【感想レビュー】マンチェスター・バイ・ザ・シー

「マンチェスター・バイ・ザ・シー」は2017年に公開されたアメリカのドラマ映画です。

監督はケネス・ロナーガン、主演はケイシー・アフレック、ミシェル・ウィリアムズという実力派の俳優。

これ、本当いい映画でした!おすすめです!

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「マンチェスター・バイ・ザ・シー」のスタッフ・キャスト

監督
ケネス・ロナーガン

脚本
ケネス・ロナーガン

製作
マット・デイモン
キンバリー・スチュワード
クリス・ムーア
ローレン・ベック
ケヴィン・J・ウォルシュ

出演者
ケイシー・アフレック
ミシェル・ウィリアムズ
カイル・チャンドラー
ルーカス・ヘッジズ

「マンチェスター・バイ・ザ・シー」のあらすじ

アメリカ・ボストン郊外でアパートの便利屋として働くリー・チャンドラーのもとに、ある日一本の電話が入る。故郷のマンチェスター・バイ・ザ・シーにいる兄のジョーが倒れたという知らせだった。
リーは車を飛ばして病院に到着するが、兄ジョーは1時間前に息を引き取っていた。
リーは、冷たくなった兄の遺体を抱きしめお別れをすると、医師や友人ジョージと共に今後の相談をした。兄の息子で、リーにとっては甥にあたるパトリックにも父の死を知らせねばならない。

ホッケーの練習試合をしているパトリックを迎えに行くため、リーは町へ向かう。見知った町並みを横目に車を走らせるリーの脳裏に、過去の記憶が浮かんでは消える。仲間や家族と笑い合って過ごした日々、美しい思い出の数々——。

兄の遺言を聞くためパトリックと共に弁護士の元へ向かったリーは、遺言を知って絶句する。「俺が後見人だと?」
兄ジョーは、パトリックの後見人にリーを指名していた。弁護士は、遺言内容をリーが知らなかったことに驚きながらも、この町に移り住んでほしいことを告げる。「この町に何年も住んでいたんだろう?」
弁護士の言葉で、この町で過ごした記憶がリーのなかで鮮烈によみがえり、リーは過去の悲劇と向き合わざるをえなくなる。なぜリーは、心も涙も思い出もすべてこの町に残して出て行ったのか。なぜ誰にも心を開かず孤独に生きるのか。

リーは、父を失ったパトリックと共に、この町で新たな一歩を踏み出すことができるのだろうか?

出典:http://www.bitters.co.jp/manchesterbythesea/aboutthemovie.html
映画『マンチェスター・バイ・ザ・シー』公式サイト



感想・レビュー

じんわりと心に沁みる、素直に『いい映画観たなぁ』と思える作品でしたね。

俳優の抑えた演技と、上品な脚本。できすぎたハッピーエンディングや、喋りすぎる台詞などもなく、しっかりした本当にいい出来の作品です。

もともとマット・デイモンが主演を努め、脚本の初稿も書いていましたが、主演は親友のベン・アフレックの弟、ケイシー・アフレックに譲り、また脚本は監督のケネス・ロナーガンに譲り、自らは製作に名を留めるに至っています。

ケイシー・アフレック演じるリーはボストンで便利屋として働いています。周囲を寄せ付けずに、孤独な生活を送るリーの元に、兄のジョーが重体だという知らせが入ります。

故郷のマンチェスター・バイ・ザ・シーに向かうリーでしたが、病院に着いたときにはジョーはすでに息を引き取っていました。

しかし、兄の遺言にはリーを息子のパトリックの後見人にするように書かれていました。強く拒否するリー。

彼はマンチェスター・バイ・ザ・シーにいた頃、自らの不注意で幼い子供を死なせた過去があったのです。

パトリックが幼い頃は兄のジョーとともに三人で魚釣りに興じるなど、明るい青年だったリーも事件のあとは自殺をはかり、生気を無くし、妻のランディとは別れ、マンチェスター・バイ・ザ・シーからボストンへと引っ越していたのでした。

