『クリード チャンプを継ぐ男』とは
『クリード チャンプを継ぐ男』は2015年に公開されたボクシング映画の名作『ロッキー』のスピンオフ作品。
シリーズを通してのライバルであり戦友のアポロ・クリードの息子アドニス・クリードを主人公に添えた、新たなレガシーの誕生です。
本作は批評家からも絶賛されていますが、本当にいい作品だと思います。
『ロッキー』の物語
1976年に公開された『ロッキー』は間違いなくスタローン自身の物語でもありました。俳優を志ながらも、オーディションに落ち続ける日々。用心棒やポルノ映画で糊口を凌ぐ日々。ポルノ映画のタイトルは『イタリアの種馬』。
そんな日々を過ごしていたスタローン。
そんな彼がモハメド・アリ対チャック・ウェプナーの試合に感銘を受け、3日で書き上げた脚本が『ロッキー』なのでした。
「イタリアの種馬」はそのまま、ロッキー・ボルボアのキャッチコピーにもなりました。
映画のなかで、無名のボクサーだったロッキーがアポロとの接戦で一気に有名になったことに対して、スタローン自身もロッキーの成功によって、またアメリカンドリームを手にするようになったのです。
『クリード チャンプを継ぐ男』ができるまで
さて『クリード チャンプを継ぐ男』の監督ライアン・クーグラーも同じように自身の人生をアドニスに重ねていると思います。
ライアン・クーグラーが『クリード チャンプを継ぐ男』の前に監督した長編映画は一作のみ。
ちなみに最初にスタローンへ『クリード チャンプを継ぐ男』のアイデアを持ち込んだときはまだ長編映画すら監督した経験の無い状態でした。
しかし、ライアン・クーグラーもまたアドニス・クリードに自分の人生を重ね合わせたのだと思います。
『クリード チャンプを継ぐ男』でのアポロ・クリードの息子「アドニス・クリード」という隠し玉。
しかし、彼はロッキーとは対照的に裕福な環境で育っています。
主人公の環境をロッキーのような極貧にしてしまうと今の時代ではリアリティが無い、もしくは逆に芯を捉えすぎているとは考えたのでしょう。
しかし、ライアン・クーグラーはアドニスに「孤独感」を与えます。
アドニスの「孤独感」
それは父がいないということがまず一つ。
父への思慕ゆえか、YouTubeで映し出したアポロ対ロッキーの試合に自分を重ねてボクシングの動きをするアドニス。
その姿は亡き父とじゃれているようにも見えます。
そして、もうひとつは地元のアポロが建てたジムに入門を断られたこと。
裕福なアドニスにとって、亡きアポロの存在は邪魔なものでもありました。
アポロ・クリードは愛する父でもありながら越えられない壁でもあったのです。
このあたりは『ロッキー・ザ・ファイナル』のロバードにも通じます。
いつまでも「ロッキーの息子」という色眼鏡で判断され続けたロバートは、そんな自分の人生のやるせなさをロッキーにぶつけますが、ロッキーからは逆に人生に立ち向かう勇気を教えられます。
それぞれに戦うもの
『ロッキー・ザ・ファイナル』でロッキーのボクサーとしての戦いは終わったのかもしれません。しかし、『クリード チャンプを継ぐ男』でもロッキーは変わらずに戦い続けます。
病気と、自分の人生と。
クリードではポーリーも亡くなっており、ロッキーは孤独な生活のなかですごしており、どこか厭世感すら感じさせます。
そんなロッキーに対してアドニスの存在がどう変化を起こしていくのかは見所のひとつ。
エイドリアンに引き続き、義兄のポーリーまでが天国へ旅立ってしまい、家族と呼べる存在を失ったロッキーに対して突然現れた親友アポロの息子のアドニス。
また、戦うのはロッキーだけではありません。アドニスはもちろん、彼女のビアンカにすら、「歌手でありながら進行性の難聴」という課題を背負わせています。
反対に対戦相手であるコンラン側はほとんど掘り下げて描写されることがありません。
対戦相手のディクソンが「人気が下がってきている」と悩んでいたのとは対称的です。
コンランサイドの人間ドラマも描ければまたひと味違う作品になったのでしょうが、逆に共感できるドラマをアドニス側にだけ用意することで、観客に完全にアドニスに感情移入させることにも成功しています。
『ロッキー』シリーズの変わらない信念
『ロッキー』シリーズからのキャストを制限し、あくまでもクリードの物語ではあるものの、『ロッキー』シリーズの最終章『ロッキー・ザ・ファイナル』で語られる
「人生ほど重いパンチはない、それでも諦めずに前に進み続けなければならない」
この言葉そのままに、例えボクシングからは退いたとしても、生きている限り戦いの連続なんだと、それでも諦めない強さが必要なのだと闘病するロッキーを通じて感じさせられます。
それこそが今作に至るまで『ロッキー』シリーズを貫いてきた変わらない信念でありメッセージなのだと思います。
同じようにボクサーとして、父の影を超えよう、そして自分自身が認められたいと願うアドニスにとってもボクサーとしての人生は逃げられない戦いなのです。
ちなみにクリード(CREED)には「信念」という意味もあります。