【考察】羊たちの沈黙 解説 – クラリスのトラウマ「羊」の本当の意味とは

「羊たちの沈黙」は1991年に公開されたサイコスリラー映画です。

主演はアンソニー・ホプキンスとジョディ・フォスター。アカデミー賞主要5部門をすべて制覇した作品は「或る夜の出来事」「カッコーの巣の上で」「羊たちの沈黙」の3作品しかなく、とりわけサイコ・サスペンス/ホラー系の作品が作品賞を獲ったのは異例ともいえます。数々のヒット作を持つこの俳優たちの演技の素晴らしさも作品の評価に寄与しているのは言うまでもありませんが、しかしながら監督のジョナサン・デミは時に『一発屋』とさえ言われるほど、生涯を通してこの映画ほどに有名な作品を監督したことはありませんでした。

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「羊たちの沈黙」のあらすじ

ミズーリ州のカンザスシティなどアメリカ各地で、若い女性が殺害され皮膚を剥がされるという連続猟奇殺人事件が発生していた。

逃走中の“バッファロー・ビル”と呼ばれる犯人は、その犯行内容から全米の関心を集めていた。

FBIアカデミーの訓練生で野心的なクラリス・スターリングは、行動科学課 (BSU)のクロフォード主任捜査官からバッファロー・ビル事件のためにある任務を課される。

それはバッファロー・ビルの心理状態を分析するために、ボルティモア州立精神病院に収監されている凶悪殺人犯で元精神科医の囚人ハンニバル・レクター博士へ協力を要請させるというものだった。

ハンニバル・レクターは食人行為などの猟奇的犯罪から「人食いハンニバル」と呼ばれるものの非常に高度な知的能力を持ち、高い教養を備えるなど塀の中にあっても論文を発表するなど高い影響力を保持している。

FBIへの協力を拒絶していたレクター博士は当初クラリスへも協力を拒んでいたものの、バッファロー・ビルの情報を与える見返りに、クラリスに彼女自身の過去を語らせることと引き換えに助言することを約束する。

そこでクラリスは父親の死と、それから預けられた叔父の家で屠殺される羊たちを目撃したこと、そして子羊を助けようとしたが、結局助けることができなかったことがトラウマになっていることを白状した。

一方、新たに上院議員の娘がバッファロー・ビルに誘拐されてしまう事件が発生。院長のチルトンは、自身の出世のためにレクター博士を上院議員に売り込む。議員は、レクターの捜査協力の見返りとして、レクター博士を警備の緩い刑務所へ移送させることを約束するが、それはチルトンの罠でもあった。

しかし、レクター博士はそんなチルトンの思惑にはとうに気づいていた。移送の際にあえて議員に侮辱的な質問を投げかける。そのときの議員の反応からか彼女の人間性を判断したレクター博士は議員に犯人の本名を伝えるがそれは全くのでたらめ。

そんなレクター博士は移送の隙をついて病院の職員や警察官を殺害。ゆうゆうと脱獄を果たす。



「羊たちの沈黙」の魅力とは

「羊たちの沈黙」の魅力とは何でしょうか?

まずアンソニー・ホプキンス演じるハンニバル・レクターの残忍さと紳士さを併せ持つキャラクター像があるでしょう。「狩人の夜」のように、犯人が善人で理性的な落ち着いた人間のふりをしている、というのはそれまでも散見されましたが、レクター博士のそれは犯罪者でありながら紳士的であり、趣味も上品という、斬新なものでした。

しかし、真骨頂はその設定を活かしきる緻密なストーリー、演出性の高さにあるのではないでしょうか。

不快でグロテスクな残酷シーン、暴力シーンはあるものの、それらは常に美しさと共存しています。

レクター博士が、脱獄の際に見張り役の警官を警棒で殺害するシーン。

笑みを浮かべながら返り血を浴びるほど強く殴打する傍らにはクラシック(ゴルトベルク変奏曲)のピアノが流れていますし、フランシス・ベーコンの絵画になぞらえて磔に飾られた死体はあたかも荘厳な芸術的なオブジェのようでもあります。

