『グリーンブック』とは?
『グリーンブック』はピーター・ファレリー監督の伝記映画。
イタリア系の用心棒トニー・“リップ”・バレロンガと黒人の天才ピアニストドン・シャーリーの友情を描いた作品で、91回アカデミー賞では作品賞、助演男優賞、脚本賞を受賞しています。
主演はヴィゴ・モーテンセン、マハーシャラ・アリが努めています。
『グリーンブック』のあらすじ
イタリア系の用心棒、トニー。彼は粗雑で荒っぽい性格のため、今までに職を転々としていた。現在用心棒として勤めているクラブも改装になり閉店、仕事のなくなったトニーは妻子を養っていくためにホットドッグ大食いをやったり、質屋を頼るなど金策に走る。
そんな時に、トニーの耳にドクター・シャーリーの運転手という仕事の話が舞い込む。
いざ面接の日、カーネギーホールの上に住んでいるというドクター・シャーリーの部屋に通される。豪華絢爛なシャーリーの部屋に落ち着かないトニーの前にやってきたのは黒人の男。医者の運転手という想像とは違い、ドクター・シャーリーの職業は音楽家。その上仕事内容は2か月間の運転手兼マネージャーともいえる過酷な内容だった。
その内容に週給100ドルではなく、125ドルの給与をトニーは要求する。
しかし、シャーリーは「ご足労だった」というだけで、この仕事は破談になったかと思われた。
ある日、トニーの妻宛に電話がかかってくる。それはシャーリーからで、トニーが2ヶ月間家を空けても大丈夫か、という確認の電話だった。
かくしてトニーは正式に採用され、南部アメリカへ旅へでる。
アカデミー賞作品賞受賞が賛否
第91回アカデミー賞では作品賞をはじめ、3部門の受賞に輝いた『グリーンブック』ですが、この受賞については黒人映画監督のスパイク・リーや『ブラックパンサー』に主演したチャドウィック・ボーズマンなどから激しい批判を受けています。
スパイク・リーのコメント
「まるで(マディソン・スクエア)ガーデンのコートサイドにいて、審判が誤審したみたいだった」
「誰かが誰かを運転するたびに、僕は負けるんだ」
この「運転」と言うのは1990年のアカデミー賞でスパイク・リー監督作の『ドゥ・ザ・ライト・シング』と作品賞の座を争った『ドライビング Miss デイジー』のこと。奇しくも『ドライビング Miss デイジー』もドライバーを題材にした作品でした。(こちらは黒人が運転手ですが)。
なぜ『グリーンブック』は批判されるのか
なぜ『グリーンブック』は批判されるのでしょうか?
その批判の内容をみていくと、
1.トニー・リップが黒人を差別から救う「白人の救世主」として描かれていること
2.人種差別の描写にダークさが足りない
という点が大きいようでした。
他にもシャーリーの遺族から「この映画が伝説のピアニストと家族の関係について観客に誤解を与えるような解釈をしている」と抗議を受けていることも影響しているようです。
※ちなみにトニー・リップ側からは実の息子のニック・バレロンガが製作に加わるなど、最大級の協力を得ています。
トニー・リップは「白人の救世主」なのか?
まず、主な批判のこちらから見ていきましょう。
ここで白人の救世主という言葉が出てきますが、映画をみる限りシャーリーにとっての救済とはまだ道半ばであることがわかるはずです。
当初は黒人ということで白人からは差別され、かといって裕福であるために黒人たちの輪にも入っていけない、裕福で名声もあるが孤独な人物としてシャーリーは描かれていました。
しかし、物語のクライマックスのアラバマでさえ、シャーリーは人種差別に遭います。
シャーリーが南部のコンサートツアーを志したのは「勇気は人の心を変える」と証明したかったため。しかし、南部の人々の差別意識はおそらくほとんど変わっていないでしょう。
その代わりにトニーの中の黒人に対する差別感情はすっかりなくなりました。
トニーがシャーリーに与えたのは自由であることと、トニー自身がシャーリーの孤独を癒せる友人になれたことです。
客にシャーリーがトニーに与えたものは、人を人種によらず公平にみるということ、暴力の愚かさ、教養ある文章力などでしょうか。
僕は映画を観て、これだけリストアップできてなお、トニーがシャーリーの救世主だとは思いません。
むしろ、誰かと友情を育めたときにその人からポジティブな影響を受けない方が珍しいと思いませんか?
