2019年に公開された『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』ではエンドロールで坂野義光と中島春雄の思い出に捧げる(in memory of yoshimitu banno haruo nakajima)とありました。
坂野義光は『ゴジラ対ヘドラ』の監督であり、2014年に公開された『GODZILLA ゴジラ』のエグゼクティブ・プロデューサーも務めています。そして中島春雄は1954年に公開された初代ゴジラから18年間にわたり、『ゴジラ』シリーズでゴジラを演じたミスター・ゴジラ。
今回はそんな中島春雄についてご紹介します。
中島春雄とは
中島春雄は1929年1月1日、山形県酒田市に生まれました。
1950年に俳優を目指し東宝の演技科に入社。しかし、来る日も来る日も与えられる役は斬られ役などの目立たない役ばかり。
そんな中島春雄の転機になったのが1953年の『太平洋の鷲』という戦争映画でした。同作は本多猪四郎監督、脚本は黒澤作品の脚本を多く書いた橋本忍、特撮の神様の円谷英二が特撮を務めるという豪華なもの。この作品で中島春雄は日本初のファイヤースタントをこなしています。
ゴジラ映画との関わり
この作品の出演がきっかけで中島春雄は円谷英二の極秘企画「G作品」に誘われました。
この作品がのちの『ゴジラ』になります。
円谷英二の依頼内容、それは世界でも類を見ない、着ぐるみで怪獣を演じること。
「人形アニメでやれば7年かかるが、お前が演ってくれれば3月でできる」
円谷英二にそう誘われ、中島春雄は「ゴジラ俳優」への道に踏み出すのです。
しかしながら世界にも類のない着ぐるみ撮影は困難の連続でした。初のゴジラの着ぐるみは重量150キロもあり、思うように動けない中、何とか10mほど歩くことに成功。
その後も中島春雄は必死にウェイト・トレーニングを積み、少しずつゴジラを思い通りに動かすことに成功します。
しかし、未知の怪獣の動きとなるとただ動くだけにはいきません。
中島春雄は動物園に通い、熊や象などの動きをゴジラに取り入れていったそう。
こうして完成された『ゴジラ』は封切とともに驚異的なヒットを記録。
観客動員数は961万人を記録。当時の国民の10人に1人は観た計算になり、 1億5,214万円という興行収入を記録しました。
ミスター・ゴジラ
中島春雄はその後も18年簡に渡ってゴジラを演じ続けました。『キングコング対ゴジラ』が日本国内外で大ヒットになるとゴジラは外貨獲得の手段として60年代には次々に制作されました。
その中でゴジラを演じた中島春雄の知名度も国際的に上昇。海外では『ミスター・ゴジラ』の愛称で親しまれるようになりました。
中島春雄が最後にゴジラを演じたのは1972年に公開された『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』。
2011年にロサンゼルス市より市民栄誉賞を受賞しています。2017年に肺炎のため88歳で死去。
2018年の第90回アカデミー賞の追悼コーナーで、鈴木清順監督、ジョージ・A・ロメロ監督やロジャー・ムーアらとともに取り上げられました。
中島春雄が築きあげた「ゴジラ像」
ゴジラ映画の大ファンだったというスティーブン・スピルバーグは幼いころに『ゴジラ』を観て「どうして怪獣をあんなに滑らかに動かせるんだろう」と衝撃を受けたと言います。
その裏には中島春雄が築きあげた「ゴジラ像」がありました。
2015年、「俺とゴジラ」というテーマのインタビューで中島春雄はゴジラについてこう答えています。
自分が演じたゴジラがこんなに有名になって、世界を代表するムービーモンスターになろうとは、もちろん夢にも思っていなかったよ。手探りだった第一作から、自分が一生懸命にゴジラを演じた甲斐が何よりあったよね。最近ではハリウッドの市長にも歓迎されたけれども、もしも俳優の仕事のみを続けてやっていたら、きっとこんなことはおそらく無かっただろうから、自分にとって怪獣ゴジラは切っても切れない存在になったね。