【ネタバレ考察】賛否両論!未来のミライがつまらないと感じる人へ

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『未来のミライ』、賛否両論⁉

『未来のミライ』、Twitter上の感想や、個人ブログのレビューとか見てたら賛否両論ですね。

僕も公開してすぐに劇場に足を運びましたが、正直予想と違ってた部分が大きかったです。

予告編を見る限りでは

未来のミライちゃんとくんちゃんが不思議な世界へ冒険の旅に出て、過去や未来を縦横無尽に往き来し、ミライちゃんと信頼関係や絆を作っていく。

エンディングで、未来のミライちゃんと築いた絆はそのまま現在の赤ちゃんのミライちゃんに引き継がれるんだろうなぁ、

と思ってたんですね。

ところが、実際は未来のミライちゃんは最初と最後くらいしか出てこずに、くんちゃんは未来というかほとんど過去の世界にタイムスリップして、尚且つその都度その都度現実世界に戻っていくのです。

Aの世界へタイムスリップ→現実に戻る→Bの世界へタイムスリップ→現実に戻る

みたいな。

しかもタイムスリップを経てくんちゃんが成長しているかと思えば、少しは成長してるけれども、ほとんどは甘えん坊でわがままな性格の年相応の四歳児 。

大人の目線で見ると、そんなくんちゃんにヤキモキ、イライラする人も少なくない様子。

それにもうひとつは作品全体を貫く太くてしっかりしたストーリーがない、ということ。

逆に短編エピソードの羅列のような印象を与えてしまうのも、この作品を期待はずれだったと感じてしまう一因なのかもしれません。

ただ、期待はずれだったね、で終わらせてしまうのはどの映画であっても非常にもったいないことでもあります。

確かに予告編詐欺っぽいところはあるにせよ、そこは気持ちを切り替えて、『未来のミライ』の見るべきポイントを考察していきたいと思います。


『未来のミライ』の見るべきポイント

テーマは「きょうだい 」

サマーウォーズ以降、家族にフォーカスを当てつづけている細田守監督。

監督が本作『未来のミライ』でテーマにしたのが【きょうだい】でした。

主人公のくんちゃんに対して、細田守監督は『四歳にして親からの愛情を妹に奪われてしまう、これは凄い経験だ』と述べています。

下の子が生まれると上の子は、今まで一身に浴びていた僕らからの愛を奪われた気がしたのか、床にひっくり返って泣き叫び、暴れたんです。その姿がとても印象的でね。僕自身は一人っ子で育ったのですが、上の子だって、下の子が誕生するまでは一人っ子だった。だから、十全に息子を理解しているつもりだったのですけれど、下の子が生まれた途端、僕が経験したことのない苦悩、それも4歳にして“愛を奪われる”という人間の本質的な苦悩と直面したわけで、そう考えると「スゴいことだな」と感じたんですよね。

https://www.cinematoday.jp/interview/A0006129
『未来のミライ』細田守監督 単独インタビュー – シネマトゥデイ

くんちゃんは自分の『兄』であるという環境を納得しづらく、それまで一身に受けていた両親の愛情が妹に注がれるという現実に耐えきれないでいます。

この苦しみを感じるのは「きょうだい」という関係ならでは。

きょうだいという関係性

一口に家族といっても家族はいろんな関係性を含んでいます。

ひとつは親子という関係。それは与えられるものと与えるもの、守る方と守られる方など、親子関係からイメージされるその関係は決して平等なものではありません。

しかし、きょうだいという関係は助け合いもすれど、『争う』関係でもあるんですよ(笑)。

例えば小さい子供同士ならそれこそくんちゃんのように親の愛情の奪い合いだったり、そのきょうだい独特の不平等感めありますよね。

お姉ちゃんばっかり!とか、弟ばっかり!とか。

僕にも姉がいるんですが、学生の頃、『家のお手伝い』として課せられるお手伝いが、姉より超ハードなんですよ。

例えば姉は晩ご飯を作るけれど、僕は昼間ずっと農作業とか。

まぁそんな不平等感はずーーっとありましたね(笑)。

くんちゃんは妹ができた瞬間から両親の愛情をミライちゃんから奪い返そうとします。

それまでのくんちゃんの世界は文字通り『自分が中心』だったわけです。自分というものは絶対的な存在だったわけですね。

しかし、妹ができたことにより、そのアイデンティティが根本から揺さぶられる、くんちゃんは必然的に4歳児なりにではありますが、自分の立ち位置を模索して、見つけておかなくてはなりません。



