【感想 レビュー】「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」フィンチャーが描く人生讃歌

映画『ベンジャミン・バトン』

しかし、デヴィッド・フィンチャーはベンジャミンの生きる時代も、環境も書き換え、ベンジャミンの人生を肯定的に描いています。

フィッツジェラルドの小説では1860年生まれのベンジャミンも1918年生まれに変更され、デイジーとの幸せな生活に流れるBGMはビートルズの「Twist And Shout」。1940年に亡くなったフィッツジェラルドが知ることのなかった音楽です。

『セブン』にしろ、『ドラゴンタトゥーの女』にしろ、自分の企画で映画を撮らずに、誰かの脚本の監督を依頼されるケースがほとんどのデヴィッド・フィンチャー。

事実、今作の企画も1980年代から存在し、スティーブン・スピルバーグ、スパイク・ジョーンズと多くの監督候補を経た後にフィンチャーが監督の座に収まっています。

デヴィッド・フィンチャーは今作を監督した理由を「ラブストーリーだから」と答えています。

もともと原作を読むより先にエリック・ロスの書いた脚本を読んだというフィンチャー。

人生の哀しみが滲む原作より、映画版には多くの、そしてひたむきな愛が描かれています。

ベンジャミンが初めて出会う愛は捨てられていた彼を拾い育てた養母のクイニーからのもの。子供のいないクイニーとディジーの夫妻は老人の容姿のベンジャミンを自分達の子供として引き取り、愛情深く育てていきます。

「しわくちゃで醜いけど、あなたも神の子よ」

クイニーのこのセリフには被差別側の人間としてベンジャミンにシンパシーを感じているということと、本来は外見によって差別されるべきではないというクイニーの考えまで示されているように感じます。

ベンジャミンの父であるトーマス・バトンの家を見るとわかりますが、黒人は身分の低い使用人のような仕事をしています。その事からも南部のニューオリンズの黒人の状況がわかるかと思います。

クイニーを演じたのは、 『ドリーム』のタラジ・P・ヘンソン、そしてディジーを演じたのはマハーシャラ・アリ。『ムーンライト』や『グリーンブック』など今やアカデミー賞の常連俳優と言ってもいい俳優ですが、今作が映画デビュー作となります。

ちなみに『ドリーム』も『グリーンブック』もどちらも黒人差別を描いた作品です。

そしてベンジャミンが12歳の時に、デイジーと出会います。幼いデイジーを演じたのはエル・ファニング。しかし、その声を充てたのはケイト・ブランシェット本人だというので驚きです。

愛すれば愛するほどより人生を生きるようになるし、たくさんのものを失う

「人は愛すれば愛するほどより人生を生きるようになるし、たくさんのものを失うという事実も知っていくのよ」(引用:映画.com

今作についてケイト・ブランシェットはこのように答えています。

この映画には特定のイデオロギーや過度なドラマチックさはありません。

ただベンジャミンが出会い、別れ、様々な人との交流のなかで起きる出来事を淡々と描いています。

金持ちと貧しい人、若い人と老人、孤独な人とそうでない人、夢を追う人と夢を諦めた人。

ベンジャミンの父親は金持ちですが、その葬儀は寂しいものでした。逆にクイニーは裕福ではないものの、葬儀には多くの人が集いました。

一方で、金で買える幸せもあるということも明確に描いてもいます。

ベンジャミンは40代になったころ、ようやく外見と年齢が釣り合うようになります。

デイジーと結ばれ、娘のキャロラインも生まれ、幸せの絶頂のはずの日々。

しかし、それも長くは続かず再び周囲の人とのズレが生じること、そのリスクを既にベンジャミンはわかっていました。

「永遠はない」

デイジーにそう言ったベンジャミンは娘の一歳の誕生日のあと、家族の元を去り世界を一人で巡ります。

娘のキャロラインが12歳になった頃、ベンジャミンは再びデイジーの前に姿を表します。



唯一の明快なメッセージ

僕が好きなのは世界を巡った先からベンジャミンが贈るキャロラインへ向けての言葉。

『遅すぎることは何もない

望みはきっと叶う

いつ始めてもいいんだ
変わるのも、変わらないのも自由だ

最高でも最悪でも
もちろん最高のほうがいいが

驚きを目にし
感じたことのないことを感じて

さまざまな価値観に触れてほしい
誇りをもって生きろ

道を見失ったら
自分の力で

やり直せばいい』

これは冷静な視点でベンジャミンの人生を描いている本作が唯一はっきりとメッセージを打ち出している部分。

人生に正解などない。

しかし、常に自分を認めながら人生に挑むべきだ。

デイジーの前に再び姿を現したベンジャミンは「永遠はあるよ」と、かつてとは正反対の言葉を伝えます。

このセリフ、英語だと「some things you never foget」

「私はもう老いた女性になってしまった」というデイジーに対して「君にも忘れられないことがあるだろう」というニュアンスに近いかと思います。

それは外見ではなく、「想い」。年を経ても変わらない想いはフィッツジェラルドの小説にはなかった部分です。

デヴィッド・フィンチャーが今作を「ラブストーリー」と評した理由がわかります。

映画には変わらないものの象徴のひとつとしてハチドリが時折スクリーンに映し出されます。

ハチドリはその動きが独特なことで知られていますが、その動きが∞の形に似ていることから本作においては「永遠」を示すメタファーになっています。

デヴィッド・フィンチャー作品としては異色の本作ですが、確かに「生きること」の本質には触れられる作品です。

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