ペルシャ猫を誰も知らない
イランの現実がわかる稀有な作品
「ペルシャ猫を誰も知らない」は2009年のイラン映画。自由を制限された環境の中で、文字通り命がけで自由を求めるミュージシャンの姿を描く作品です。
イランでは1979年のイラン革命以来、伝統的イスラムに基づく社会改革が行われ、西洋文化は音楽を含め厳しい規制の下にあります。
この映画に映し出されるミュージシャンからは自由への渇望、音楽への渇望が痛いほど伝わってきます。
「ペルシャ猫を誰も知らない」の製作がイラン当局の規制を受けていないため、映画ではありのままのリアルなテヘランの姿を観ることができます。(ちなみにテヘランはイランの首都)
そこには日本と変わらない車の行きかう都市らしい光景や、子供の手を引く母親といった家族の日常の風景の一方で、ネズミが徘徊するようなごみの山の中で眠るホームレスのような人々の姿も真実として映し出されます。
普段我々が観る映画はハリウッドの洋画か、邦画がほとんどでしょうが、イランも昔から評価の高い映画作品を生み出してきました。
その中でも「ペルシャ猫を誰も知らない」はイランの現実がわかる稀有な作品、そしてあらためて自由とは何かに目を向けさせてくれる映画です。映画としても、教養としてもぜひ観ておいてほしい重要な作品だと思います。
ランボー
平和の裏で払われる犠牲を知る
ランボーは今日においてはもっとも有名なアメリカの軍人ではないでしょうか。
一人でも百万馬力の働きをし、敵をメッタメッタに倒してゆくその分かりやすいヒーロー。
しかし、ランボーにそんなイメージのある人にこそ、この第一作目をぜひ観てみてほしいと思います。
命を懸けて国のために戦ったにも関わらず、国や国民は自分達を愛してくれない。
「何も終わっちゃいないんだ!俺にとっては戦争は続いたままなんだ!あんたに頼まれて必死で戦ったが勝てなかった!そしてやっと帰国したら、空港にはデモ隊が俺を待ち受け、罵り声を浴びせてきた、赤ん坊殺しだ大量殺人者だってね!あいつらにそう言う資格があんのか、誰一人戦争が何かも知らないで俺を責める資格があんのか!」
ラストのランボーのセリフがこの映画の全てですね。
当時の無責任な平和主義者の矛盾をつくような、悲しみに満ちたセリフです。
国のために命を懸けて戦ったが、戦わなかったものからの嘲りや嘲笑、罵りをうけ、そして命を懸けたはずの国家は自分達になにもしてくれない。
泣きじゃくりながらこのセリフを口にするランボーの姿は胸に刺さります。
ランボー3/怒りのアフガン
タリバンを台頭させたのはアメリカ?冷戦時代の中東情勢を学ぶ
続いても「ランボー」シリーズから。
この映画を観ると、冷戦中、アメリカが中東をどう見ていたかがとてもわかりやすいです。
9.11以降、アメリカの仮想敵となったのはイラクやアフガニスタンをはじめとした中東の独裁国家でした。
しかし、冷戦中のアメリカの仮想敵はずっとソビエト連邦(ソ連)でした。
この「ランボー3/怒りのアフガン」は「ソ連のアフガニスタン侵攻」を題材にしています。
アフガニスタンの反政府ゲリラ側とソ連の戦争が続く中でランボーの元上官、トラウトマン大佐がソ連に捕らえられてしまいます。
それをアフガニスタンの助けを得ながらランボーが救出しにいくストーリーなのですが、当時、実際にアメリカもCIAを通じてアフガニスタン側に武器提供などの援助や支援を行っていました。
そして提供される側には、後にタリバンの最高指導者ウサマ・ビン=ラディンも含まれていました。
彼ら、反政府ゲリラは自らを「ムジャーヒディーン」と名乗り、ソ連の戦争を「聖戦」と位置付けました。
しかし、ソ連軍の撤退以降、ムジャーヒディーン各派はアフガニスタンでの主導権をめぐり対立していきます。その中からウサマ・ビン=ラディン率いるタリバンが台頭してくることになるのです。
歴史の皮肉と言う意味でも、観ておいて損はないです。今では絶対に作れない、稀有な作品でもあるでしょう。
ホテル・ルワンダ
浮き彫りになった先進国と発展途上国での「人命の重さの違い」
「ホテル・ルワンダ」は1994年に起きたルワンダ虐殺を扱った映画です。
虐殺の凄惨さはもちろんのこと、先進国と発展途上国での「人命の重さの違い」を知ってほしいと思います。
「ホテル・ルワンダ」の劇中、アメリカのジャーナリストのジャックが秘密裏にルワンダの虐殺をカメラに収め、それをニュースを通して世界に発信しようとします。
