【ネタバレ考察】『アイ・アム・レジェンド』 別エンディング 本当の怪物とは?

『アイ・アム・レジェンド』は2007年のSF映画です。主演はウィル・スミス、監督はフランシス・ローレンスが努めています。

原作はリチャード・マシスンが1954年に刊行した『アイ・アム・レジェンド』。

これまでに今作を含めて3回映画化されていて、今日のゾンビ映画にも大きな影響を与えている小説です。

この原作における大きなポイントは価値観の逆転。2007年の映画版『アイ・アム・レジェンド』も一度は原作にのっとったエンディングが撮影されましたが、試写の反応が良くなかったらしいんですね。

現在の公開版は公開の一ヶ月前に急遽差し替えられたものです。

今回は『アイ・アム・レジェンド』における本当の怪物とは何か?という部分差し替えられた公開版のエンディング、そして本来のエンディング(別エンディング)の違いから見ていきたいと思います。

『アイ・アム・レジェンド』のあらすじ

アリス・クリピン博士によって開発されたガンの治療薬が変質して誕生した致死性ウイルス「クリピン・ウイルス」。投薬された人の半数が死亡、残りが狂犬病に似た症状に感染し、人間を襲うダーク・シーカーズとなりました。やがて感染源となったニューヨークからクルピンウイルスは空気感染で世界中に爆発的に広まっていきました。

クリピン・ウイルスが唯一効かない、「地球で最後の人間」となった元米国陸軍中佐かつ科学者ロバート・ネビルは、一人ニューヨークにとどまり、昼は動物園から脱走し野生化したインパラを狩り、地下の研究所でダーク・シーカーズを人間に戻すための実験を繰り返していました。

『アイ・アム・レジェンド』のエンディング

ここでは『アイ・アム・レジェンド』の公開版のエンディングと別エンディングを観ていきましょう。

公開版のエンディング

『アイ・アム・レジェンド』の公開版のエンディングは、ダーク・シーカーズに後を付けられていたネビルは、彼らに自宅の場所を突き止められてしまい、地下の研究所まで追い詰められてしまいます。そんな中でネビルが見たのは、実験していた女性のダーク・シーカーズの人間に戻りつつある姿でした。

しかし、襲い来るダーク・シーカーズの手からはもはや逃れられないことを悟ったネビルは、治療に成功したダーク・シーカーズの血清を知り合った生き残りの人類であるアナに託し、ダーク・シーカーズもろとも道連れに自爆するという、英雄的に描かれるエンディングでした。

別エンディング

『アイ・アム・レジェンド』の別エンディングは、ダーク・シーカーズに地下の研究所まで追い詰められるところまでは同じですが、ネビルが怪物だと思っていたダーク・シーカーズにも実は社会性があり、恋人もいて、感情もあることがわかります。

たとえとしてネビルをシマウマ、そしてある時ネビル一匹を残してシマウマ全員が天敵のライオンになったとしましょう。
とにかく、ライオンはシマウマを襲うけれども、ライオンにはライオンで群れを作り社会的な生活をしているわけです。
ダーク・シーカーズからみれば、ネビルはシマウマでありながら自分たちライオンを殺しまくり、果ては生物実験までしている恐ろしい伝説の怪物なわけです。

戦いの果てにネビルはその事実に気づき、人間に戻りつつあった女性のダーク・シーカーをダーク・シーカーの状態に戻して、彼女の仲間に引き渡します。

その時にネビルはダーク・シーカーズのボスに『すまなかった』と伝えます。

ネビルの後ろにはこれまでに人間へ戻す治療(実験)の結果で命を落とした幾人ものダーク・シーカーズの写真がありました。

ネビルは生き延び、アナらとともに生存者を探す旅を続けるというエンディングを迎えます。

価値観の逆転

『アイ・アム・レジェンド』の別エンディングでもそうなのですが、それまで怪物退治もしくは怪物化した彼らを人間に戻そうとしているのがそれまでのネビルであり、僕たちもネビルをそう見ています。
しかし、怪物だと思っていたダーク・シーカーズにも実は社会性があり、恋人もいて、感情もあることがわかります。

彼らにしてみればネビルは仲間を連れ去り、亡き者にしてしまう「怪物」のような存在であり、まさに死神そのものであったでしょう。

終盤になって、それまで地球にただ一人、人類のために戦っているという観客がネビルに共感する「英雄性」は完全に否定され、浮かび上がるのはネビルの「独善性」ではなかったでしょうか。

