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「GODZILLA(1998)」のスタッフ・キャスト
監督
ローランド・エメリッヒ
脚本
ディーン・デヴリン
ローランド・エメリッヒ
原案
テッド・エリオット
テリー・ロッシオ
ディーン・デヴリン
ローランド・エメリッヒ
製作
ディーン・デヴリン
製作総指揮
ウィリアム・フェイ
ウテ・エメリッヒ
ローランド・エメリッヒ
出演者
マシュー・ブロデリック
ジャン・レノ
マリア・ピティロ
ハンク・アザリア
「GODZILLA(1998)」のあらすじ
感想・レビュー
『こんなのゴジラ映画じゃない!』『ただのイグアナだ!』
こういう賛否両論ある作品の方が実際レビュー書きやすいよね(笑)。
公開当初から『こんなのゴジラ映画じゃない!』だの『ただのイグアナだ!』だの酷い言われようだったローランド・エメリッヒ版のゴジラ。
まぁ放射能で巨大化したイグアナ。。。うん。そうだよね。。
怪獣というより、モンスターですね。
放射火炎を吐かない、通常兵器で絶命するなど、『あの、すみません、ゴジラ、、、ですよね??』と確かめたくなる描写が満載です。
欧米と日本の『怪獣』に対する価値観の違い
ゴジラの英語表記はgojiraではなく、GODZILLA。つまり名前の中に神(=GOD)が含まれているわけですが、今作のゴジラはそういった『どこか畏怖され、崇められるほどの超越的存在』という描かれ方ではなく、ゴジラのもうひとつの一面である『人類の脅威となる超自然的なモンスター』の面がクローズアップされています。
何かにありましたが、こうなってしまった原因は欧米と日本の『怪獣』に対する価値観の違いだということです。
もしかしたらずーっとさかのぼって太古において日本人(もちろん日本すら存在していなかったとは思いますが便宜上)は農耕民族でいわば自然の恵みを享受していた、対して欧米は狩猟生活で生きるためには自然を自らの支配下に置き、攻略する必要があったということも言えそうです。
実際、日本では八百万の神といって、ありとあらゆるものに神が宿る(なんと自然のみならず、人工物にすら!)という考えですが、キリスト教では自然というのは神が人間に与えたもの、というようになっています。
だけどエメリッヒ版ゴジラも擁護します!
そういった価値観の違いが作品に影響をおよぼし、酷評につながっているのだと思いますが、しかしここでエメリッヒ版ゴジラを擁護してみたいと思います。
もっとも強く思うことですが、どれだけエメリッヒ版ゴジラを批判しようと、これだけの演出を近年の日本のゴジラはやって来たのか?という点です。
もちろんハリウッドならではの資本力もあるでしょうが、例えば足跡だけでゴジラの巨大さを表現する、通り全体の揺れでゴジラの接近を予感させるなど、、、。
それは『ジュラシック・パーク』以降、アメリカの怪獣映画のクオリティが全てにおいて段違いに上がったその延長線上にあるものとして当然のことでした。
でも日本のゴジラは2004年になってもマトリックスの劣化版コピーの怪獣総出演のような、幼稚なエンターテイメント映画のゴジラが作られるような始末。
※個人的にファイナルウォーズ大嫌いなんですよね。。逆に2002年の完全悪役のあの白眼ゴジラは製作陣の想いもしっかりあって大好きです。
いくら、ローランド・エメリッヒが自らの監督作であるこの『GODZILLA』を批判しようと、その事実はゆるぎません。
近年ではこの作品を『これもこれでゴジラだ』と再評価する向きもあるようです。