マンガの実写作品としては稀有な成功例となった『るろうに剣心』。僕自身、小学生の頃から『るろうに剣心』は愛読してましたが、この実写映画の『るろうに剣心』もまた全体的にかっこよく出来ているなと感じます。
今回はそんな『るろうに剣心』シリーズから名言・名セリフを紹介していきます。
『るろうに剣心』とは
『るろうに剣心』は1994年に週刊少年ジャンプで連載が始まった人気コミックです。
明治時代を舞台に、人斬り抜刀斎と呼ばれた幕末最強の志士、緋村剣心の生き方を描いていきます。
1996年にテレビアニメ化。そして2012年には実写映画化されています。
主人公が殺人を禁忌にしているという「不殺」の設定や、明治時代という少年マンガとしては特異な設定もありましたが、大ヒット。90年代後半の週刊少年ジャンプを支える存在でもありました。
原作
原作は和月伸宏が1994年から1999年まで週刊少年ジャンプにて連載。
大まかに分けて
- 東京編
- 京都編
- 人誅編
に分かれます。
一度は完結した作品ですが、2012年には実写映画化を受けて、ジャンプスクエアにて戦いまでをリメイクした『るろうに剣心 -キネマ版-』が一年間短期連載されました。
何回かのスピンオフの読みきりを挟んだ後、2017年より同誌にて『るろうに剣心 北海道編』が連載開始。
この北海道編は、1999年の連載終了時に作者の和月伸宏自身が「もし、るろうに剣心の連載を続けていたら」という構想の中で明かされていたアイデア。
それだけに北海道編に対するファンの盛り上がりは凄いことになりました。
実写映画
実写映画は大河ドラマ『龍馬伝』を手掛けた大友啓史によって2012年に第1弾の『るろうに剣心』が公開されました。
2014年には原作の京都編を元にした映画『るろうに剣心 京都大火編』『るろうに剣心 伝説の最期編』が公開されています。
主演は佐藤健。このキャスティング自体、原作者自身が剣心を実写化するならば候補として一番に挙がったのが佐藤健と言っていたほど。
『るろうに剣心』からの名言・名セリフ
「剣は凶器。剣術は殺人術。どんな綺麗ごとやお題目を口にしてもそれが真実」
神谷薫の流派は人を活かす剣を目指す、神谷活心流。
しかし、剣心の唱える剣術の真実は、人斬りとして数多の人を殺めてきたからこその真実でした。理想と現実を噛み締めてきた剣心ならではの名言です。
ちなみにこのセリフは師匠の十三代目比古清十郎から教わったもの。
「拙者はそんな真実よりも、薫殿の言う甘っちょろい戯れ言のほうが好きでござるよ」
前述のセリフを述べた後、剣心は上のようにも言います。剣心もまた、剣術が殺人術ではなく、道を説くためのものになることを心から願っているのです。
「己に向いた刃は、やがておまえを苦しめることになるぞ」
剣心の幕末からの因縁のライバル、元新撰組三番隊組長、斎藤一のセリフです。
悪・即・斬の信念を持ち続ける斎藤にとって、剣心の不殺の誓いと、そのための逆刃刀は中途半端なものに映っています。
逆刃刀とは峰と刃が逆についた刀。「己に向いた刃」とは逆刃刀を指しています。
「誰にだって、語りたくない過去の1つや2つくらいある。でしょ?」
こちらは薫のセリフ。過去にとらわれている剣心に「私が出会ったのは、剣心という流浪人よ。誰にだって、語りたくない過去の1つや2つくらいある。でしょ?」と言い、神谷道場に剣心を引き留めます。
「犠牲になった命の向こうに、必ず誰もが安心して暮らせる、新時代がやって来るなら」
幕末の動乱の時、剣心はこの言葉とともに人斬りになる決心を固めます。
あくまで平和な新時代を作るために、自らの血刀を振るう、そう決めた瞬間です。
「遊びは終わりだ・・・殺してやるからかかってこい!」
