『ジュラシック・ワールド 炎の王国』観た人いますか?
おそらく、結末は賛否両論あると思います。
僕もこのブログでレビューさせてもらいましたが、今一度『ジュラシック・パーク』のシリーズの振り返りも交えながら、あの結末の意味を考察してみたいと思います。
マルコム博士のカオス理論
ハモンドには「ロックスター」と揶揄されるほど、学者には見えないイアン・マルコム博士ですが、本職は数学者。
カオス理論を研究しているんですね。
さて、ここで注目したいのはカオス理論。カオス理論をすごく平たく言えば「未来は予測できない」ということ。
これは劇中にも台詞として出てきます。
少しカオス理論を見ていきましょう。
※専門家でないので細かいところ間違ってるかも。。
カオス理論が注目するのは数式においては結果はAとなることが証明されたことでも、現実の世界においてはほんの小さな条件の変化で答えが変わってしまうことです。
『ジュラシック・パーク』でのカオス理論
『ジュラシック・パーク』ではイアン・マルコム博士がエリー博士の手に水を垂らしてカオス理論を説明しています。
マルコム博士は同じ条件のもと、三回エリー博士の手に水を垂らしています。
二回は水滴は同じ方向に流れました。
しかし三回目は違う方向に流れます。
マルコム博士はエリー博士の手を触りながら、『もしかしたら体毛の向きかも?』などとナンパし始めるのですが。。
このように一見同じ条件下でも想定し得ない小さいなにかによって結果が大きく変わってしまうことがあります。
第一作目の『ジュラシック・パーク』では遺伝子を操作し、理論上は繁殖できないような措置がとられていました。恐竜たちをコントロールしようとしていたわけですね。
しかし、カオス理論研究者のマルコム博士はそれは絶対的なものではなく、自然の力は人間が容易にコントロールできるものではないと言います。
『生命は道を見つける』
どんな危険を冒してでも生き延びる道を探る、とマルコム博士は主張します。
そして、このテーマはシリーズを通して受け継がれるもののひとつになりました。
『ジュラシック・ワールド 炎の王国』
では、最新の『ジュラシック・ワールド 炎の王国』ではどうだったのでしょうか?
炎の王国では、今までは敵サイドが恐竜の支配(テーマパークを作ったり、キメラを作ったり。。)を目論んでいたのに対して、今回は主人公サイドも恐竜を生かすか殺すかという、恐竜たち運命をコントロールできる立場にいます。
マルコム博士は自然淘汰というありのままの流れを重視しており、不自然な形で復活させられた恐竜は、本来はすでに自然淘汰されていないはずの生物であるために、殺すべきだという主張をします。
ここから結末ネタバレですが、
マルコム博士の主張に反して、最後恐竜たちは可燃ガスの充満する部屋から外界(アメリカ本土)へ解き放たれます。
その決断をしたのは自らも恐竜たち同様にクローンであった、メイシー。
片や大富豪の孫娘として大切に育てられ、片や絶滅させられようとしている。そこには同じ命なのになぜ扱いが違うのだろう?というメイシーの命への想いがあるのでしょう。
命の尊厳、そしてすべてを自然に委ねるという考え方をするならば、この判断はアリだと考えます。
当初は恐竜たちはイスラ・ヌブラ島から別の安全な島へ移送されるという筋書きでした。
ただ、それですら人間に甘いと言えるのではないでしょうか?
自然の摂理に背いて恐竜を再生させた人間。にもかかわらず、自分達に危害のないところに結局は恐竜たちを押し込めている。
ギリシャ神話に登場するイカロスは自分を過信しすぎたために太陽に近づきすぎ、蝋の翼が溶け墜落して死亡してしまいます。
それと同様の報いを人間に与えるならば、島などではなく、やはり同じ世界で、リスクを取って共存する他ないとも思います。もちろん、人間の視点から見ると、恐竜たちと共存するのはリスクでしかないですし、もっといい問題解決があったようにも思います。
最後のマルコム博士のセリフ、「ジュラシック・ワールドへようこそ」これこそがカオス理論の果てであり、生命は道を見つけることの究極の形ではないでしょうか?