そんなリーにとって、マンチェスター・バイ・ザ・シーは辛い想い出の残る場所でもありました。

パトリックは今の生活が充実しているため、この故郷に留まりたいと言いますが、リーはパトリックとともにボストンへ引っ越すことを望んでいました。

そんな二人の考えはすれ違うばかり。

パトリックの両親は母のアルコール依存症が原因で離婚していましたが、パトリックは母とはメールのやり取りをしており、父が亡くなったことも報告していました。

パトリックは折り合いの悪いリーのもとではなく、母と暮らすことを考え出しますが、数年ぶりに会った母はアルコールこそ控えていたものの、まだ不安定なところがあり、一緒に住むのは難しい状態でした。このシーンを境にリーがパトリックの望みを少しずつ歩み寄る場面が見られます。

それはもはや頼れるのがリーだけとなったパトリックの生活に対して、リーなりの同情なのか、愛情なのか。

友達に囲まれ、快活そうな十代の少年も、父の死や、母の不安定さという困難を抱えこんでいます。

そのことを改めてリーは実感したのではないでしょうか?

そんなある日、リーは道で偶然会った元妻ランディから謝罪の言葉を聞かされます。ランディはすでに再婚し、新しい子供も生まれています。

あの事件の時ひどいことを言って悪かったと。そして、あなたを赦すということも。

『君の言葉に俺は救われた』そう言うリーでしたが、彼の心は晴れないままでいます。

監督のケネス・ロナーガンはこの映画について、『安易に救いを与えるのは傲慢だ』と発言しています。

リーは自らの不注意で死なせてしまった子どもへの贖罪の気持ちは、妻からの許しでいくらか和らぐと思っていたのでしょう。しかし、実際に妻からの許しを得ても、贖罪の気持ちは消えない。その逃避として、次のシーンではリーは町のバーに姿を見せるのです。

リーはパトリックを友人のジョージに養子として迎えてもらい、パトリックのマンチェスター・バイ・ザ・シーに留まりたいという思いを叶えました。

しかしリーにとっては想い出の残るマンチェスター・バイザシーでパトリックと共に生活するのはつらすぎる事でした。

『辛すぎる』『乗り越えられない』

そう言ってリーは再びボストンへ戻っていきます。

もともとマット・デイモンが書いた脚本では主人公が立ち直るまでが描かれる予定でした。しかし、ケネス・ロナーガンはその脚本を改訂し、主人公が立ち直るまでを描かないことにしました。

このことは救済と人生に誠実な姿勢を感じさせます。

以下はケネス・ロナーガンのインタビューより。

本作でもリーは悲劇を乗り越えているわけでも、何か状況がものすごい改善したわけでもないけれども、少なくとも最初の彼と比べれば最後はより人間的になってきていると言えるでしょう。人間性を再び取り戻すことができて、そこから様々な関係がこれから育まれていくのではないかと思えるところは、”ハピアー・エンディング(happier ending)”なんじゃないかというふうに思っています

出典:https://i-d.vice.com/jp/article/kzbdaw/manchester-by-the-sea-interviewhttp://cinefil.tokyo/_ct/17074826
『マンチェスター・バイ・ザ・シー』:ケネス・ロナーガン監督インタビュー – i-D

すべての結末がドラマのような完全なハッピーエンドに収まることは現実の人生では起きない。しかし、その事から目を背けて、ハッピーエンドを描いてしまうことは、人生を描くことではないとケネス・ロナーガンは考えたのではないでしょうか。

孤独に、大きすぎる傷を抱えながら生きるリー。しかし雪が溶けて春が来るように、彼にもたしかな希望の萌芽が芽生えるのです。

エンディングはジョーの葬儀。

ボストンへ戻っていたリーですが、この日はマンチェスター・バイ・ザ・シーに戻ってきています。

もう一部屋ある家がいいが、中々いい物件がないとパトリックに愚痴をこぼすリー。なぜもう一部屋ある必要があるのかと問うパトリックに対して

『お前が遊びに来る』

と答えるリー。

再び、人と繋がり、人生の希望を感じさせるエンディングです。

リーは、マンチェスター・バイ・ザ・シーではまだ暮らすことはできません。ここで起きたことを彼自身まだ乗り越えられていないからです。

リーはまだ救われていないのですが、それでも確かな光を感じさせます。

それはきっと私たちの人生にも感じられる光。

映画『マンチェスター・バイ・ザ・シー』が描いているのは夢物語ではなく、確かに人生に存在する希望と現実の重みなのだと思います。



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