今回の考察ではホラー映画の金字塔、『悪魔のいけにえ』を考察してみます。
1970年という時代の中でも圧倒的に恐ろしい本作。
その恐怖は今なお衰えず、私たちに迫ってきます。
『悪魔のいけにえ』の恐ろしさ、そして魅力は一体何でしょうか。
『悪魔のいけにえ』とは
『悪魔のいけにえ』とは1974年に公開されたトビー・フーパー監督のホラー映画。
テキサスを訪れた若者が人の皮のマスクをかぶった殺人鬼「レザーフェイス」とその家族に襲われる様を描いた作品です。
その残酷さ、暴力描写ゆえに上映禁止国は多いですが、一方で作品のマスターフィルムがニューヨーク近代美術館に永久保存されるなど、その芸術性も高く評価されています。
『悪魔のいけにえ』の基本情報
スタッフ・キャスト
監督・製作・脚本・音楽
トビー・フーパー
脚本
キム・ヘンケル
出演者
マリリン・バーンズ
アレン・ダンジガー
ポール・A・パーテイン
ウィリアム・ヴェイル
テリー・マクミン
エド・ニール
ジム・シードウ
ガンナー・ハンセン
ジョン・デュガン
「『悪魔のいけにえ』予告編
公開40周年記念版のものです。
あらすじ
墓荒しが勃発していた1973年のテキサス。
墓の無事を確かめるとともに遊びも兼ねて、サリー、ジュリー、フランクリン、カーク、パムの五人の若者が訪れる。
その道中、同い年くらいのヒッチハイカーを車に乗せるも、ナイフで自傷を始めたり、仲間に切りつけたりと異常な行動をしたために途中で下ろすことに。
その後、ガソリンを分けてもらうために近隣の家を訪れるが、その家こそが墓荒らしの犯人であるソーヤー一家の棲み家だった。
カークとジュリーが扉を叩くも返事はなく、カークが扉を開けて入ると突然彼の目の前に異様な大男が現れる。白いエプロンを付け、顔には人の皮膚でできたマスクを被っている。
それがソーヤー一家の末っ子レザーフェイスだった。
レザーフェイスは何も言わずにカークの頭上にハンマーに振り落とす。ジュリーもカークを探しに家に入るが、レザーフェイスに捉えられ、太いかぎ針に生きたまま食肉のように吊るされる。絶叫し泣き叫ぶジュリーの目前で大男、レザーフェイスによってカークが解体されていく。
ジュリー、フランクリン、パム・・・一人、また一人チェーンソーで殺されていく。
サリーはレザーフェイスの追撃を何とか振り切りガソリンスタンドの店主に助けを求めるが、その主人、ドレイトンもソーヤー一家の一員であった。
『悪魔のいけにえ』ができるまで
監督 トビー・フーパー
トビー・フーパーは1943年にテキサス州オースティンで生まれました。
両親も共に大の映画ファンで、フーパーは父の経営する映画館で映画を観て過ごす少年となりました。
テキサス州立大学で撮影技術と音楽を学んだあとにテレビCMや短編映画を監督。
そして1974年に「悪魔のいけにえ」で長編映画監督としてデビューするのです。
「悪魔のいけにえ」制作のきっかけ
そのころのアメリカはベトナム戦争への不満が社会に渦巻いていた時代。フーパーはその思いを別の視点から身近な道具で表現できないかと考えます。
そんな中、年末の買い物で工具売り場を訪れたフーパーの目に留まったのがチェーンソーでした。
ベトナム戦争への不満やアメリカが当時抱えていた問題点や暗い世相を反映したものとして当時、隆盛を誇っていたアメリカン・ニューシネマ。それらはいずれも若者の反抗と挫折を描いていました。。
40年代までのハリウッド映画が観客に「夢を与える」ものとは対照的にアンチ・ヒーロー、アンチ・ハッピーエンドという物語を持つ作品たち。
そんなアメリカン・ニューシネマとは別の方法でアメリカへの不満を映画にぶつけたのがトビー・フーパー、そして『悪魔のいけにえ』という映画なのでした。
しばしば本作はエド・ゲインの実際の事件をモチーフにしたと言われています。未だにそれを真実として発信しているウェブメディアも多くありますが、監督のトビー・フーパーは製作時にその事件を知らず、冒頭のテロップ『これは実話に基づいた作品』はなんとか恐怖を煽ろうとして付け加えた、いわば苦肉の策だったのです。
実際はフーパーが医学生の頃に先生から聞いた「遺体安置所の死体から皮を剥いで、乾かしてハロウィンのコスチュームにした」という物語。
ただ、実在の事件に全く影響を受けていないのかと言われるとそうではなく、実在の連続殺人鬼ディーン・コールの片棒のエルマー・ウェイン・ヘンリーが逮捕された時に、堂々と罪を告白している姿に異常性を感じ、キャラクターに投影したと言います。