また、それらのショッキングなシーンと同様の緊張感が会話のシーンにすらひしひしと充満しているのもこの映画の特徴かと思います。

田舎出身のFBI訓練生クラリス・スターリングが、野心を元に最高の頭脳を持つ連続殺人犯ハンニバル・レクターにプロファイリングを求める。

レクターの言葉によって過去のトラウマをむき出しにされ、それでも実直に任務をこなそうとするクラリス。

彼女のトラウマは父親を亡くしたことと守りきれなかった羊達。

父子家庭だったクラリス。彼女が10歳の時に警察官だった父親は殺され、その後はそこで屠殺されていた羊達の姿が彼女のもうひとつのトラウマでもあったのです。

圧倒的にクラリスが無意識のうちに渇望しているのは父親の影なのです。

続編の『ハンニバル』のトマス・ハリスによる原作小説にもクラリスがどれだけ父親の影を思慕しているか、詳しく描写されていますし、レクターはここではクラリスの父親に扮し、羊に引き続いて父親へのトラウマも治療しようととしています。ちなみにその部分は映画には出てきません。ハンニバルの原作と映画はラストがかなり異なります。

話を戻しましょう。「羊たちの沈黙」でクラリスはFBI訓練生として登場します。

この彼女が選んだ道こそ父親と同じ悪と戦う職業なのです。そして、州法のなかで活動する他ない警察よりも、州を越えて操作権限が与えられるFBIを選んだところに、父親を乗り越えたい、というクラリスの意思を感じられます。



羊とはなにか

そして、父親と同じくクラリスの大きなトラウマが『助けてあげられなかった羊』。

養父の家に預けられて2か月後、クラリスは屠殺される羊達の鳴き声を耳にします。なんとか一匹だけでも助けようと子羊を抱えて逃げ出したクラリスですが、やがては子羊もろとも捕まり、子羊もまた屠殺されてしまいます。

そして、クラリスは施設へと送られてしまうのです。

そのときの子羊の鳴き声が、クラリスの深いトラウマとなっていたのでした。

このクラリスの告白を聞いたレクターは初めてクラリスに礼を言い、クラリスという人間を認めたのでした。

ここで、疑問なのは『羊』とは何かということ。素直に読み下せばそれは単に動物の羊なのでしょうが、それを話したことはレクターにとって本当に大きい意味を持っていたのでしょうか?

実はこの羊は性的暴行されたクラリスの暗喩だという説があります。

一度は逃げようとしたが、結局は捕まり暴行されてしまう。

クラリスは自分が抗えない弱さのメタファーとして、子羊の物語にしたのでしょう。

それほどの大きなトラウマを明かしたならば、レクターにとってもクラリスの勇気は賞賛すべきものだというのはすんなり納得できますし、他にもこの見方をとると辻褄が合うことが多くあります。

回想シーンがない

このような過去を振り替えるシーンでは回想シーンとして例えばこの場合だと幼いクラリスが写し出されたりするのがオーソドックスですが、実際はトラウマと向き合い、恐る恐る話し出すクラリスの悲しげな表情です。

クラリスの性格

また、クラリスの性格も、父親を思慕する一方で上司のクロフォードなど、少なからずクラリスに好意を抱いている人物に対しては、異性として見られるのを拒否しているように見えることです。

続編のハンニバルでは、クラリスへ愛憎入り交じった感情を寄せるクレンドラーを、レクターがこれ以上ない残忍な方法で殺害しています。

女性たちに対するクラリスの想い

惨殺された女性の遺体や、囚われた上院議員の娘。クラリスは彼女たちの姿にかつて救えなかった羊を重ね合わせ、激情とも言える行動をとっています。

これは単に羊の代わりと考えるにはあまりにクラリスは感情的すぎるのです。

クラリスは女性たちにかつての自分を重ねていたのではないでしょうか。

皮を剥ぎ取られた女性の遺体を検分する時に、クラリス一人が目に涙を浮かべていました。

抵抗も空しく、殺害された被害者はかつての自分だったのかもしれないのです。

その思いのためにレクターの問いかけに対して、犯人の目的は殺人だという誤った推測をしてしまいます。

(犯人の目的は相手の命を奪う=支配することではなくて、女性になりきる=同一化することでした。)

以上のことからも、羊は単なる動物ではなくて、かつて救えなかった幼い自分自身ではなかったのでしょうか。

レクター博士の頭のなかにはどのような答えが浮かんでいたのでしょうか。

羊たちの沈黙は緻密に巧妙に、そして美しく描かれた残酷な映画です。

不朽の名作を是非観てみてほしいとおもいます。



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