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ロッキー・ザ・ファイナルのあらすじネタバレ
伝説のボクサー、ロッキー・バルボアも老境に差し掛かり、亡くなった妻の名を冠したレストラン『エイドリアンズ』でかつての武勇伝を客に聞かせ、時間があるときはエイドリアンとの思いでの地を廻るのが習慣になっていました。
義理の兄、ポーリーは前に進めずにいるロッキーに不満を漏らしますが、ロッキー自身もその空虚さをどうすればいいのかわからずいつもの日常を繰り返す日々。
一方、街ではかつてのボクシングでの実績もあり、名士として通っているロッキー。
しかし、息子ロバートは名士としての「ロッキーの息子」という先入観で見られ続けることに疲れ、ロッキーとの間には不穏な空気が漂っていました。
エイドリアンも去ってロッキーの楽しみといえばお店でかつての栄光の話を客にするだけ。
しかし、お客さんも何度も聞いているようで、コンサート会場かのように決まったレスポンスで、結末まで聞き飽きている様子。
そんな中、テレビ番組の企画でかつての自分と今のチャンプのバーチャルバトルが放送されます。
コンピューターが弾き出した試合の結果はロッキーのKO勝利、評論家も大半がディクソンよりもロッキーを評価していました。しかし、ロッキーがたまたま目を留めた次の週の番組では、別の評論家が「ロッキーはすでに過去の人間であり過大評価されているだけだ」と試合結果に対して痛烈な批判を浴びせていました。
その光景に、自分の中にボクシングへの強烈な想いがくすぶり続けていたことに気づくロッキー。
「大会場でなくても、小さなところでもいい」そんな思いを胸に体育協会へライセンスの発行へ向かうロッキー。
体力検査の数値は良好だったものの、協会はライセンス発行をロッキーの年齢とリスクを懸念して渋る態度を見せます。
「年を取るほど、失うものは多い。残ったわずかなものまでも奪わないでくれ」
そう言い放ち、出ていくロッキー。その後ロッキーは正式にライセンスの交付を受けとります。
そんな中、ディクソンにもロッキーとの対戦を打診する声が。
ディクソンはそのころ、強さゆえに大味の試合が多いことがファンの顰蹙を買っていました。
またディクソン自身もそのことに気づいており、苦悩していました。
「ロッキーという老兵とわざわざ戦ってあげる世界王者」という構図にすることでファンの好感度上昇につながるのではないかと考えたディクソンは
その提案を承諾します。
その話はロッキーにも届きますが、年齢というハンデを抱えるロッキーの挑戦を息子のロバートは止めようとします。
「何を世の中に証明したいの?自分に恥をかかせないでくれ」と。
しかし、ロッキーはそんな弱気なロバートの頼みにこう答えます。
『世の中はいつもバラ色じゃない。それなりに厳しく辛い事も待っている。気を抜いていたらどん底まで落ち込んで二度と這い上がれなくなる。それが人生だ。人生はどんなパンチよりも重くお前を打ちのめす。だが、どんなにきついパンチだろうと、どれだけこっぴどくぶちのめされようと休まず前に進み続けろ。ひたすら苦痛に耐え前に進むんだ。』
ポーリー、ロバート、マリーや旧知のトレーナー・デュークらの協力のもと、昔と同じように生卵を飲むなどの以前と同じトレーニングを積み重ね、現世界王者のディクソンとの対決の日を迎えるロッキー。
大方の予想はディクソンの大勝。しかし、ロッキーの予想外に強いパンチとディクソンの骨折というアクシデントが重なり、試合は先の読めない長期戦へ。
最終ラウンド、とうとうダウンしかけたロッキーでしたが、その瞬間脳裏に浮かぶのは先日息子に語った、決して諦めないことの大切さでした。
どれだけこっぴどくぶちのめされようと休まず前に進み続けろ。ひたすら苦痛に耐え前に進むんだ。
立ち上がったロッキーに戦慄の表情を浮かべるディクソン。
試合終了のゴングが鳴るまであきらめることなく打ち合う二人。
試合が終わった瞬間、両者は抱き合い、お互いの健闘をたたえあいます。
試合は2-1の判定でディクソンが勝利したがロッキーには充実感が満ち溢れていました。
ロッキー・ザ・ファイナルの映画情報
2006年
上映時間
103分
監督
シルヴェスター・スタローン
脚本
シルヴェスター・スタローン
出演
シルヴェスター・スタローン
バート・ヤング