「アメリカン・ヒストリーX」は1998年に制作された人種問題・ネオナチをテーマにした作品です。エドワード・ノートンは今作の演技によって アカデミー主演男優賞にノミネートされました。
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「アメリカン・ヒストリーX」のスタッフ・キャスト
監督
トニー・ケイ
脚本
デヴィッド・マッケンナ
製作
ジョン・モリッシー
製作総指揮
ビル・カラッロ
キアリー・ピーク
スティーヴ・ティッシュ
ローレンス・ターマン
出演者
エドワード・ノートン
エドワード・ファーロング
ビヴァリー・ダンジェロ
ジェニファー・リーン
「アメリカン・ヒストリーX」のあらすじ
白人至上主義に傾倒するダニーの元に、兄デレクが三年ぶりに帰ってくる。デレクは三年前に黒人の車泥棒を殺した罪で服役していたのだ。兄の帰宅にダニーは喜びを隠せない。なぜなら、父親を黒人に殺害されたダニーは、兄のデレクを三年間崇拝し続ける日々の中で、兄以上に白人至上主義に身を染めていた。
しかし、三年ぶりに会うデレクは、以前とはまるで別人のように穏やかで公平な人間になっていた。彼は刑務所の中で何を見たのだろうか。そして、現代アメリカにいまだ蔓延る差別意識。衝撃の結末を提示しながら、同時にアメリカの慢性的な問題を印象的に描いた作品。
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%92%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BCX
アメリカン・ヒストリーX – Wikipedia
感想・レビュー
私たちの心を映す鏡のような映画
今回、7年ぶりくらいに観てみました。
当初は社会的な映画が観たくて、かつ考察しやすそうな作品ということで選んでみたのですが、、、。
映画の公開は1998年。エドワードノートン、エドワード・ファーロングのWエドワードの主演ですね。
根底にあるのは白人至上主義。自由と平等を標榜するアメリカですが、実際にまだ根強い人種差別や偏見が根付いていることを教えてくれる作品です。
かつては『アメリカってまだそうなんだ』と感じて、それでよかったんですが、2018年の今、観直してみると、少なからず日本も似たような状態になってはいないか?と思うんですね。
歴史の捉え方の話だと思うんですが、かつてはいわゆる『自虐』だったと思うんです。日本はドイツやイタリアと並ぶ悪の枢軸で、戦争をしたことそのものか間違いだったという考え方です。
その後に出てきたのが、日本にとっての戦争は侵略戦争ではなく、無理難題を押し付けられた結果、やむにやまれず生存権を確保するための自衛戦争であったとする考え方。
不景気で暗い世相の中、この考えが衝撃とある意味での希望を与えたのは間違いないと思います。
僕も高校生の頃にこの考え方を初めて知ってやはり衝撃でした。
その後に日本人そのものを盛り立てるようなテレビ番組も増えてきましたね。
その裏でアジアの人々を差別するかのような言動が目立つようになってきたのも事実。
それにはネットの発達で私的な言葉と公的な言葉がメディア上で混在して多くの人が閲覧できるようになったことも大きいかと思います。いわゆるネトウヨとよばれる人々ですね。
こうしてみると、日本も『アメリカン・ヒストリーX』とあまりかわらない状態になってはいないか?と思うんです。
デレクが白人至上主義の考えに傾倒していくのは以下の2つのことが大きなきっかけでした。
・父から職場で黒人優遇制度によって優秀な人がそれに相応しいポジションに就けない不平等を憎んでいるのを聞かされたこと
・父が黒人に殺害されたこと
デレクが『有色人種や移民のせいで白人の仕事が奪われている』と主張するシーンがあります。
その後デレクと仲間たちはアジア系のオーナーのスーパーを襲撃するのですが、果たしてそのシーンを私たちはどう感じるのか、心のどこかでデレクに共感してしまうのか、それともデレクに対する嫌悪なのか、心に問いかけてみて下さい。
なぜデレクは変わったのか?
デレクはネオナチのリーダー格となりますが、ある夜、車泥棒をしていた黒人を射殺したことから三年間刑務所に服役することになります。
その間、弟のダニーは兄への情景もあってますます右傾化していきますが、三年後出所してきた兄は、それまでの思想を捨て、まっとうな人間として帰って来ました。
本作の核は実はここなのです。
なぜデレクは変わったのか?
当初、狂信的な白人至上主義者だったデレクは刑務所の中で同じ白人至上主義者たちのグループに身を寄せますが、1年ほどたった頃、そこは自分の理想とするものではないことにきづき、距離を置くように。
そして、そのグループは看守を買収し、シャワー室でデレクをレイプします。
それまで人種というくくりで人を判断していたデレクですが、そんな彼に親しげに話しかけていたのは同じ仕事を行う黒人の受刑者だけでした。
1年ほどたってようやく彼とも言葉を交わし出したデレク。黒人の彼はテレビを盗んだことと、それを誤って白人警官の足に落としてしまったことを『テレビを投げつけた』と判断され、デレクの倍の刑期の6年の懲役を強いられていました。
『本当は投げたんだろ?』と返すデレクの言葉を強く否定する
その表情はとても嘘をついているようには思えません。
デレクは人種が人を判断する物差しにはなり得ないことを思い知らされるのです。
面会に来たかつての恩師、スウィーニー校長はデレクにこう問いかけます。
「怒りは、君を幸せにしたか?」
そして、怒りに任せて行動してきたことで自分も家族も不幸にしていることに気づかされます。
そのことを弟のダニーに伝えます。
ダニーが兄について書いたレポート「アメリカン・ヒストリーX」は次の言葉で締めくくられていました。
「我々は敵ではなく友人である
敵になるな
激情におぼれて愛情の絆を断ち切るな
仲良き時代の記憶を手繰り寄せれば
良き友になれる日は再び巡ってくる」
私達は果たしてこの言葉に寄り添った生き方・考え方をしているでしょうか。
『アメリカン・ヒストリーX』はそういう意味でも、多くの人に観てほしい映画です。