ホテルの副支配人のポールは彼に対してそのニュースが発端となり、世界がルワンダに介入し虐殺を止めるきっかけになってくれることを感謝しますが、ジャックから返ってきた答えは『(西欧諸国の人間は)皆「怖いね」と言ってそのままディナーを続けるだろう』というポールの期待を裏切るもの。
果たして現実はそれ以上でした。
外国諸国から助けが来るどころか、それまでルワンダにとどまっていた国連軍も撤退。ポールはあらゆる賄賂と機転でその場を凌ぎ、なんとかホテルを守っていきます。
劇中でも語られていたようにアウシュヴッツは西欧諸国に関係する事柄だったために関心を得られたが、西欧諸国とほぼ利害のないルワンダの虐殺は介入はおろか虐殺行為との認定もなかなか行われず、その結果として100万を越える死者を出すジェノサイドになってしまいました。
例としてアメリカはなかなかルワンダのこの事件を虐殺と認定はしませんでした。その裏にはソマリアでの平和維持活動での介入の失敗がありました。(モガディシュの戦い)
この「モガディシュの戦い」を描いたのが2001年の映画「ブラックホーク・ダウン」。
映画でもソマリアでの海兵隊の過酷かつ絶望的な救出作戦が描かれますが、その事がその後のアメリカの軍事介入を慎重にさせたと言われています。
例えば9.11のテロ事件は100年後の世界史にも刻まれるでしょうが、100万人が虐殺されたこのルワンダ虐殺は果たして今後の歴史に覚えていてもらえるのでしょうか。
もちろん、数の大小ではないことはわかっていますが、 それ以上にアフリカという地域は軽視されているのだと感じます。
バック・トゥ・ザ・フューチャー
名作SF映画に見え隠れする「バブル期の日本」
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は1985年公開のSF映画です。高校生のマーティ・マクフライが友人のドクが作ったデロリアン型のタイムマシンで過去にタイムスリップする物語。
前に述べたように、同時期の映画の「ダイハード」の舞台がナカトミビルであることもそうですが、この頃は日本の企業の海外進出、買収が進んだ時期でもありました。
当時のアメリカにとって日本は脅威であり、また比較して自国の没落を感じている時期でもあったと思います。
タイムスリップ前のマクフライ家は、父親は弱気で冴えないサラリーマン、母は酒飲み、兄はブルーカラーのフリーター。姉もうだつの上がらない人物という家庭環境でアメリカの没落を端的に表してますね。
反対に主人公の憧れの車として登場するのがトヨタのハイラックスであるのが当時の日本のブランドの栄光を感じさせますね。
この当時、「古き良き時代のアメリカ」の復権を目指したレーガンが大統領に就任しています。
参考:ハリウッド映画から見る80年代の日本の姿【バブル時代】
もののけ姫
中世日本に対する多様な歴史観を学べる作品
作品に込められたいくつものメッセージや、ストイックなストーリーも素晴らしいのですが、僕らが教科書で習うような、武士階級を頂点としたカースト制度のような当時の社会の在り方とは異なる歴史観でもって社会を描き出しているのは特筆すべき点だと思います。
ジョンQ~最後の決断~
アメリカの医療保険制度の負の部分を知ろう
「ジョンQ~最後の決断~」は2002年のアメリカのヒューマンドラマ映画です。
主演はデンゼル・ワシントン。アメリカの医療保険制度をテーマに扱っています。
主人公のジョンはいわゆるブルーカラー(貧しい労働者層)であるがゆえに、十分な医療補助を受けられない、しかしそんな折りに子供に高額な医療費がかかる手術が必要になるー。
北欧の高福祉高負担の社会モデルとは対をなす、アメリカの社会モデル。
その裏で富の有無によって生存権まで脅かされてしまう現実の歪み。
どうしようもなく追い詰められた主人公は息子を助けるために、病院で人質をとり、治療を要求します。
「俺は息子を埋葬しない、息子が俺を埋葬するんだ」
そう言いながら必死に治療を訴えるジョン。
その姿に人質になっている人たちまで動かされ、ジョンに協力し始めます。手段は別にしても、ジョンの主張そのものは普遍的で正しいことだとみんながわかっているからでしょう。
親なら子供に対する深い愛情と責任に共感・感動すること間違いなし。
おすすめの作品です。