【ネタバレ考察】『ダイアナの選択』ダイアナはいつ良心に目覚めたのか?

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『ダイアナの選択』は2007年に公開されたユマ・サーマン主演の作品。

ミスター・ノーバディ』や『バタフライ・エフェクト』と同様に、もしもの未来、パラレルワールドを描いた作品です。

『ダイアナの選択』のあらすじ

高校生の時、反抗的な性格のダイアナは真面目な優等生のモーリーンと親友になります。

友達になって一年がたった頃、クラスメイトによる銃乱射事件が発生。

トイレで逃げ遅れていたところを運悪く犯人に見つけられてしまった二人。

犯人からは「どちらかを殺す?」と言われました。どちらかを助け、もう一人は殺すと。

究極の問いを突きつけられたダイアナの選択は?

まだこの映画を最後まで観ていない人は、この記事を読むのを今ここで止めてください。

そう言いたくなるほど、よく練り上げられた、良い作品だからです。

結末ネタバレ

以下ネタバレします。

 

ダイアナの答えが何だったのか明かされないまま、シーンは大人になったダイアナの生活に移ります。

美術教師になったダイアナは、大学教授の夫、娘のエマと幸せな家庭を築いていましたが、常にあの事件のことが頭から離れずにいます。

映画が進んでいくにつれて、私たちはだんだん大人になったダイアナの生活はそう幸せではないことに気づかされます。

その一例としてダイアナはかつての自分の母親とおなじように、娘につい厳しくあたってしまい、娘は度々奇行をとるようになってしまっています。

また、夫が若い女性とデートをしているのを目撃した直後、ダイアナは車に轢かれます。

なんとか回復したダイアナを待っていたのは、娘が行方不明だという知らせでした。

最終的に明かされるのは、大人になったダイアナの描写は全て「銃を突きつけられた高校生のダイアナが、自分が生き残った場合を想像した」もの。

なので、ダイアナの回りの人間や物事全てはダイアナが作り上げた世界であり、出来事なのです。

銃を向けられたモーリーンは「私を殺して」と言います。

その言葉を受けてダイアナが想像した未来は、死よりも辛い良心の呵責に耐え続けなければならない日々なのでした。

そのことを悟ったダイアナは「私を撃って」と言い、銃乱射事件の最後の犠牲者となります。

『ダイアナの選択』における贖罪

さて、この『ダイアナの選択』という映画、レビューを見ていると「良心」についての映画だという声が多いです。

銃を突きつけられたダイアナは良心に目覚めて自らの死を選択したという感想ですね。

もちろんその解釈も理解できますが、個人にはこの映画は「良心」に加えて「贖罪」の要素も強いのではないか、そして銃を突きつけられた時にはすでに「良心」は目覚めていたのだと考えていす。

映画の細部を見ていきましょう。

「良心」が芽生えた時

高校生のダイアナは教会をサボり、他人のプールで彼氏とセックスします。

その結果、ダイアナは妊娠。堕児をすることになるのですが、その時にダイアナの頬を一筋の涙が伝います。

このときにはすでに「良心」はあった、と僕は思います。

その後、ダイアナは堕児たちの墓を目にします。最も新しそうな墓に書かれていた名前は「エマ」。

それがダイアナの子供であったのか、明言はされませんが、ダイアナはその名前に自らが堕児した子どもを重ね合わせます。

大人になったダイアナが育てている娘は生まれてくるはずだった娘なのです。

ウィリアム・ブレイク

ダイアナはある時エマがある詩を読んでとせがみます。

それはウィリアム・ブレイクの詩『子守の詩』。

その詩を一通り読み終わった後にダイアナはこうつぶやきます。

「なぜエマがこの詩を?」

画家でもあったウィリアム・ブレイクの本を美術教師であるダイアナが持っているのはわかります。しかし、どうしてエマはその本を読んでとせがんだのでしょうか。

エマはダイアナの鏡のような存在でもあります。

罰するための不幸

もう一つ特筆すべきは、大人になったダイアナに降りかかる不幸は銃乱射事件のトラウマがきっかけになったものはあまりない、ということです。

いつまでも手を焼かせる子どもに疲れている自分の姿。

交通事故や夫の浮気さえも銃乱射事件と何の因果関係もありません。

ダイアナが遭遇するそれらの不幸はただ、「ダイアナを罰するため」に存在しているように思えるのです。

交通事故のあとに運び込まれた病院で、ダイアナの服に瞬く間に血が広がっていくのはまさにその典型的な例ですね。

高校生のダイアナは罪を購うために、大人になった未来の世界にそれらの不幸をどんどん作り上げていくのです。

血が広がり、そこで死を迎える。しかし、ダイアナはそれだけでは罪を購えないと思ったのでしょう、次の瞬間、何もなかったようになり、しかし最も残酷な出来事が起こります。

それは愛する娘の失踪。行方不明になったエマを探しにダイアナは森へ向かいます。

大人になったダイアナの世界において、動物や植物はすべて死を連想させる道具として登場します。虫は花の蜜を吸い、また動物の死骸にたくさんの虫が集まっています。

森のなかは薄暗く、ダイアナに迫ってくるように深緑が繁っています。それだけで絶望を感じさせます。

『正しい選択』への足がかり

そしてダイアナは現実へ立ち戻り、「正しい選択」をしようとするのです。

ダイアナは高校の頃、講演会で聞いた言葉を思い出します。

「明日の自分に今なろう。でもどうやって?
最高の水先案内人は想像力です。
想像力とは無限の可能性から未来の自分を作る能力です。
勇気をもって挑戦すれば希望が生まれて運命を切り開けます。
正しい決断が下せるようになるのです。
どんなに挫折してもそれを乗り越えて希望を引き出せます。
未来の自分の姿を想像してみてください。人生を想像してみてください。
良心に支えられた人生を。
良心は神と自然と人間の心の声です。」

原作との違い

原作ではダイアナに良心が芽生えたのは銃を突きつけられた時でしょう。

とっさに「彼女を殺して!私ではなく」と言い放った原作に比べ、映画にはそのような台詞は存在しません。

ただ映画にあるのはモーリーンと繋いでた手をそっと放す描写。

裏切られたかのような驚きと悲しみの入り交じったモーリーンの表情が印象的でした。

このある意味では曖昧な演出によって、映画には大きな解釈の幅が与えられていると感じます。

勇気

個人的にはここでダイアナに足りないのは良心ではなく、「勇気」だと思います。

これは非常に難しく、且つ残酷な問いかけ。

私たちにも人並みの良心はありますが、もしダイアナと同じ状況になったら、と思うと、きっと即座に自分の命を差し出せる人はそう多くないかもしれません。

エマを産んであげられなかったことから芽生えた良心、そして銃を突きつけられた瞬間にそれは試されたのです。

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