古典映画の魅力とは?

今回はなかなか観る機会のない人も多いであろう、古典映画の魅力についてご紹介していきます。

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古典映画とは何か

古典映画に関して、どこまでを古典というのか、明確な定義はありません。
モノクロ映画、サイレント映画に関しては例外なく古典と読んでもいいでしょう。
ただ、一般的にはカラーへと切り替わった60年代の作品も古典に含めるようです。

一方で新しく確立された映画ジャンルに関しては、上記でなくとも古典と呼ばれる場合があり、例えば1979年に公開されたリドリー・スコット監督の『エイリアン』は今やSFホラーの古典と見なされています。

古典映画の魅力

古典映画とされるものの中には今の感覚で言うと決して面白いと感じられるものばかりではありません。
しかし、数十年前もっと言えば100年近く前の作品が今でも残っているということは、それだけ多くの人に感動を与え、また普遍的な物語やそれまでにない驚きを与え続けていたからでしょう。

『ローマの休日』の悲恋とそれでいて気高いエンディングは今のどの映画と比べても決して見劣りするものではなく、むしろ今の時代にあってなお輝きを増しているようにすら思えます。

『ゴジラ』は怪獣というエンターテインメント性の高いジャンルに反核という社会性の高いテーマを盛り込んでいます。当時としては特撮技術が抜きん出て高いことも観ておくべきポイントですが、やはりこのテーマの深さは特筆すべきものです。

製作当時の時代

また古典映画の魅力としては、当時の時代をそのままフィルムに落とし込んでいるのも非常に興味深いところ。

前述のゴジラでは前後まだ10年と経っていなかった当時の日本がそのままフィルムに焼き付いています。
ゴジラの来襲に「また疎開か」という声や絶望した母親が「お父ちゃんのところへ行くのよ」と子供たちに語りかける場面はまだ戦争の跡が色濃く残る当時の日本を映し出しています。

フランク・キャプラの名作『スミス都へ行く』では、1930年代のアメリカの姿が映し出されています。
映画そのもののテーマは今も昔も変わらないアメリカの理念なのですが、「80年前の世界」を映し出しているという点においても非常に興味深い作品です。

『スミス都へ行く』は1939年の映画なのですが、1939年はまだアメリカが第二次世界大戦に参戦する前の時代なのです。

メディアといってもまだネットはもちろんテレビすらなく、新聞やラジオの力が非常に大きいこと、黒人がほとんど出てこず、荷物運びのような役割しかしていないことを観ると、当時の人種差別の程度にも思いが至ります。

また主人公のスミスや、ジーン・アーサー演じるサンダースのファッションにも当時の文化が焼き付いています。これはどんなに当時の服装を再現したとしても永遠に追いつけないと思います。



古典映画の凄さ

先程の『スミス都に行く』は今から約80年前の映画です。もっというならば、最初期のホラー映画の名作『ガリガリ博士』に至っては今から100年前の作品です。

単純に映像の凄さ、費やされた金額の大きさでいうならば圧倒的に今の映画の方がそのほとんどで上回っているでしょう。
しかし、今の時代に公開された映画の果たしていくつが80年後、100年後まで残っているでしょうか。

一般的には映画の中心は物語です。

その意味では古典映画には特殊効果やCGに頼らない、ごまかしの効かない映画本来の魅力があると思います。

そこにはその時代時代が映し出されていますが、また現代にも変わらない、普遍的な物語の強さも刻み込まれていると思います。

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