【考察】『猿の惑星』作品に隠されたメタファーは何か?

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『猿の惑星』とは

『猿の惑星』とはフランスの小説家ピエール・ブールが1963年に出版したSF小説。

その小説をもとに1968年に映画版『猿の惑星』が公開されています。

映画は当時としては非常にレベルの高い特殊技術が盛り込まれています。

さて、今回はこの1968年の映画版『猿の惑星』が何を暗喩しているのかをみていきましよう。

猿の惑星は何を表現しているのでしょうか。

ストーリーはチャールトン・ヘストン演じる宇宙飛行士のテイラーとその仲間であるドッジ、ランドン達の乗った宇宙船が墜落。

その惑星は原始的な惑星であり、一見、荒野の支配する世界に見えたもののその実は高度な知性を持った猿達が、動物と化した人類を支配する「猿の惑星」でした。ドッジは猿に銃撃され死亡、ランドンもテイラーと共に猿の軍団に捕らえられてしまいます。

テイラーは「猿並みの知能を持つ生物」ということで、考古学者のコーネリアス、獣医のジーラと徐々に心を通わせていきますが、自分達にならぶ知能をもった人間がいると認めたくないゼウスはテイラーを危険視し、手術して廃人にしようと画策します。

猿の惑星の政治・司法レベルは人類史でいうところの中世時代の頃のように宗教がその基盤にあり、コーネリアスが主張するような現代的な科学からのアプローチによって真実を求める手法は異端として懲役刑となることが示唆されています。

しかし、この『猿の惑星』が本当に示すテーマはより現代的なものです。

宇宙開発競争

映画版『猿の惑星』の大きなテーマは東西冷戦です。

アメリカとソ連が軍事力はもちろんあらゆる分野で互いに争った時代。

その代表例として最も有名なもののひとつが宇宙開発競争でしょう。

ピエール・ブールの原作も宇宙船が登場しますが、それはあくまでも未来のこと、そして猿の持つ科学技術の高さを示すためのものでした。

映画版で印象的なシーンのひとつが不時着した惑星にランドンがアメリカ国旗を立てる場面。

映画の製作された1968年当時は宇宙開発においてアメリカはソ連の後塵を拝していました。

アメリカが宇宙開発で世界のトップに躍り出るには公開翌年の1969年のアポロ月面着陸を待たねばなりません。

シーンは単に映画の1場面という訳ではなく、当時のアメリカ国民の思いを代弁したシーンでもあるのでしょう。

猿は日本人なのか

小説『猿の惑星』における「猿」

『猿の惑星』における、人間と猿の立場の逆転は原作者のピエール・ブールが戦時中に日本の捕虜になった経験から生まれており、作中の猿は日本人のメタファーだという説が流れていました。

確かに戦時中は日本人は人種的にアメリカなどの西欧人に比べて劣った種であるとする説が喧伝されていましたし、当時のアメリカ大統領のフランクリン・ルートルーズベルトでさえそれを信じていたという話もあります。

一方で実際にブールが日本軍の捕虜になった経験があるかどうかは異論があるところでもあります。正確にはブールを捕虜にしたのはヴィシー政権下のフランス軍であるとも言われています。

ただ、いずれにせよブールが直接的であれ間接的であれ当時の日本と敵対する立場であったことには疑問の余地がありません。

同じくブールの小説が映画化された例としては1957年の『戦場にかける橋』があります。

この映画では主人公のニコルソンは日本軍の捕虜という設定であり、そこで受けた扱いにはプール自身の経験が反映されています。

この映画では日本人は敵というだけでなく、互いに尊厳を持って交流するまでが描かれています。

ブールは単純に日本人を悪としてみてはいないのです。

映画版『猿の惑星』における「猿」

映画版における「猿」が示すものはもう少し複雑かもしれません。

映画版『猿の惑星』ではテイラーやコーネリアスの存在はザイアスにとっては新しい価値観を有する異端の存在でした。

テイラーはジーラの甥であるルシアスに「大人は信じるな」といいます。これは日本語字幕をそのまま読めばそうなのですが、元の英語だとdon’t trust over thirty 、これを直訳すれば「30歳以上は信じるな」となるのです。

実はこのセリフは当時のアメリカの若者の間に起きていたカウンター・カルチャーのスローガンでもありました。

カウンター・カルチャーとはそれまでの伝統的な家父長制や価値観に逆らう文化のこと。日本語では対抗文化とも言われます。

その萌芽は戦後のアメリカにおいて生まれました。

物質的に豊かになったアメリカでは、若者が消費者として大きな意味を持つようになり、「若者文化」が生まれました。

彼らの親世代はアメリカの理想主義を信じ、愛していましたが、彼らの目から見たアメリカは掲げられた理想の裏で大義なきベトナム戦争の長期化や、相次ぐ政治の失策などから、旧来の価値観を否定していくようになります。