これらの要素を組み合わせ、チェーンソーで人を屠殺する怪物「レザーフェイス」のアイデアが生まれる事になるのです。
過酷な撮影
低予算で作られた本作。レザー・フェイスを演じたガンナー・ハンセンの衣装はシャツ一着しかありませんでした。映画のためにわざと汚してあるため洗うこともできず、彼はテキサスでの暑い撮影中、ずっとそのシャツを着続けるしかなく、撮影終盤には悪臭が漂っていたと言います。
ソーヤー一家の父、グランパがマリリン・バーンズ演じるサリーの指の血を吸うシーン。
その血はマリリン・バーンズ本人のもの。マリリン・バーンズはこのシーンのために実際に指を切られています。血が出る仕掛けを施した小道具のナイフの不調と、暑い中での27時間にもおよび撮影、セットから漂う悪臭、早く撮影を終わらせたいスタッフによってマリリン・バーンズの指は実際に切られることとなったのです。また劇中でサリーの口を塞ぐ際に使用された雑巾もその辺にあったものをそのまま利用しています。
このような過酷な撮影の中で『悪魔のいけにえ』は完成しました。
『悪魔のいけにえ』作品解説
都市伝説的な現実的な恐怖
テキサスの田舎に人を襲い人肉を食らう狂人一家がいる。
昔から語られる、都市伝説(フォークロア)のような設定です。
田舎の村には狂人ばかりの村があるなんていうのは日本でも都市伝説としてありますよね。
都市伝説の怖さはどんな話であれ「本当にありえそうな現実味」があること。
かつての戦前のホラー映画の主役たちはドラキュラやゾンビ、フランケンシュタインなどの非現実な怪物モノがその多くを占めていました。
それに比べて、悪魔のいけにえは『もしかしたら本当にこんな家族がいるかもしれない』と思わせるような作品です。
先程の都市伝説とも関連しますが、人肉だけで生活していたとされるソニー・ビーン一家の話なども今作と似ていますよね。
テキサスのイメージ
本作の舞台であるテキサスのイメージとしてあるのは
・保守的
・田舎
だと思います。実際には全米第二位の人口と大きさを誇る州で決して田舎でもないのですが、未だにイメージとしてはカウボーイだとか、やはり田舎っぽさが抜けきれないようです。
その田舎ならではの人間関係の閉鎖的なイメージ、その場所ならではのコミュニティ。
レザーフェイスみたいな家族がもしかしたら存在するのではないか・・・そう思わせるイメージもテキサスの田舎というイメージにはあるのではないでしょうか?
レザーフェイスの描写
本名はババ・ソーヤ。三人兄弟(長兄ドレイトン、次兄ナビンズ(通称:ヒッチハイカー))の一番下です。
外見上のポイントは人の皮を剥いで作った人面マスク。もともと先天的な皮膚病と梅毒をもって生まれ、そのコンプレックスを隠すためにマスクを常に被っています。
知的障害を持っており、知能は低く、8歳児程度。言葉は解しますが、作品中では一言も何も話していません。
マスクは劇中で3種類を使い分けています。1973年にテキサスを訪れた若者4人を殺害。
レザーフェイスは劇中にその内面や過去を推しはかれるような描写はほぼありません。例えばジェイソンなら子供のころいじめられていたなど、少し同情的になれる人間としての背景が描写されているホラー映画が多いんですが、この映画は純粋に恐怖を追求している印象を受けます。
ただレザーフェイスはれっきとした人間であり決してモンスターではありません。そのことはほかのホラー映画と『悪魔のいけにえ』の顕著な違いの一つでしょう。
シリーズ中盤から超人化したジェイソン(13日の金曜日)や、幽霊とも魔物とも判別のつかないフレディ(エルム街の悪夢)と比べると、人間らしい肉体的な弱さや、殺人に付随して家を壊してしまい、ドレイトンから怒られてしまうといった人間らしい描写もあります。ただ殺人に対してはまるで家畜を屠殺するかのようにただ淡々と、一切の迷いや感情がないように感じられます。人間でありながら感情が欠落している。それが悪魔や幽霊よりも最もリアルで怖い存在なのではないでしょうか。
不条理
この映画に登場する若者たちは後の作品に出てくるような「無節操」「生意気」「バカ」などの「殺されても仕方がない」感があまりないんですよね。むしろ人助けとかしちゃうような若者たち。そういう登場人物が無造作に殺されていく不条理はやはりたまらないものがあります。本作の冒頭のナレーションであるように、余計哀れさを強調させるんです。
この「救いようのない感じ」や独特の怖さは同時期のホラーと比較してもこの作品は圧倒的なのです。
臭いの立ち込める画
