今回は僕も大好きな映画、『(500)日のサマー』から名セリフ・名言をピックアップしてみました。
ユニークな恋愛映画なだけあって、セリフも一味違ったスパイスの効いたものが多いです!
ちなみにストーリーのネタバレも含んでいるので、読み進めるときは注意してくださいね!
『(500)日のサマー』とは
2010年公開のマーク・ウェブ監督、ジョゼフ・ゴードン=レヴィット、ズーイー・デシャネル主演の恋愛映画。
時系列をあえてバラバラにしたり、エキセントリックな描き方を交えながらも、恋愛における男女の心の「ズレ」を時にユーモラスに時に切なく描き出した作品です。
第67回 ゴールデングローブ賞でコメディ/ミュージカル部門の最優秀作品賞・最優秀主演男優賞にノミネートされたり、ハリウッド映画祭やサテライト賞などで脚本賞を受賞するなど、評価も高い作品です。
『(500)日のサマー』の名言・名セリフ
「これは架空の物語であり、実在の人物との類似は偶然である。特にジェニー・ベックマンは。クソ女め」
いきなりこのナレーションから始まる今作。この映画の物語のモチーフは脚本を担当したスコット・ノイスタッターが学生時代に経験した恋愛だそうです。
「両親が別れて以来愛したものは二つだけ。一つは自分の長い黒髪。そして髪を切り落としても何も感じないことだ。」
このセリフは上手いなぁと思います。孤独と、真実の恋を信じないサマーの心を上手く表したセリフですよね。
サマー 「この数か月”シド&ナンシー”状態よ」
トム 「シドは包丁で7回もナンシーを刺したんだぞ。僕は喧嘩してもシドにはなれない。」
サマー 「違うわ、シドは私よ」
これは笑っちゃうようなセリフ。
普通に会話を追うとトムが同じ男性のシドと連想してしまいますが、サマーのこのセリフは最高です。サマーの『我が道を行く』エキセントリックな部分と、ユーモアがあふれたセリフ。
ちなみに、シド・ヴィシャスが本当にナンシーを殺したのかは異説も多いです。
サマー「愛は絵空事よ」
トム「君は間違ってる」
サマー「いいわ、どう間違ってるの」
トム「愛を感じれば分かる」
トムとサマーの決定的な違い。僕はトム寄りなので、トムのこの言葉はとてもロマンチックに映りますね。
そして、この言葉は物語の終盤に大きな意味を持つことになるのです。
それはこの記事を読み進めてもらえたらわかるかと思います。
レイチェル「海に魚はいっぱいいるわ」
トム「ありがとう、でも小魚ばかりだ」
クロエ・グレース・モレッツ演じるトムの義理の妹、レイチェル。まだ小学生ながら、劇中ではトムのよき相談相手として、繊細な兄を励ます役割を負っています。
そんなレイチェルが、サマーに失恋したトムを慰めるためにいった一言。
ただ、この時、レイチェルがトムを好きな人として例に出したのは自分の同級生の小学生だったために、トムからは「小魚ばかりだ」と言われてしまいます。
反面、トムの一途さもまた、伝わってくるセリフです。
「彼女しかいないと思うでしょうけど、私は思わない
今は思い出が一杯でも振り返ってみて」
これも、トムを慰める妹のレイチェルのセリフですね。名言だと思います。
「ある日目覚めて感じたの あなたとは違う気持ち」
ラスト、サマーは他の人と結婚して、トムの前に現れます。
なぜ、結婚の相手は自分ではなかったのか問いかけるトムに、サマーはこう言います。そして、「本当の恋を信じない」と言っていた自分より、「本当の恋はある」と言い張っていたトムの方が正しかったことをこのセリフは示しています。
また、このことはサマーがトムと再会するシーンの最後で、改めてサマーから次のようなセリフで示されます。
「会うべくして会った、あなたは正しかったのよ」
今の夫とも、わずかなタイミングのズレや、もし、他の場所にいたら出会わなかっただろう、会うべくして会ったのは運命だったとサマーはトムに言います。
そして、運命の出会いがあると信じていたトムは正しかったと。
ただ、その相手はトムではなかっただけのことかもしれません。
また、このあとトムも面接先でオータムという女性と出会います。
「彼女(サマー)しかいないと思うでしょうけど、私はそう思わない」
トムもまた、本当の運命の相手はサマーではなかったのですね。
レイチェルはそのことをきちんとわかっていたんだと思います。