【コラム】4人の「映画の父」って知ってる?

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みなさんこんにちは!早速ですが「映画の父」って知っていますか?
実は、「映画の父」と呼ばれる人物は4人いるんですね。

今回はそんな4人の「映画の父」について、紹介していきます。

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リュミエール兄弟

最初の二人はリュミエール兄弟。
兄オーギュスト・リュミエールと弟ルイ・リュミエールの二人はエジソンが開発したキネトスコープを改良したシネマトグラフを開発。エジソンのキネトスコープは覗き穴方式で一人ずつしか見ることができなかったのですが、シネマトグラフはスクリーンに投影することによって、一度に多くの人々が鑑賞できる、今の映画鑑賞の元となるスタイルのもの。彼らの功績によって、映画は興行として、ビジネスとして成り立つようになっていったのです。

世界初の実写映画『工場の出口』

時に1895年。最初の作品は『リュミエール工場の出口』という、単に工場から従業員たちが出てくる姿を延々と映し出しただけの50秒の(当時はフィルムの長さゆえ、これが限界でした)映像でしたが、なにせ“動く写真”を人々が見るのはこれが初めてのこと。

出典:https://movie.smt.docomo.ne.jp/article/1087560/
120年前の日本も登場!リュミエール兄弟が撮った世界初の映画ってどういうの? | dmenu映画

トーマス・アルバ・エジソン

もう一人はご存知トーマス・アルバ・エジソン。「発明王」として有名ですね。
「映画(というビジネス・概念)の発明」ではリュミエール兄弟に後れを取るも、その元となるキネトスコープなどの映写機を開発したのはエジソンでした。
映画界で今も使用される35mmフィルムを業界標準規格にしたのもエジソン。

「ハリウッド」も発明した!?

さて、エジソンと言えば自身の発明の特許に非常に厳しく、その多数の裁判から「訴訟王」との異名もあります。
そんなエジソンの性格がかの映画産業の中心地、ハリウッドの誕生のきっかけになったのです。

1891年、トーマス・エジソンがモーションピクチャーカメラ(撮影機)の特許を申請、1896年、アメリカニュヨークで初めて娯楽映画を上映する映画館がオープン。当初、映画の流行は一過性のものだと考えられていましたが、1910年までにアメリカ全土で約9000の映画館がありました。

当時、映画を製作するためにはエジソンに特許料を支払う必要がありました。しかし、使用料を払うことを拒む違法なスタジオや会社も多く存在したと言います。

エジソンは探偵を雇い、違法に映画を製作する会社を調査、違法な会社は支払いを逃れようと必死に画策していました。

最終的に違法映画会社がとった方法はいたって単純、エジソンから出来るだけ遠ざかることでした。

当時、エジソンが住んでいた場所はニュージャージー、多くの違法映画会社が辿りついたのがカリフォルニア州に位置するハリウッドでした。ハリウッドで続々と映画スタジオを設立。これがハリウッドが映画の中心地となったきっかけの一つです。

出典:https://ciatr.jp/topics/58946
ハリウッドに関する驚くべき話10 | ciatr[シアター]

D・W・グリフィス

映画を「芸術」の域に引き上げる

D・W・グリフィスは1875年生まれのアメリカの映画監督です。また俳優、脚本家としても活動しました。

それまでの映画は、ワンシーンワンショット、カメラを固定しての撮影などが主でした。D・W・グリフィスはそこにフェードイン・アウト、カットバック、クローズアップなどの現代まで引き継がれる様々な映画技術を確立し映画の可能性を追求しました。

それまで、映画は庶民の娯楽であり、決して上流階級にもてはやされるようなものではなかったのですが、D・W・グリフィスは映画を「娯楽」の域から「芸術」の域にまで高めました。

D・W・グリフィスもまた、それらの功績から「映画の父」とも称されています。

しかし、アメリカ映画最初の長編作品であり、彼の代表作でもある「國民の創生」においては様々な批判を浴びたことでも知られています。

國民の創生

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今作『國民の創生』はKKK(クー・クラックス・クラン)を美化し、黒人を悪役として描いたことから、公開直後から上映禁止運動が巻き起こり、作品は大ヒットとなったものの、内容自体は「アメリカ映画最大の恥」とも言われています。

D・W・グリフィスが偉大であると同時に差別的な描写で批判も受けるという相反した評価を端的に示したエピソードがあります。

1953年に全米監督協会は長年にわたり映画界に功績を残した監督を称えるD・W・グリフィス賞を創設したが、『國民の創生』が人種差別的な描写であることから、「映画界の開拓者として評価するも、白人優越主義は人種差別を増長させる」と協会がグリフィスを批判。これにより1999年にグリフィス賞は廃止された。グリフィス賞にはジョン・フォード、アルフレッド・ヒッチコック、黒澤明、フランシス・フォード・コッポラなど錚々たる監督たちが受賞した。

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/D%E3%83%BBW%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%B9
D・W・グリフィス – Wikipedia

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