『ジョンQ~最後の決断~』は2002年のアメリカのヒューマンドラマ映画です。
主演はデンゼル・ワシントン。アメリカの医療保険制度をテーマに扱っています。
今回は『ジョンQ~最後の決断~』を題材にアメリカ医療保険制度の問題点を見ていきます。
『ジョンQ~最後の決断~』のあらすじ
イリノイ州シカゴ。ジョンは、妻デニスと9歳になる息子マイクの3人で幸せに暮らしていた。だがある日、マイクが野球の試合中に倒れ、病院に担ぎ込まれる。診断の結果、心臓病を患っており、生き延びる方法は心臓移植しかないと判明する。しかし、リストラで半日勤務となっているジョンの保険は、高額な移植手術に適用されなくなっていた。ジョンは家財道具を売るなど金策に走ったが、病院から無情な退院勧告が出される。我慢の限界に達したジョンは拳銃を持って救急病棟を占拠。医師や患者を人質に、マイクの手術を要求するのだった。
アメリカの医療保険制度
アメリカはOECD(35ヶ国の先進国が加盟する国際機関)中、メキシコと並んで皆保険制度(ユニバーサルヘルスケア)を設けていない、稀有な国です。
アメリカの医療は自由診療であり、その背景には「ユニバーサルヘルスケアは共産主義である」という考え方があります。
今回『ジョンQ~最後の決断~』の主人公ジョンに当てはまるのはこの民間医療保険の部分です。
映画を観ると、ジョンが受けていた民間保険は、雇用主である会社が福利厚生(フリンジ・ベネフィット)の一環として提供していた医療保険(雇用主提供医療保険)だということがわかります。
福利厚生として医療保険を提供することは保険への加入者の大幅な増加を後押ししましたが、その結果として商業的保険会社が医療の分野にまで進出してゆくことにもつながりました。
その結果、負担の平等化である再分配機能は弱まり、弱者にとっては医療保険は高額なものになっていきました。
職場をベースとした医療保険は第二次世界大戦中の労働力不足の中で、フリンジ・ベネフィットとしての医療保険を提供する雇用主が増えたことにより広まった。賃金と価格統制により賃金上昇が妨げられる中、フリンジベネフィットについては増やすことができたからである。戦後、労働組合はこの流行に乗ってヘルスベネフィットについて交渉するようになった。この結果、病院保険プランへの集団で加入件数が1940年の1200万件から1988年には14200万件に増加したのである。 このような雇用をベースとした医療保険の成長により、商業的保険会社が医療の分野に進出し、”The Blues”と競争するようになった。商業的保険会社は、それまでのコミュニティベースで加入者が等しく保険料を払っていた仕組みの中に、リスクの低いグループとリスクの高いグループに異なる保険料を提示する経験的な格付け(experience rating)の仕組みが導入された。既存のブルークロスなどもこれに追随せざるを得なくなったため、被保険者間の再分配の仕組みが弱まり、老人や病人にとっては医療保険はどんどん高くて手が届かないものになっていった。
そのうえ、近年では、グローバリズムの進行による企業競争の激化や、2008年のリーマンショックによる景気後退により、企業経営に占める医療保険費の割合が負担となり、映画のジョンと同様にフルタイムからパートタイマーに格下げされ、保険費削減のために保険も変更されるという事態が起きています。
また、ジョンの息子の心臓病の兆候が健康診断で無視されたのも、民間医療保険のHMOがコスト削減のために余計な検査をさせなかったことがその遠因となっていました。
高額な医療費の原因
アメリカの高額な医療費の原因は、自己負担割合は5割(日本では子どもや高齢者などを除いて原則自己負担は3割)ということの他に、医療技術が進んでいることや、訴訟リスクのために医療費を高額に設定しているところが多いこと、そして、医療費の価格については市場の自由競争に任せられているため、高騰の一途をたどっています。