くんちゃんのアイデンティティ探しは私達自身にも通じる

これは実はくんちゃんにかぎったことではなく、私たちにも置きかわる話。

例えば、学生から社会人になった時。進学や転校で学校が変わった時。

もっと言えばクラスが変わった時や、家と学校での自分の違いなど。

私たちは無意識のうちに、周囲の環境に応じて自分の立ち位置を変えていってるんですね。

それは立ち振る舞いやTPOとも言い換えられるかもしれませんが・・・。

ただ、一方で『何があっても変わらない、本当の自分』も必ずいるはずなんです。どこにいようと何をしようと変わらないアイデンティティのことですね。

くんちゃんは家の庭で飼い犬のユッコに出会います。彼から告げられたのは『くんちゃんが両親から愛情を注がれるようになる前は自分が愛情を注がれていた』という事実。

まるで『マトリックス リローデッド』でネオがアーキテクトから『君の前に救世主は実は四人いたんだよ』と告げれたシーンを彷彿とさせます。その時、ネオの中にもそれを信じたくない気持ちがありました。

やはり誰しも心のどこかで『自分は特別』だと思っていたいものなのでしょう。

ユッコの告白によって、くんちゃんは相対的に自分の位置を捉える視点が生まれます。

くんちゃんは他にも子供時代のお母さんにも出会います。

くんちゃんの思うお母さんではなくて、子供の頃はくんちゃんと同じように片付けができなかったお母さん。そんな姿を知っていくにつれて、くんちゃんはそれまでのお母さんのイメージをもう一度とらえ直していきます。

こうしてくんちゃんはお母さんにわがままだけでなく、その人のことを考え、労ることを学んでいきます。

もちろん、くんちゃんが一気に成長するわけでもなく、なんだか3歩進んで2歩下がるみたいな成長度合いなのでイライラする人も多いのでしょう。

この意味ではいくらなんでも4歳に感情移入するのは難しいとは思います。

だからこそ批判が起きているのかもしれませんし、それは理解できますね。

ただ、キャラクターとしてはひいじいじに触れないわけにはいきません。

くんちゃんに勇気を与えたその人ですが、劇中で唯一のヒロイックな人物でもあるので、その存在感や鮮烈さ、かっこよさは圧倒的です。

正直、大人にはくんちゃんより、ひいじいじの方がもっとグッと来るのではないでしょうか。



ファンタジーからの回帰

細田守監督の持ち味の一つでもあるかとは思うのですが、それは「ファンタジー」の世界が必ず存在するということです。

例えば「時をかける少女」ではタイムリープ、「サマーウォーズ」では仮想現実空間。

『ファンタジー』の世界の方が制約なくキャラクターやストーリーを動かせるんですが(『るろうに剣心』の作者、和月伸宏氏も、ファンタジーという非日常空間の方がストーリーをバトル展開へに持っていきやすいとして、なぜファンタジーものが漫画界を席巻しているのかがわかったと武装錬金内でコメントされていました。)、『未来のミライ』ではファンタジーもありつつ、くんちゃんはあくまでも、家族のだれかが過ごした現実的な過去の場面へと足を踏み入れることがほとんどなので、ファンタジーは従来より少なめとは言えそうです。

ファンタジーというより、ノスタルジーですね。

そうすることで、映画のクライマックス、くんちゃんの存在そのものが過去のひいおじいちゃんやお父さん、お母さんのそれぞれの人生の出来事や偶然が積み重なってやっと誕生した『特別なもの』であるということがよく伝わってきます。

これは今をいきる我々でさえ、日々のなかで忘れそうな事実ですよね。

子供の目を通してはいますが、ここは大人の方にもぜひ見てほしい、『見るべきポイント』のひとつです。

ちなみにこの場面のなかで、ひいじいじが結婚を申し込むシーンがあるんですが、いや~涙が溢れましたね。

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