そこに浮かび上がるのはイラク戦争の総括に揺れるアメリカそのものの姿。ネビルがアメリカで唯一生き残って、世界人類のために一人孤軍奮闘している・・・そんな序盤のイメージは、ネビル=アメリカそのものだと呼んでもいいでしょう。

その視点から観た『アイ・アム・レジェンド』の別エンディングはなんとも皮肉に満ちた物語です。

『アイ・アム・レジェンド』が映すアメリカの姿

それは『自由と民主主義』をかざし、それ以外の価値観を野蛮として、力ずくでも是正しようとしたアメリカと、独裁国家のようなものでしょうか。

近年、アメリカの敵としてイメージされるのはイスラム圏でしょうか。

例えばイスラム教に男尊女卑の印象を持つ人も少なくないと思います。私たちの価値観でみると、思わず「それはおかしいのではないか?」と感じてしまうかもしれません。

しかし、それぞれの価値観がそれぞれにあり、その中で何を優先させるかにおいては私たちは画一的にとらえるべきではないとも思います。

イラク戦争後、ポルカと呼ばれる顔を覆うスカーフを外した女性が男女差別から『解放』された象徴のように取り上げられていましたが、実際はスカーフ着用は女性の主体的な選択でもあり、男性側が強制しているものではないとの声もあります。

ただ、その国の価値観を理解できないと、ただ相手のことが意思疎通の計れない怪物のように見えてしまうでしょう。

かつて黒人が奴隷として扱われ、日本人が「猿」と言われていたように。

『アイ・アム・レジェンド』本来のエンディングである別エンディングではラストでアメリカ(ネビル)の「独善性」が暴かれ、それまでのネビルの英雄的なイメージは崩れ去ります。

個人的にはこのエンディングの方が、知的で、かつ話としても好きですね。

まぁアメリカ国内での試写が不調だったのも理解できますが。

『アイ・アム・レジェンド』公開版エンディングの意義

では、公開版のエンディングの意義とはなんでしょうか。

本作の監督のフランシス・ローレンスのインタビューを2つ抜粋します。

「まず、他に誰もいない都市でたったひとりで生きていかなくてはならない男、というモチーフに惹きつけられた。とても古典的なモチーフだけど、これが現代だったらどうなるのか。いろんなふうに膨らませることができるモチーフだからね。それと、この物語は前の2作とは違うアプローチで描けると思ったから。このドラマを、主人公のキャラクターに焦点を当てて描こうと思ったんだ。地球上でひとりぼっちになってしまった人間は、実際にはどんな行動をとるのか。心理的にはどんなふうになっていくのか。前2作は、どちらかというと、プロットを重視しているけど、もっと主人公を掘り下げて描けば違う作品になると思ったんだ。だから、映画の前半では、主人公がどんな人物なのかをかなりていねいに描いている。何を職業としているのか、どんな家族がいるのか。そういう彼の人物像、バックグラウンドを描いているんだ」

出典:アイ・アム・レジェンド インタビュー: 監督&脚本家が語る映画化のポイント – 映画.com

かなり長い間、興味を持っていた作品なんだ。独りで都市に取り残されたとき、精神的にどのような影響を受けるのか。どのように生き残ろうとするのか。非常に苦しい局面において、どうやって希望というものを見つけるのか。そういうテーマを地球規模で危機的な状態にある今、描きたかったんだ。

出典:希望を持って生きることが大切「I AM LEGEND」フランシス・ローレンス監督インタビュー – ライブドアニュース

『アイ・アム・レジェンド』別エンディング版と公開版の違いは価値観の逆転とネビルの死

公開版は「死」を描くことで、ネビルの人生を別エンディング版に比べて、よりコンパクトにわかりやすく描けています。

また、これは好みの問題でもあるのでしょうが、希望ということに対しても意味合いが変わってきます。

・別エンディング版

別エンディング版では物語の最期は「君は独りではない」と言うアナの言葉で終わります。

・公開版

公開版ではネビルは血清を生み出し、命と引き換えに人類を救ったということが語られます。

別エンディング版と公開版のエンディングでは「希望」の意味合いが違ってきます。
別エンディング版は個人へ向けた非常にパーソナルなもの。
そこには「人類を救う」ということではなく、生き残った人間たちでまた新しい生き方を模索しようという意思が感じられます。

公開版はネビルの死という絶望とのコントラストで「希望」はより重い意味を持ちます。そしてそれは「人類を救える」という非常に壮大な希望です。

『アイ・アム・レジェンド』別エンディング版と公開版のエンディング、あなたはどちらがお気に入りですか?

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