(日本では医療費の基準の決定には国も関わっているため、医療費が一定に抑えられています。)
高額な医療費で自己破産
そのために、医療費はアメリカの自己破産の最も多い原因にもなっているのです。
加えて、医療費が原因で自己破産した人のうち、8割は何らかの民間医療保険に加入していた人たちなのです。
バラク・オバマによる医療保険制度改革
もちろん、政府もそれを放っておくことをしませんでした。
古くはセオドア・ルーズベルトの時代から、クリントンの時代まで、アメリカの医療保険の問題は長年の課題でもありましたが、そこに抵抗したのが、雇用主提供医療保険の存在であり、またユニバーサルヘルスケアにソビエトのような社会主義を感じ、拒絶してしまう国民性がありました。
このことはマイケル・ムーア監督の2007年のドキュメンタリー映画「シッコ」でも語られています。「シッコ」のテーマもアメリカの医療問題でした。
しかし、2009年についに「オバマケア」が誕生します。
オバマ・ケアの成立
2009年に大統領に就任したバラク・オバマはその公約として公的医療制度の改革を上げていました。それが低中所得者の公的医療保険加入を義務付けるPatient Protection and Affordable Care Act法(通称オバマケア)と呼ばれるもの。
- アメリカ国民(永住権を持っている外国人、労働ビザがある外国人も含む)に、一定の基準を満たした医療保険への加入を義務づけ、加入しない場合は罰金を課す
- 低所得者向け公的保険の加入対象者を拡大する
- 政府が定めた貧困レベル以下の人たちに、保険料の税控除を行う
- 従業員50人以上の企業に、職場を通じた医療保険加入を促す
- 医療保険は、政府や州政府が設ける医療保険取引所で購入できるようにする
成果としてオバマ・ケアは2011年には約15%だった未保険加入者を2015年9.1%にまで減らすことに成功しています。
しかし、問題点としてオバマケアによって各保険会社に対し、加入希望者の健康状態を理由に保険加入を拒んではならないという規制と、最低限の保障内容の拡充を求めたことで、各保険会社はリスクに備えて保険料が更に上がってしまうという事態を招いてもいます。
オバマ・ケアの今後
オバマの後に大統領に就任したドナルド・トランプは選挙公約にてオバマケアの廃止を唱えていました。
この背景には前述の保険料の値上がりに対して職場を通じた保険(雇用主提供医療保険)に入っている人たちの不満の声が非常に大きかったことが挙げられます。
彼らからすると「なぜ他人の医療保険を私たちが支払わねばならないのか」ということなのでしょう。
代替案として議論された新法案American Health Care Actも否決となり、オバマケアの今後は不透明な状況です。
アメリカの医療保険制度の現状
2006年にマサチューセッツ州では州法として州民全員に健康保険加入を強制する法を成立させ、州単位ではありますが、皆保険制度(ユニバーサルヘルスケア)を成立させています。
『ジョンQ~最後の決断~』は映画としての完成度も素晴らしい
ここまでアメリカの医療保険を中心に解説してきましたが、「ジョンQ~最後の決断~」は映画としての側面からだけ見たとしても非常に面白い作品です。
社会派の作品ではあるものの、決して地味ではなく、ただ息子を想う父の愛情がこれほどかと伝わります。
どうしようもなく追い詰められた主人公は病院で人質をとりますが、決して悪人ではないんですよね。その姿は狂気と哀しみを同時に感じさせます。
その姿に人質になっている人たちまで動かされ、ジョンに協力し始めます。それは人質が犯人に共感してしまう「ストックホルム症候群」と言えなくはないのでしょうが、何よりも手段は別にしても、ジョンの主張そのものは普遍的で正しいことだとみんながわかっているからでしょう。
そして極限状態からの奇跡のようなエンディング。
近年流行りのファンタジー的な映画とは対をなす作品ですが、確かな満足感を与えてくれる映画です。