ男』
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『クリード チャンプを継ぐ男』は2015年に公開されたボクシング映画の名作『ロッキー』シリーズのスピンオフ作品です。
シリーズを通してのライバルであり戦友のアポロ・クリードの息子アドニス・クリードを主人公に添えた本作。
『クリード チャンプを継ぐ男』は批評家からも絶賛されていますが、本当にいい作品です。
『ロッキー』シリーズからのキャストを制限し、あくまでもクリードの物語ではあるものの、『ロッキー』シリーズの最終章『ロッキー・ザ・ファイナル』で語られる
「人生ほど重いパンチはない、それでも諦めずに前に進み続けなければならない」
この言葉そのままに、例えボクシングからは退いたとしても、生きている限り戦いの連続なんだと、それでも諦めない強さが必要なのだと闘病するロッキーを通じて感じさせられます。それこそが今作に至るまで『ロッキー』シリーズを貫いてきた変わらない信念でありメッセージなのだと思います。
アドニスもボクシングを通して、偉大な父の影を超えようとします。それはそのまま自分自身との戦いでもあります。
愛している
何も恨んでいない
「クリード」を誇りに想う
試合が終わったあとのアドニスの言葉です。アドニスが人生に立ち向かう姿にはいつも涙させられます。
僕にとってはクライマックスシーンだけ流しても泣いてしまう映画なのです。
『草原の椅子』
青春映画があるならばこの作品はまさに「大人の映画」と言えるでしょう。
紆余曲折を経て手に入れたそれぞれの現在。
しかし、理想だけではない、子供の頃の憧れとは少し違う、大人であること、現実の苦み。誰しも明るく振る舞いながらもどこか心に暗い影をもっている。
彼らだけではなく、この現実に暮らす私たちも、大なり小なりそうではないでしょうか?
遠間役の佐藤浩市さんが本作のインタビューでこう発言されていたのが印象的だったのですが、
「人生というのは捨ててしまうにはあまりにもったいない」
大人だからといって決して生きるのが器用ではない、恋もすれば、傷つき人に戸惑うこともある。それでも人生は美しく、また愛おしい。
この映画を観ると、いつもそんな気持ちにさせられます。
美しいファンタジーに号泣
『ラブリー・ボーン』
14歳で殺人事件に遭遇し、亡くなってしまった女の子、スージー。天国へ向かうスージーと残された家族や友人のドラマを描いた感動作です。
キャッチコピーは「これは、私が天国に行ってからのお話。」
亡くなったスージーが望むのは犯人への復讐ではなく、残された家族の平穏。もちろんそれを美談と呼んでしまえばそれまででしょうが、やはりこうした美しい物語に触れるのもとても大事なことだと思います。
もし、この映画がサスペンスだったら、スージーは復讐を望み、図らずも父親はその想いを感じて犯人を探しだし、その手にかけるでしょう。そして私たちはその結果にカタルシスを感じるかもしれません。
しかし、前述の通り、その作品はあくまでファンタジー。スージーは復讐に駆り立てられる父親を心配し、また復讐は望まず、あくまで家族と思う相手の幸せを祈ります。
もちろん美しすぎる話かもしれません。しかしその美しさがどうしても涙を誘います。大好きな作品です。
『ジョー・ブラックをよろしく』
『ジョー・ブラックをよろしく』はブラッド・ピット、アンソニー・ホプキンス共演の恋愛映画です。
ひょんな事故からたまたま青年の体に乗り移った死神。彼の役目は年老いた実業家のビルをあの世に連れていくこと。しかし、死神はその前に「人間の世界を見たい」という。
そして死神はビルの娘、スーザンと愛し合うようになるが、ビルには死期が迫っていたー。
キレイなストーリーの作品だと思います。
特に死期を迎えたアンソニー・ホプキンス演じるビルに誕生日の舞台と人生を振り返るようなスピーチ、セリフの場をクライマックスに持ってきたのはとても美しいシーンでした。性善説、性悪説という言葉がありますが、個人的にはそのどちらでもなく、生まれたばかりの子供にはそれぞれ善悪の価値観すらない、ただ欲求に従うのみと考えています。その中で善悪や美しいもの、幸せや悲しみ、愛情を知っていくのだと。
死神はわずかの間、人間の社会に触れてその中にある美しさを理解しました。ビルの誕生日パーティーの光景を見つめる死神の目には涙が。
「去りがたい それが生だ」
ビルは人生について、そう述べます。
死を描きつつも、それでも人生は美しいというメッセージ。
「生きることは美しい」この映画は人生賛歌の作品なんですよね。その素直なメッセージには思わず涙があふれてきます。
この映画も大好きな作品です。