本作のラスボス、刃に向けて剣心が放った言葉。
不殺の誓いを立てていた剣心ですが、薫の命が危ぶまれる事態に、禁を破り、かつての人斬りに立ち返ってしまいます。
原作もそうなのですが、『るろうに剣心』の序盤では剣心が本来の強さを発揮するのは往年の人斬りの状態へたち戻ったときのみでした。
「人を切れば恨みを生む、その怨念を断ち切るのが殺さずの誓いでござるよ」
人を殺せば、斬られた人の家族や友人に恨みが生まれる。剣心はかつてそのような場面を何度も目撃してきたのでしょう。
目に映る一つ一つの人々を守っていく。
原作でも語られる剣心の想いですが、改めてそれが感じられる名言です。
『るろうに剣心 京都大火編』からの名言・名セリフ
「今までありがとう そしてさよなら」
剣心が単身東京から京都へ向かおうと決心した時に薫にかけた言葉。
このシーンとセリフは原作にもありますね。
アニメバージョンはものすごい尺をとって幻想的な演出すらしてあった、力を注いだシーンとして記憶してます。
「我を切り刀鍛えて幾星霜 子に恨まれんとも孫の世の為」
逆刃刀が折れた剣心。そんな剣心が新しく手にしたのは名高い刀匠、新井赤空の真打ちとなる逆刃刀でした。
そこにあった言葉が上記の言葉。
例え、殺人の道具となる刀を生み出すことで子供に憎まれようとも、孫の時代の平和のため。
剣心は赤空もまた自分と同じ思いで刀を作り続けていたことを知ります。
「修羅がうごめく現世ほど 地獄にふさわしいと思わないか」
志々雄真実のセリフ。維新志士として働いていた志々雄は、明治時代を築いた彼らもまた幕末にはまずまずの悪行を行っていたことを知ってます。
そんな志々雄の目にはこの世は修羅がうごめく地獄そのものに映っているのです。
そしてその中で覇権を握っていくことこそ、彼の信念「弱肉強食」なのです。
『るろうに剣心 伝説の最期編』からの名言・名セリフ
「今のお前ではまた人斬りという過ちを犯すだろう。そんなお前に引導を渡すのが師匠の務めだ」
剣心の師匠、十三代目 比古清十郎。
もともと飛天御剣流流はどの派閥にも属してならならないという決まりがありました。
しかし、まだ幼かった剣心はその事を理解できず、目の前の悲劇を憂いて比古清十郎とケンカ別れ。そのまま幕末の動乱へ身を投じ、人斬り抜刀斎として、消えない過ちを背負うことになったのでした。
この言葉は師としての責任感の強さを感じさせるセリフです。
なお、実写版でを演じたのは福山雅治。「龍馬伝」での共演がきっかけのようです。
「今お前が死への恐怖の合間に見出した、生きようとする意思が必要だ」
こちらも比古清十郎のセリフです。剣心は人斬り時代の後悔の意識から自分の命を軽く考えていたことで、それが心の弱さとなり、自分の中に宿る「人斬り」の自由を許してきたと比古清十郎は見抜きます。
そして、人斬りに戻らずに、今のままで強さを高めるためには、「生きようとする意思」が必要だとして、剣でもって剣心の中にある死への恐怖、「生きようとする意思」を目覚めさせてゆくのです。
「真実の答えは、お主自身がこれからの人生の中で見出すでござるよ」
直属の精鋭部隊「十本刀」。その十本刀最強の男、瀬田宗次郎に向けて剣心がかけた言葉。
宗次郎は剣心との戦いの中で、正しいのはそれまで仕えていた志々雄真実の信念「所詮この世は弱肉強食」なのか、剣心なのか勝負を通して正しさを比較しようとします。
しかし、勝った方が正しいというのは志々雄真実の考え方と一緒。
剣心は宗次郎に「真実の答えは、勝負ではなく、これからの人生の中で見出せ」と声を掛けます。
「もうお前や拙者のような、人斬りの生きる時代は終わったんだ」
志々雄真実へ対して放った剣心のセリフです。