今や日本を越えて世界で「怪獣」の代名詞となったゴジラ。
『ゴジラ』がこの世に登場してから60年を超え、そして今なお新作が作り続けられています。
『ゴジラ』とは一体何なのか。
未だに衰えないその魅力と意義を第1作目の『ゴジラ』から考察・解説してみたいと思います。
「ゴジラ」概要
『ゴジラ』は1954年に公開された特撮映画。
『ゴジラ』シリーズの始まりの作品でもあります。
ゴジラは今作では核の恐怖を象徴する存在として描かれています。
今作の設定ではゴジラはもともとジュラ紀に生息していた水棲爬虫類が陸生へ進化する途中の生物とされています。
それが人間が作った核の影響を受け、怪物化してしまい、人間の脅威となる。まさに寓話であり、人の愚かしさを端的に表現したのが1954年の『ゴジラ』という映画なのです。
世界に影響を与えた特撮映画の金字塔にして、エンターテインメントと社会的なメッセージを高いレベルで両立させた、稀有な名作です。
『ゴジラ』が誕生するまで
『ゴジラ』が誕生したきっかけ
戦後まもなくの頃、アメリカでレニー・ハウゼン監督の『原子怪獣あらわる』が公開されます。『ゴジラ』は直接的にこの作品に刺激されて産み出された映画です。
また、当時、ビキニ海上で行われたアメリカの核実験の巻き添えで日本の漁船の乗組員が被曝したことも大きな問題となっていました。
それが1954年3月1日に起きた第五福竜丸の被爆事故でした。
1954年3月1日にアメリカによってビキニ環礁で実施された水爆実験「キャッスル作戦」のブラボー実験によって、その近くで漁をしていた第五福竜丸の乗組員が被爆する事故が起きたのです。
戦後10年を経たずに起きた「第三の被爆」事件に当時の日本人の反核感情が噴出したそうです。その思いを作品に込めたのが1954年の『ゴジラ』でした。
そしてアメリカの巻き添えを食った形となった理不尽さも「水爆実験でよみがえったゴジラがアメリカとは無関係の日本を襲う」というシナリオにも込められています。
戦後10年足らずで再び原爆の恐怖が日本に襲いかかってきたわけです。
そこで企画されたのが『ゴジラ』。
核のエネルギーを吸収し巨大化、さらに口から放射能を撒き散らす。
まさに『核の申し子』といっても過言ではありません。
今再び現実のものとなった核の恐怖を象徴する存在こそがゴジラだったのです。
世界で唯一の被爆国である日本。
『ゴジラ』監督の本多猪四郎は映画を製作するに当たって「真正面から戦争、核兵器の怖ろしさ、愚かさを訴える」ということを大事にしたといいます。
極秘企画「Gプロジェクト」
『ゴジラ』が最も影響を受けた映画はレニー・ハウゼン監督の海底二万哩から来た大怪獣でしょう。
一方で『ゴジラ』の成立に深く影響を及ぼした邦画が二本あります。
それは一本は成功、一本は製作すらされなかった作品という、対称的な映画です。
そのうちの一本は1953年の『太平洋の鷲』という戦争映画でした。
同作は本多猪四郎監督、脚本は黒澤作品の脚本を多く書いた橋本忍、後に特撮の神様と呼ばれる円谷英二が特殊技術を務めるという豪華なもの。
そして、この作品に航空兵役で参加したのがなかなか俳優として芽の出なかった中島春雄でした。
この作品で中島春雄は日本初のファイヤースタントをこなすなど、リスクを厭わない姿勢を 高く評価されます。
『太平洋の鷲』は本多猪四郎と円谷英二が初タッグを組んだ作品であり、中島春雄がゴジラ役に抜擢されるきっかけを作った映画でもありました。
円谷英二が当初企画した段階ではゴジラは今の恐竜タイプではなく、大ダコの怪物だったそう。
大ダコという発想は円谷英二が東京大空襲の最中、防空壕に避難していた時に思いついたものであり、家族に対しても、これで戦争の恐ろしさを書いてみたいと思っていたことに由来します。
ただ、プロデューサーの田中友幸の意見もあり、当時の流行に合わせて結果的にゴジラは恐竜をベースにした怪獣になったそうです。
『ゴジラ』という未知への挑戦
この作品の出演がきっかけで中島春雄は円谷英二の極秘企画「G作品」に誘われました。
この作品がのちの『ゴジラ』になります。
円谷英二の依頼内容、それは世界でも類を見ない、着ぐるみで怪獣を演じること。
「人形アニメでやれば7年かかるが、お前が演ってくれれば3月でできる」
円谷英二にそう誘われ、中島春雄は「ゴジラ俳優」への道に踏み出すのです。
しかしながら世界にも類のない着ぐるみ撮影は困難の連続でした。
初のゴジラの着ぐるみは重量150キロもあり、思うように動けない中、何とか10mほど歩くことに成功。
その後も中島春雄は必死にウェイト・トレーニングを積み、少しずつゴジラを思い通りに動かすことに成功します。
しかし、未知の怪獣の動きとなるとただ動くだけにはいきません。
中島春雄は動物園に通い、熊や象などの動きをゴジラに取り入れていったそう。
『ゴジラ』の魅力
1954年の初代ゴジラの劇中の設定として、ゴジラはもともとジュラ紀に生息していた水棲爬虫類が陸生へ進化する途中の生物とされています。
それが人間が作った核の影響を受け怪物化してしまい、人間の脅威となる。
まさに寓話であり、人の愚かしさを端的に表現したのが1954年の『ゴジラ』という映画でした。
実際にゴジラを鑑賞した原作者の香山滋氏はオキシジェン・デストロイヤー(映画に登場する架空の化学兵器)でゴジラが死ぬシーンでゴジラが可哀想だと涙を流したそう。
これはゴジラを倒すべき存在としてではなく、ある意味で人間に振り回される哀しい生物として見ることができたからでしょう。
また同様の手紙は公開当時多く届けられたといいます。