【ネタバレレビュー】「マッチポイント」ウディ・アレンが描く罪と罰

「マッチポイント」は2005に公開されたウディ・アレン監督・脚本のサスペンス映画。

主演はジョナサン・リース=マイヤーズとスカーレット・ヨハンソン。

ウディ・アレン作品の中でも「アニー・ホール」「マンハッタン」に次いで評価の高い一作です。

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「マッチポイント」のスタッフ・キャスト

監督
ウディ・アレン

脚本
ウディ・アレン

製作
レッティ・アロンソン
ギャレス・ワイリー
ルーシー・ダーウィン

製作総指揮
スティーヴン・テネンバウム

出演者
ジョナサン・リース=マイヤーズ
スカーレット・ヨハンソン

「マッチポイント」のあらすじ

アイルランド出身のプロテニス選手のクリス(ジョナサン・リース=マイヤーズ)は、自分のキャリアに限界を感じ、人生を変えたいと思っていた。そんな彼がロンドンのあるテニスクラブで教えるようになり、ハンサムな上流階級出のトム(マシュー・グッド)と親しくなったことがきっかけで、トムの裕福な家族とも交友を深め始め、オペラ鑑賞などにも誘われるようになる。そのうちクリスはトムの妹クロエ(エミリー・モーティマー)と付き合うようになるが、一方でトムのフィアンセで、アメリカからやって来た女優志望のノーラ(スカーレット・ヨハンソン)にも強く惹かれてゆく。

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%9D%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%88_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
マッチポイント (映画) – Wikipedia




感想・レビュー

ウディ・アレン作品の中でも評価の高い一作。近年の作品の中では最も人気のある作品ではないでしょうか?

コメディを得意とするウディ・アレンですが、稀に他ジャンルにも映画の幅を広げることがあります。

今作『マッチ・ポイント』はジャンルとしてはサスペンス映画。

ウディ・アレンが描く「サスペンス映画」

不倫相手が邪魔になり殺害を決意するという、サスペンス映画の王道、スタンダードともいえるプロットですが、随所にウディ・アレンらしさも感じられます。

町を歩く主人公を少し離れたところから撮るショットはウディ・アレン映画の定番ですし、主人公たちが映画館へ映画を観に行くのもウディ・アレン作品ではよく見られる光景です。

ちなみにウディ・アレン自身も幼い頃からよく映画を見ていたそう。

ただ、それらはあくまで娯楽の範疇を出ないものであり、戦争が終わり、イギリスから芸術映画が入ってくるようになってウディ・アレンは本格的に映画に目を向け始めるようになります。

『マッチ・ポイント』に話を戻しましょう。

『マッチ・ポイント』の解説

ウディ・アレンにとって、音楽も映画の大事な要素の一つ。

マジック・イン・ムーンライト』では、例え緊迫感のあるシーンでも音楽はあくまで軽妙で、それが一段とコメディらしさを引き立たせていました。

今回の『マッチ・ポイント』は流石にサスペンス。映画全体に音楽も重厚感を増し、映画全体の緊張感を高めています。

またこうした不倫から始まるサスペンスでは、エロティックなシーンが半ばお約束としてありますが、ベッドシーンは見せるものの、ヌードを見せないのもウディ・アレンらしいところ。

ジャンルは違いますが、『マンハッタン』も『アニー・ホール』でもセックスについての会話やベッドシーンはあってもヌードはありませんでした。

その不文律は『マッチ・ポイント』においても守られています。

しかし、色気がないかと言われるとそうではなく、主人公クリスの浮気相手のノラを演じたスカーレット・ヨハンソンはものすごく官能的に撮られています。

こうしてみると、ウディ・アレンはどこか自分の手に負えないような奔放な女性が好きなんだろうなぁと思いますね。

もちろん『マッチ・ポイント』のスカーレット・ヨハンソンは(クリスのまいたタネではあるものの)クリスの家庭を崩壊させようとして、クリスに殺意を芽生えさせることになってしまいました。

本当に人を殺すということ

まず、ノラを、狙ったと思わせないように、ノラの隣の部屋に住んでいる老女を殺害。

ウディ・アレンは『人を殺すこと』をできるだけエンターテインメントから遠ざけようとしています。

クリスは殺人狂ではなく、自業自得ではあるものの、窮地から状況を脱するにはノラを殺す他ありませんでした。

そして、それを完全に遂行するには無実の隣人まで殺害する必要がありました。

あくまでノラは「強盗殺人のついでに殺された」ということにならなければならない。

しかし、不要な殺人を犯したことにクリスは感情を爆発させます。

人を殺すことの罪。それは裁判で与えられるものではなく、自分の良心の重責が自分自身に与えるものです。

その意味ではこの映画はクリスが劇中で読んでいたドエトエフスキーの「罪と罰」に通じるものがあります。

必死に自分の行為を正当にしようと考えるクリス。対して事件を追う警察も、クリスは単なるノラの浮気相手ではなく、殺人事件の犯人ではないかと考え始めます。

本当のマッチポイント

警察署での事情聴取に向かう途中、クリスはポケットの中にあった老女の指輪を河に向かって投げ捨てます。

映画評論家の町山智浩氏はマッチポイントとは「クリスがノラを殺すか殺さないか決めるところ」のことだと「ベスト・オブ・映画欠席裁判」に書かれていましたが、本当のマッチポイントは実はここなのです。

指輪が柵を越えて河に落ちるか、歩道に落ちるか。

果たして指輪は歩道に落ち、麻薬密売人がたまたまそれを拾ったことからクリスへの疑いは外されることになります。

罪と罰

その後クリスには子供が生まれ、妻とその家族の盛大な祝福を受けます。

本来であれば幸せの絶頂にいるはずのクリスは深刻な表情。

それもそのはず。父親になるならば、父親に相応しい男にならなければならないのですが、既に殺人者であるクリスにはそれはもう叶わないことだからです。

これから子供に父親として頼られ、尊敬を受けなければならない自分。しかし。そしてそれは永遠に子供の前で嘘の自分を演じ続けるということ。

いつか、それは良心の呵責となってクリスを責め立てる。いえ、それはもう始まっているのかもしれません。

司法の裁きがなくとも、それこそがクリスに与えられた罰。

その意味であえて警察(司法)をクリスから引き離したウディ・アレンのストーリーテリングはひねりが効いているとともに流石と言わざるを得ません。



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