そしてそこには人種などもはや関係ないはずです。
こうした声に対し、ピーター・ファレリー監督の度量は。2018年11月21日付の米Newsweekには、「白人監督と白人脚本家が人種問題を描くとなると、当然ながら厳しい目で見られるが、どうだったか」と尋ねられたとき、「その点はかなり意識していた」と答えている。「たとえば、”白人の救世主が…”といった言われをされることは覚悟していました。(中略)たしかに、トニー・リップはドクター・シャーリーを俗世の災難から救う。けれど、ドクター・シャーリーもトニー・リップをまともな人間にするため、彼の魂を救うんです。」
『グリーンブック』はあくまでも明るい作風に仕上がっているが、黒人差別の描写に「“ダークさが足りない”という批判が起こることは分かっている」とこの時点で予見していた。
出典:『グリーンブック』人種問題をめぐる批判は適切か ─ 「覚悟はしていた」監督が描きたかった希望とは | THE RIVER
人種差別の描写にダークさは必要か?
これもそうですね。『グリーンブック』を批判する声にこのような意見もありました。
言わんとすることは理解できます。
同じく実話を元にした人種差別を描いた作品、『フルートベール駅で』の方がダークで、リアルで、強烈で、鋭利なナイフのようにヒリヒリと私たちの胸に差別の現状とやりきれなさを突きつけます。
しかしながら、そのような作品を敬遠してしまう人もいるでしょう。
シャーリー役を演じたマハーシャラ・アリはこう言っています。
「スパイク・リーやバリーの映画なら見に行かないっていう人もいるだろう。しかし、ピーター・ファレリーの映画なら楽しいだろうと思って観に行く人もいるかもきれない。そして実際に爆笑させられ思いもしなかったことを考えさせられるきっかけになるかもしれない。僕はそこに価値があると思う。」(『映画秘宝』でのインタビューより)
「リアルでない」「ハリウッド的だ」それは確かにそうでしょう。
しかし、その分多くの人に観てもらえる間口は広いはずです。
そして心に何かひっかかった人はいずれ『フルートベール駅で』やスパイク・リーの映画にたどり着くかしれません。
今の僕がそうであるように。
また、スパイク・リーの新作も全てリアルかと言われればそうではありません。
公平を期すために言えば、『ブラック・クランズマン』にも批判がないわけではなく、警察を正義の味方として描くスタイルは、アフリカ系米国人で地元の警察を信頼していると答える割合が30%程度にとどまる今の米国文化の空気にそぐわないという意見も出ている。
出典:スパイク・リー監督、『グリーンブック』の作品賞受賞に無言の抗議表明?(The Telegraph) – Yahoo!ニュース
シャーリーは「黒人」と言えるのか?
そもそもシャーリーは一般的に思い浮かぶ差別されている黒人のイメージからは遠いキャラクターです。
裕福で、教養もあり、その立ち振舞いからは気品すら感じ取れます。
その意味ではシャーリーは私たちが思う被差別者の黒人とはかけ離れています。
実際に劇中でもシャーリーはそんな自分を「私は白人でも黒人でもない、私は一体何なんだ!」と叫んでいました。
白人にとってシャーリーは黒人。しかし当の黒人からするとシャーリーは白人に媚をうって贅沢をしているとみなされ、同じ仲間とはされない。
『グリーンブック』で描かれるシャーリーの苦悩は彼が黒人だからというだけではありません。それは苦悩の一部なのです。
シャーリーの苦悩はシャーリーだからこそのもの。
その事実を抜きにして、果たして『グリーンブック』を白人と黒人の問題に単純化していいのでしょうか?
『グリーンブック』の意義とは
『グリーンブック』の意義とは何でしょうか。
それはエンターテインメントだと思います。それこそがピーター・ファレリー監督の持ち味であり、そのコメディセンスはピーター・ファレリーでしか撮れないからです。
そこで『グリーンブック』にはみんなを楽しませる影に人種差別という苦味を含ませる。
マハーシャラ・アリ、ヴィゴ・モーテンセン、ピーター・ファレリーは本作について以下のように語っています。
「社会問題を解決してくれる映画なんて存在しない。ただ、議論を起こすことはできる」とシャーリー役のマハーシャラ・アリ。「本作はポジティブで希望的なエンディングを迎える」と言うファレリー監督に、トニー役のヴィゴ・モーテンセンは「希望って、悪いモンじゃないでしょ?」と添えている。
『メリーに首ったけ』(1998)などコメディ映画出身のファレリー監督は、本作についてこんな風にも語っている。
「説教じみたのは僕のスタイルじゃない。ウィスコンシン、テキサス、マサチューセッツの家族が(※思想や背景の異なる様々な観客が)みんなで観に行けるような映画にしたかったんです。」
出典:『グリーンブック』人種問題をめぐる批判は適切か ─ 「覚悟はしていた」監督が描きたかった希望とは | THE RIVER