こうしてカウンター・カルチャーは若者を中心に広まりを見せていきました。

コーネリアスやテイラーはアメリカにおける当時の若者の姿を写し出しているのです。

『猿の惑星』を指してよく言われる評論のひとつが「この作品の猿たちは有色人種のメタファーであり、白人が潜在的に抱いていた有色人種への恐れを描いたものだ」ということ。

確かに恐れはあったでしょう。

しかし、猿が有色人種のメタファーというのはどうなのでしょうか。

個人的には猿こそ白人のメタファーではなかったかと思います。それもカウンターカルチャーがその反抗の対象とした、旧来の価値観をもって生きている大人たち。

コーネリアス、ジーラ、ルシアスと人間であるテイラーの間にはある種の友情と連帯が生まれます。それは人間を「自分達より圧倒的に劣った存在である」と信じている猿達には絶対にできないことです。

そう信じていた当時の大人達のように。

原作者のピエール・ブールは小説『猿の惑星』に人間批判を盛り込んだと言われています。 そのメッセージとは、「人間の知性は固有のものではなく、失われた場合は獣と変わりのない」というもの。

この言葉を白人と有色人種の対立の構図に当てはめて再解釈すると、知性は白人特有のものではない、つまりは白人と有色人種という人種の違いでその知能の優劣が決まるわけではないというのがブールの本心ではないでしょうか。

社会情勢を転写したSF映画

個人的にはこれほど当時の社会情勢を作品に転写したSF映画もそうないと感じます。

カウンター・カルチャーの影響

前述のようにカウンター・カルチャーは公民権運動と密接に関わっていました。

公民権運動と『猿の惑星』に関してはシリーズ3作目の『新・猿の惑星』でより焦点が合うことになるのですが、今作にも確かにカウンター・カルチャーの影響、公民権運動の影響が感じられます。

赤狩りの影響

赤狩りとは戦後間もない時期にアメリカで起きた共産主義者とその関係者を追放する動きのこと。ハリウッドも例外ではなく、チャールズ・チャップリンやダルトン・トランボなど多くの映画人が追放されました。

テイラーが猿たちに迫害される様子は50年代半ばまでアメリカを席巻したこの赤狩りによって実際に迫害を受けていた本作の脚本家マイケル・ウィルソンの体験が盛り込まれています。

実際にジーラを演じたはキム・ハンターは赤狩りにおいて共産主義者との関わりを理由にブラックリストに入れられるなどの不遇を経験しています。

参考:ハリウッドを襲った魔女裁判「赤狩り」とは何か?

冷戦の影響

また有名なラストシーンは冷戦の最悪のシナリオを辿った未来の姿を描いたと言われます。

ノヴァを連れて禁断地帯の向こうの森を目指したテイラーが海岸沿いに馬を走らせると、砂に埋もれ錆びついた自由の女神像を発見します。

テイラーがたどり着いたのは未知の惑星ではなく、未来の地球だったのです。

「本当にやってしまった!バカども! このザマは何だ!バカ野郎!皆地獄で苦しめ!」

核戦争によって荒廃した地球。

文明を壊し、人類の破滅を導いたのは他ならぬ人類であったという結末。

1962年には核戦争寸前まで達したといわれるキューバ危機が勃発。

1968年に公開された『猿の惑星』のこのラストシーンは当時の人には今よりリアルに感じられたことでしょう。

SFの名を借りたアメリカン・ニューシネマ

こうした結末を見ると、『猿の惑星』はSF映画の名を借りたアメリカン・ニューシネマなのではないかと思えてきます。

先述のようにカウンター・カルチャーを生み出したアメリカの世相は映画の世界にも大きく影響を与えました。それがアメリカン・ニューシネマです。

ベトナム戦争の泥沼化や政治不信など、アメリカの掲げていた理想と現実のギャップに戸惑い、体制側への不信を生み出します。

彼らは反体制となり、親世代に反発するようになり、そこからカウンターカルチャーが生まれます。そしてその流れは映画においてアメリカン・ニューシネマというジャンルに帰結していくのです。

このようにアメリカン・ニューシネマにはアメリカが当時抱えていた問題点や暗い世相などが反映されていました。

そのいずれも主人公が体制側に反抗するも、悲劇的な最期を迎えるというもの。

代表的な作品は『俺たちに明日はない』『イージー・ライダー』、『タクシードライバー』などで、今作『猿の惑星』をそこに加えているものはほとんどないのですが、それでも確かに時代を色濃く映画の中に反映させ、このような結末を迎えさせているのはアメリカン・ニューシネマそのものではないでしょうか。

『猿の惑星』は、2001年にティム・バートンの手でリメイクされますが、エンターテインメントとして大きく飛躍した反面、オリジナル版の持つ現代社会への風刺という側面は限りなく薄いものへなってしまいました。

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