生き方までも美しい!オードリー・ヘプバーンのエピソード

オードリー・ヘプバーンは1929年生まれのイギリスの女優です。出生地はベルギーで英国人の父とオランダ人の母のもとに生まれました。

5歳で英国の寄宿学校に入学。そのころからバレエを始めることとなりました。10歳のときにナチスドイツの侵略から逃れるために祖父の住むオランダへ移住。
オードリー・ヘプバーンは1944年には優れたバレリーナとなっており、オランダで反ドイツのレジスタンスへの協力のために秘密裏に公演を行って資金稼ぎに協力してました。
このほかにも第二次世界大戦中にはドイツへのレジスタンスであった伯父オットーがオードリーの目の前で銃殺される、強制収容所に送られるユダヤ人の子供を目撃するなどしています。
オードリー自身も栄養失調に苦しみ、重度の貧血と呼吸器障害、浮腫に悩まさました。これらの体験が後年のユニセフでの献身的な活動につながっています。

戦後、舞台女優としてのキャリアを積んだ後、『ローマの休日』でついに映画女優として主役の座を射止めます。
同作は大ヒットし、オードリー・ヘプバーンはアカデミー主演女優賞、英国アカデミー最優秀主演英国女優賞、ゴールデングローブ主演女優賞を受賞するなど、一躍人気女優になりました。
その後も『麗しのサブリナ』『ティファニーで朝食を』『マイ・フェア・レディ』などの名作に立て続けに出演。いずれも多くの映画賞の受賞と今も変わらぬ名作の評価を受けています。

1989年に女優業を引退後はユニセフ親善大使に就任。
1993年1月20日にオードリーはスイスの自宅で虫垂癌のために63歳で死去しました。

死後もその影響力、人気は絶大で、「20世紀最高の美女」で一位を獲得したり、インターナショナル・ベスト・ドレッサーにも殿堂入りするなど、映画界ならびにファッション界のアイコンとしても知られています。

『ティファニーで朝食を』の役柄は本当はイヤだった

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カポーティの原作を映画化した『ティファニーで朝食を』。今でこそ名作映画の一つとして認められていますが、当初映像化に際してカポーティが望んでいたのはカポーティの友人でもあったマリリン・モンローでした。

しかし『ティファニーで朝食を』の主人公ホリーの娼婦という役柄もあり、モンローは辞退。

一方のヘプバーンも「娼婦の演技はできない」と、この役には消極的でした。

そのため、原作の性的なセリフは映画にはほぼ登場せず、のちに今作への出演についてヘプバーンは「実際の私は内気な性格なのです。このような外向的な女性を演じることはかつてない苦痛でした」とコメントしています。

実はコンプレックスの塊だったオードリー

ヘプバーンは自身の高い鼻や痩せた体型などに強いコンプレックスがあったそう。

当時のハリウッドでもてはやされていたのはマリリン・モンロー、マルティーヌ・キャロル、キム・ノヴァク、ラナ・ターナーといったグラマラスな女性たち。

オードリー・ヘプバーンの印象的な太眉も、コンプレックスの鼻に相手の目線が集まるのを避けるためだったそう。

サブリナパンツはオードリーの主演映画がもとになった

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サブリナパンツとは、八分丈・九分丈で細身の女性用ズボンのことですが、このパンツが人気になったきっかけは、オードリー・ヘプバーン主演の『麗しのサブリナ』でヘプバーンは履いていた衣装から。
いかに彼女のファッションに影響力があったかがわかります。
ちなみにヘプバーン自身も普段はファッションはそこまで重要視しておらず、リラックスした気楽なものを好んだと言われています。

女優引退後はユニセフに専念

1989年に女優業を引退後はユニセフ親善大使に就任。
「何としても避けたかったのは、人生を振り返ったとき、映画しかないという事態です。」
というオードリー自身の言葉があります。

社会貢献の分野でもアメリカで民間人に贈られる最高位の勲章である大統領自由勲章をや映画芸術科学アカデミーがジーン・ハーショルト友愛賞を贈るなど高い評価を得ています。

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