画面の荒れたざらついた質感、冒頭から写し出される死体のオブジェとアルマジロの死骸。
カメラワークもドキュメンタリーのようにただ出来事を淡々と映していきます。
登場人物に感情移入することなく、一歩引いた視点で映し出すカメラワークも
ドキュメンタリー(事実らしさ)をひきたてたのでしょうね。
ザラついた質感は、『悪魔のいけにえ』制作時は安価な16ミリフィルムで撮影していたものをスクリーンに合わせて無理やり拡大したものことで誕生した、本来意図していなかった効果なのです。
それは映画の雰囲気を高めることには貢献したものの、フーパー自身は高画質版のリリースができないことを後悔していました。
現在の技術によって、高画質版はデジタル修復されたものがリリースされています。
ドキュメンタリータッチの撮影
『悪魔のいけにえ』を観ているとBGMがほとんどないことに気づくと思います。この演出もドキュメンタリーのような効果を醸しだすのに一役買っているんですね。
『食人族』や『ブレアウィッチプロジェクト』のようにドキュメンタリータッチの映画は恐怖を倍増させる効果があります。その点でいうと『悪魔のいけにえ』にはそういう怖さも含まれているのです。
マリリン・バーンズの演技
絶叫クイーンの一人にも数えられるマリリン・バーンズ。
彼女の叫び声はもはや演技の枠を超えています。
もし、人間が恐怖に対して許容量があるとしたら、その許容量をはるかに超えた恐怖の量に狂ってしまうかもしれません。その「狂気」は圧倒的かつリアルで、レザーフェイスの恐ろしさ、ソーヤー一家の異常さを際立たせます。
また、特筆すべきはラストシーン、マリリン・バーンズの高笑いとも悲鳴ともつかない叫び声。
今作のラストでマリリン・バーンズが見せる叫びはレザーフェイスから逃れられた安堵と、極度の恐怖や緊張から解放された感情の爆発がもたらす、まさに狂気の演技を見せています。
これこそ、レザーフェイスとはまた違う意味で本作の「狂気」を象徴するシーンでしょう。
本作におけるマリリン・バーンズの演技も確かに『悪魔のいけにえ』の伝説化に不可欠な要素なのです。
悪魔のいけにえと同時期のホラー映画との比較
『13日の金曜日』
レザーフェイスと並んでホラー映画のアイコンとなったジェイソンが登場するホラー映画です。
実際は音楽の盛り上がり方で「出てくる」ポイントが容易にわかるのであんまり怖くないです正直。
これは音楽の大きさで恐怖をあおるというスピルバーグの『ジョーズ』と同じ手法が採用されたとの逸話もありますが、今の基準で行くと音楽が鳴っている間に「出るぞ出るぞ」っていう怖さより、期待や覚悟が先に来ちゃう気がしますね。
その点、『悪魔のいけにえ』は音楽もなく、いきなり唐突に表れます。それが独特の「冷酷さ」を私たちに感じさせるのです。
『キャリー』
プライアン・デ・パルマ監督作品のこちらも名作。ただこちらはどちらかというと切ない青春ホラー。
キャリーは劇中のほとんどを通して普通の内気な女の子で見てて当たり前に感情移入もできるし。レザーフェイスはそういうものを一切受け付けないですね。
理由や感情がもともとないようにも見えます。
『シャイニング』
スタンリー・キューブリックのこれまた名作ホラー。
科学的に考証した結果、最も怖い映画はシャイニングという研究結果もあるようですが、僕は「悪魔のいけにえ」の方がよっぽど怖いと思います。
『シャイニング』は呪われた部屋で現れれる双子の女の子や洪水のようにあふれだす地のシーンなど恐ろしくも芸術的に見える個所もあるように思いますが、
悪魔のいけにえはただ恐怖のみを追求した作品なのだと感じます。
唯一わかりやすい芸術的シーンと言えば朝焼けの中でレザーフェイスが舞い踊るラストシーンでしょうか。
『悪魔のいけにえ』上映禁止国
作品がマスターフィルムがニューヨーク近代美術館に永久保存されるなど、その芸術性も高く評価される本作ですが、ぞの残酷さゆえに以下の国で上映禁止になっています。(一部の国ではのちに公開)
ブラジル
フィンランド
フランス
ドイツ
アイスランド
ノルウェー
シンガポール
スウェーデン
奇跡のような作品
12年後にトビー・フーパーが再びメガホンをとった続編の『悪魔のいけにえ2』は監督こそ同じですが、前作とは打って変わってエンターテインメントやコメディ色の強いものになりました。
これは一説には「どうあがいても一作目の恐怖を超えることができなかったから、路線転換してコメディになった」とも言われています。
まさに偶然と努力が奇跡のように織り合い生まれたホラー映画の金字塔と言えるでしょう。