「ミスター・ノーバディ」は2009年のSF映画。監督はジャコ・ヴァン・ドルマル、主演はジャレッド・レトが努めています。
今回5年ぶりくらいに観返してみましたが、改めてすごい映画だと思い知らされました。
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「ミスター・ノーバディ」のスタッフ・キャスト
監督
ジャコ・ヴァン・ドルマル
脚本
ジャコ・ヴァン・ドルマル
製作
フィリップ・ゴドー
製作総指揮
ジャン=イヴ・アスラン
オリヴィエ・ローサン
出演者
ジャレッド・レト
ダイアン・クルーガー
サラ・ポーリー
リン・ダン・ファン
「ミスター・ノーバディ」のあらすじ
2092年の世界。そこでは医学の進歩により、どれもが不老不死の生活を謳歌していた。そんななかで、118歳のニモと呼ばれる老人が世界で最後の命に限りのある人間だった。老衰によりまもなくその生涯を終えようとしているニモは、自らの過去を回想していくが、ニモの語る話は矛盾に満ちており、いくつもの人生を生きてきたように聞こえる。果たしてニモの真実の人生とはいったいどれだったのだろうか。
感想・レビュー
5年ぶりくらいに再度観てみました。
改めてすごい作品だなと思います。(非常に難解な映画でもありますが)
映画は人生を描けると以前書きましたが、ここまで幾重にも鮮やかにそれを証明した作品はないのではないでしょうか。
主演はジャレッド・レト。
役作りも含めてとても器用でかつ上手いですね。
様々な状況におかれたそれぞれの人生の役を巧みに演じ分けています。
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人は一日で平均9000回もの決断をしていると言われます。もちろん人生にもしもはないのですが、それでもその『もしも』を夢想することはよくありますよね。
映画で描かれているように、人生の分岐点とは自分で選択するもの以外にも、バタフライ効果のように世界のどこかの知らない人の些細な行動がその後大きくなり、ある日自分の人生に大きな影響を及ぼすかもしれません。
ニモはいくつもの決断を下し、もしもの人生を生き、そして分岐点に返ってはまた人生を繰り返します。
それらをすべて描ききった、本当に凄い作品ですね。
私たちも、ニモと同じように、無数にある人生の一つを歩いています。
言い換えれば、『人生には無限とも言える可能性がある』ことをこの作品は示唆しているのではないでしょうか。
ネタバレ
『ミスター・ノーバディ』で描かれるいくつものニモの人生。
それは両親が離婚し、どちらの親についていくかを迫られた9歳の子供が想像した、もしもの人生の数々なのでした。
その人生は望まぬ結婚や、妻を失ったり、愛する人と会えなくなる、また銃殺されるなど、決して幸せな結末ではありませんでした。
父を選んだ場合でも、母を選んだ場合でもそれは変わりません。
改めて、9歳の子供にとって人生の果てにいくつも思いを巡らすほどの重すぎる決断だと思います。
そしてニモは二人を選ばずに、自分で自分だけの道を走っていきます。
それは9歳の少年がはじめて人生で能動的にした『選択』でした。
未来世界の118歳のニモはそのことを嬉しそうに記者に話します。
映画のなかで語られた、『もしもの人生もすべて真実の人生だ』という言葉。
それはもしもの人生を想像して、一番最後にたどり着いた想像の果てが、118歳になって生き延びている未来のニモの人生であり、それはそこに至るまでのいくつもの『もしもの人生』がなければ成り立たない結果だったからではないでしょうか。
物理学窓の外に目を向けると、そこでは彼らの世界が崩れ落ちようとしていました。
ニモのいくつもの人生の空想が終わり、自分の人生を自分で歩み出したからです。
果たして、その人生は幸せなのか。
未来世界の一つでずっとアンナを灯台の下で待ち続けていたニモ。
ニモが人生を歩き始めると同時に、未来のニモのもとにも、アンナが訪れます。